気づいたこと、気になること
人間は死ぬまで何かを表現していく生き物である、というのが私の持論のようになっている。私は生きている限り、いつも何かを見たり聞いたりして、何かを感じ、考えている。そしてそれをしゃべったり、顔の表情に表したりしている。意識しなくても顔にでてしまうという現れ方である。それを表現といわずに表出というらしいが、言い方はどうでも、私たちは生きている限り何かを表現、表出している生き物である。それを言葉にするのが話したり、書いたりすることで、絵や彫塑にするとか、身振り手振りにするとか、衣服とか持ち物、身の回りのモノにするとか、多くの表現の仕方がある。車の運転の仕方にもその人、運転手の人柄がでてしまうように、人間は何をやってもその人柄、性質、性格というモノがでてしまう。あらゆる表現、表出にはその人の人柄、個性というモノがでてしまう。私が気づいたことは、だれもが気づいていることとは限らないし、私が気になることは私だけが気になることとは限らない。でも私がソレを書くのは、私自身の確かめにはなると思う。

ここに文章を入力してください

 平成18年9月23日 土曜日    忘れることについて
 私たちは、普段はそんなに意識していないが、現代というこの時代に生きている。というより現代にしか生きられない生き物なのである。歴史が世界各国の時代の流れを教えてくれるが、それは抽象的な理念の“時代”であって、その“時代の現場”ではない。平安時代がよかったとか、江戸時代には庶民文化の華が咲いたなどと読んだり聞いたりしたことはあるが、その時代の現場へ行ったものは一人もいないし、これからもそうだ。
私は昭和一桁生まれで、太平洋戦争最中の日本、東京での生活を生きてきたのだが、そういう私にしても、“あの時代のあの土地の生活”を今後体験することはできない。歴史はすべて過去であり。過去は体験できないものである。ということは、今、ここでのこの体験は、すぐそのまま過去になるから、もう二度と体験、実感することはできないものなのだ。
 人は、それなのに、よく過去のことを持ち出し、それがあたかも今あったかのような感覚でその記憶をならべたてる。過去の出来事を持ち出して、あのときは悔しかったとか、あのいやな思いは忘れられないなどと、人を非難したりする。人と人だけでなく国と国とがそうで、それが紛争、戦争の引き金になったりする。「原爆許すまじ」「9・11同時多発テロは忘れてはならない」「地下鉄サリン事件を風化させてはならない」「北朝鮮の拉致事件は忘れてはいけない」などなど、それには面と向かって反対しづらいが、中国、韓国の国民感情には「日本からの侵略」を忘れてはならないという「教育」の結果だとみれば、そういう過去の思いを忘れず引きずって生きていくことが、手放しで“いいこと”とは思えない。忌まわしい事件、事故の思いを永遠に引きずって生きていくことは、対立を永遠に引きずることにつながる。どんなことでも、いつかは忘れなくてはならない…それが平和を求めて生きていく大きな知恵ではないのか。私は心の隅でそう思っている。
 

 平成18年9月19日 火曜日    自分の進む方向
 努力とかがんばりとかは、人の性格的なものと見ることもできそうだ。つまり誰でも努力できるとか、何かに頑張れるものというものではなさそうだ。ちょっと努力すればいいのにとか、もう少しがんばれば状況が違ってくるのにとか、その人の様子を見ていて思うことがあるものだが、一向にその人物がその気にならないように思うことがある。そばにいるこちらの方がやきもきする、などということがあるものだ。親が子に、教師が生徒にそれを感じることが少なくないのではあるまいか。子どもや生徒にしてみれば、努力したい、がんばりたいが、それができないというのだろう。興味や関心の違いもあるし、努力できない、頑張れないことをもって、その子、生徒を非難することは適切ではないと思うが、親や教師の立場にしてみればやむを得ないとも思える。あることに努力でき、頑張れるというのは、その「あること」に出会えたことだけでも、その人は幸せということができる。だが何に興味があり、関心があるのか、それもはっきりしないという子、生徒がいるものだ。大人にしてもそういう人がいて、生き方が下手としか言いようがない。大人はそれまでの経験、体験から、自分の好き嫌い、興味関心によって、自分が何に向いているのか、どういうものには向いていないのか、それが大凡わかっていなければならないのだろう。自分が進む方向へ意識すること、これが自分の生き方をきめるためにも欠かせないものとなるだろう。

 平成18年9月10日 日曜日    欲を棄てる
何をするにも一生懸命にしなければおもしろくない。読むのにも書くのにも読みや書きに懸命にならなければつまらないではないか。勉強にしても遊びにしても何にしても熱中できないならば、やらない方がいい。私はそう思う。何事によらず熱中している人はそれだけで幸せだと思う。逆に嫌々している人、いやなことを無理にやらされている人は不幸だ。好きなことを好きだというそれだけの理由で熱心にやれる人、そういう人が幸せであるのだが、そこにやったものの値打ちとか,他からの評判とか、評価とか、そんなものが気になってくると、好きなことを好きだというそれだけでやるという基本的な姿勢がゆがんできて、売れることとか、儲かることとか、欲が絡んでくる。そうなると仕事が汚くなる。それが結局、その仕事の評価、評判を落とすことになる。欲を棄てること、欲から離れること。これが結局人間を磨くことになる。純粋とはこういうことではないだろうか。
学ぶということは本来自己教育である。というのが長年学校現場の教師をやって来たわたしの基本的な結論である。自己教育とは自分自身に対する教育で、自分にとって何が必要なのか自分で考え、主体的に学んでいくことをいう。こういうと、ばかに難しいことのようだが、そんなことはない。ごく平凡なこと、誰にも思い当たることである。
たとえばこうだ。幼いころの私は兄が自転車に乗っているのがかっこよく見えた。母はまだ小さいからダメ、小学校に行くようになったら乗っていいと言った。わたしは兄の子供用の自転車を恨めしく見つめていた。学校へ行くようになったら借りて乗れるのだと思って我慢していた。そして小学校に入学して真っ先に父に後ろを押さえてもらって乗り始めた。倒れたり転んだりしてあちこち傷をこしらえ、それでもふらふらと乗れるようになった。2,3メートル行くのに乗れたと思った。それがわたしの自転車乗りの始まりである。こういう経緯は自己教育そのものであると思う。自分が「いいなあ」と思ったこと、それを「やってみたい」と思ったこと、そして実際に「やってみた」こと、さらに少しでも、それに近づけて「うれしい」と感じたこと、こういう一連の経緯が自分というものをつくってきた。これが大脳の発達に見合う人間の自然、自己教育のメカニズムだと思う。幼い私の場合、私が自転車に乗りたかった。つまり自転車に乗れる技術といおうか技能を修得したかった。私の父は教えたかった。学びたいという気持ちと、学ばせたいという気持ちが、同時に働いて技術・技能の習得が効果的になされていた。このようなことを卒啄(そつたく)同時(どうじ)という。卵が雛に孵るとき、雛が卵の内側から殻をつつき、親鳥が外側から殻をつつく、それが同時に行われて雛が孵るといわれる。それ以外では雛は孵らない。ということは雛には生き延びるか死んでしまうかというギリギリのことだ。いや雛だけではない親鳥にしても、それは遺伝子の継承ができないことで、種の消滅につながる最重要課題になるわけである。
 
 

 平成18年9月8日 金曜日    少年時代の思い出
もともと私には計画性というものがなかった。これは私が生まれ育った環境がかかわって大きいのではないかと思っている。私は東京下町の職人の家に生まれた。勤め人でない家の空気は、時間にルーズというのではないが、何時までに何をするという決まりのようなものには無縁だった。勤め人の家のような時間的な規則正しさはなかったのだ。それが私の性格、性質に響いていると思ったことがある。私はあまり計画性のある方ではなく、どちらかというとその場その場で考えて何かをするといった「やり方」の人間だった。
 子どもの頃、私は将来何になりたいなどと聞かれてもまともに答えなかった。いや答えられなかったというか、そんなこと考えようとしなかったのだ。それが中学生になって何人かの教師に出会って、気持ちが変わってきた。
 国語の鈴木倉之助先生は、ご自分が好きで、好きでたまらないというものだけを材料にして、実に楽しそうに話して、それを授業とされていた。今のコトバで言えばエンターテナーだった。ご自分も楽しまれ生徒を楽しませていた。もちろん生徒に迎合するなどではなく、学問的な次元は高い者を目指しておられた。それは、今になってこの私にも感じられる。そういう思い出深い先生であった。その先生から、私たちは「俳諧、連歌の研究」という先生自筆のプリントによって芭蕉の世界に誘われた。先生はまた、寺田寅彦随筆集の中からいくつかを取りあげて、私たちに「科学者の眼による文学」の魅力を実感させた、楽しさが、その全身からあふれ出ている感じの“授業”をされ、数知れぬ者、ものを考える基盤となる者を仕込んで下さった。
 私の中学高校生の時代は戦中、戦後の混乱期で、教科書もなく、いわゆるまともな授業は行われなかった。いや鈴木先生の文学を愛してやまない雰囲気、流麗な板書,穏やかな熱弁など、あれが「まともな授業」そのものであったのかも知れない。教科書がないから先生達は自分で「それ」をつくったのだ。それが子どもの私の胸を熱くした。
 数学の野沢潤先生の板書は整然としていて美しく、私を魅了した。私は進んで「黒板係」になって先生の書かれた板書を消す役になったが、口の中で先生の口調を真似て一行一行数式を消していき、先生をなぞっていったものである。 
 物理の澤田啓介先生の論理的な説明にはいちいち頷くばかりであった。先生の歯切れのいい語りは、噺家のそれとは違った意味で小気味よかったし、意識はしていなかったが生徒の私には「憧れ」であったのだろう。 
 私はこの三人の先生に大いに影響され、啓発された。授業が楽しかったし、教員室へいって、あれこれ質問したりした。自分の進路の相談にものっていただいた。
 


| Prev | Index | Next |


気ままなエッセー 私という個人 気づいたこと、気になること 読んだり、見たりして リンク集 掲示板 街で出会ったこと その他
その他 コラム


メールはこちらまで。