気づいたこと、気になること
人間は死ぬまで何かを表現していく生き物である、というのが私の持論のようになっている。私は生きている限り、いつも何かを見たり聞いたりして、何かを感じ、考えている。そしてそれをしゃべったり、顔の表情に表したりしている。意識しなくても顔にでてしまうという現れ方である。それを表現といわずに表出というらしいが、言い方はどうでも、私たちは生きている限り何かを表現、表出している生き物である。それを言葉にするのが話したり、書いたりすることで、絵や彫塑にするとか、身振り手振りにするとか、衣服とか持ち物、身の回りのモノにするとか、多くの表現の仕方がある。車の運転の仕方にもその人、運転手の人柄がでてしまうように、人間は何をやってもその人柄、性質、性格というモノがでてしまう。あらゆる表現、表出にはその人の人柄、個性というモノがでてしまう。私が気づいたことは、だれもが気づいていることとは限らないし、私が気になることは私だけが気になることとは限らない。でも私がソレを書くのは、私自身の確かめにはなると思う。

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 平成20年6月27日 金曜日    姥捨て考  2
 都心から離れた南千住、大型スーパーから目立つところに、大きな看板が出てきた。大きな文字で「介護つき有料老人ホーム」と横書き。少し以前から建設中のその建物は大型スーパーと張り合うほどの大きさで、五階建て、二階建てのスーパーを見下ろしている。東京のはずれとはいっても交通至便なところ、近くには隅田川よりの都立公園もある。緑の中を散歩し、ちょっと大型のスーパーにたち寄って自由に買い物ができる。これまでとは違う立地条件の「老人ホーム」であった。だが”介護つき””有料”という二つの言葉が、妙に引っかかる。昔は・・・、と”後期高齢者”の私は腹の中でつぶやいている。「昔は、どこの家でも、家そのものが介護つきで、老人が大切にされたホームであった。無料とか有料とか、金銭の感覚などこれっぽっちもなかった。老人の方で決めたわけではないが、老人は一家の長であった。老人の息子が戸主になっている家でも、戸主の親である老人は一目も二目も置かれていた。一家の顧問、お目付け役、知恵袋としての存在感があったのだ。だがやがて核家族化が進んで、今は、後期高齢者たちには、いわゆる”居場所”がなくなった。行くところがなくなったのだ。そして金持ちの息子たちは、きれいで便利なところで、医療の専門かもいるらしいし・・・などということで、「介護つき有料老人ホーム」・・・おそらく○○苑などと名前がつけられるだろうが・・・、そこえ老人を入れて自分たちだけで生活をする。年に数回、買い物ついでにホームに立ち寄って、様子を見るとか、ホームの職員にお願いするとかして”親孝行”したような気になる。核家族化の付けがこうした形できたので、核家族化を進めてきた自分たちも文句は言えない老人たちである。年間いくらという会費というのか維持費というのか、とにかくそういう負担を子どもらにかけているという”負い目”もある老人たちは、ここで幼稚園の幼児まがいのゲームなど”やらせられて”ここを終の棲家とするのである。これも考えようによれば現代の姥捨てではないか。

 平成20年6月13日 金曜日    現代の姥捨て
伝説が歴史的事実を語ることもあるが、単純に事実を語ることはまれであり、むしろ様々な屈折を経た表現で語られるもののようだ。姥捨て伝説、棄老伝説が人々に語る内容は、「かつては老人を捨てたが、ある出来事をきっかけに老人の持つ知恵や知識に助けられることが多大であることを悟り、労働力として役に立つことが少ないという理由で老人を捨てることの愚を知って、棄老の習慣をやめた。したがって今は老人を大切にする」という形を取ることが多い。このような話は実は逆のこと、つまり過去においても決して老人を捨てるようなことはなかったし、現在も今後も、人間としてそのようなことをしてはならないと人々に伝えているとも解釈される。さらに言うなら、老人を抱えてもなお生存が可能なように技術や制度を発達させてきたことによって人間の社会は成り立っていることを、屈折した表現によって人々に教え示唆しているとも考えられると解釈している。…だが、平成の今日、核家族化が地方にまで波及し、新しいカタチの姥捨て、棄老が広がっているとは言えまいか。昔は家には祖父母がいて父母がいて兄弟姉妹がいて何かと協力し、助け合って暮らしていた。老人は子や孫に介護され最期を看取られて旅立った。そして家の近くの墓地に葬られた。だが今日ではそういう終焉を迎えるものがどれだけいるというのか。子供らは若くして家を離れ、親たちとは別の家に住むようになった。年に一度か二度顔を見せるのが親孝行となった。親に何がしの小遣いをくれる息子や娘は”よくできた子””孝行者”と親は自慢をするようになった。たいていのものは親のすねをかじり、親もまた成人した息子や娘に小遣いを与えて満足している有様である。そしてその息子や娘は、親を棄てているのである。親との同居を嫌い、親の介護は公的な機関?に任せて何の痛痒も感じなくなっている。介護保険という親自身の積立金が“それ”を可能にして、老後はだから安心だということになっている。姥捨ての新しいカタチである。その昔、老人は山へ棄てられたが、平成の今は自分だけの家に棄てられ、たった一人最後の日を待つのである。電話とかメールとか通信機器があって、子や孫と電子的にやりとりすることはあっても、それは機械的な触れ合いでしかない。ロボット的な触れ合いでしかない。これが現代の棄老、姥捨てである。

 平成20年6月10日 火曜日    老後の楽しみ
老後の楽しみという言い方、自分が若いときは深く考えなかったのですが、自分が名実ともに老人になると、これが実に重い言葉だと感じるものです。重い言葉とは、つまり軽々しく使ってもらいたくない言葉ということです。今の私、楽しみは何か、ひと言で言えるものはありません。読書も好きですし、自分が何かを書くことも嫌いではありません。パソコンを使い、インターネットもメールも、一応使えるようにはなっていますし、自分のホームページを立ち上げ、ブログも開いていますが、ただそれだけ。それがどういう意味があるのか、手ごたえがありません。旅行にも行きますし何かのサークルにも誘われもしますが、どれも”楽しみ”にはなっていないと思います。そもそも私の楽しみとは何なのか、何であったのか…これにはある程度こたえられそうです。それは他の人、生徒とか学生とかを育てること、人に何かを伝え、彼を知恵ある“いい人間”に育てること、その手伝いをすることです。それが私の楽しみでした。私は教師として恵まれた環境にありました。いつも生徒がいて、私の働きかけを真剣に受け取めてくれました。私に与えられた仕事は、学生諸君に私の体験や、自分自身が学んできたことを伝え、彼らと真摯なかかわりを持つことでした。私はそうしたことに喜びを感じていたのです。それが定年退職とともになくなりました。私の今の楽しみは、その意味で虚しいものといわなければなりません。私の老後の楽しみとは、せいぜい何かに寄稿したものを介して、読者と手紙やメールで交流することとなりました。交流といいましたが、それは交流と言えるものではありません。交流とは行って返ってまた行って、というものですが、行ったきり、返ってもこないものが大半です。書いたものが読まれているかもはっきりしていないのです。考えて見ますと、あの教室で、面と向かって語りかけ、顔と顔とでその空気を察知しあったあの雰囲気は恐ろしいほど大事なものであったのでした。そういう体験はほとんどなくなりました。老いの楽しみ、これを私は別の視点で探し出さねばならないと思うのです。
 


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