定年退職後の哀楽
1、定年退職の落とし穴.
中学校校長を定年退職した後、求められてM大学の非常勤講師として、いわゆる第二の人生を歩むことになった。それは、私が望んでいた生活、いや憧れていた生き方であるはずだった。“だった”と書いたのは、好運!と浮かれていた私には、思わぬ落とし穴があったのだ。
私は、中学校教師とし、教育委員会指導主事として、問題を起こす生徒にかかわり、いろいろな体験をしてきた。その経験から学んだことを、後から来る教職志望の若い人たちに伝えたいと強く願っていた。今の学校では小中高のどの段階でも、子どもの問題行動に悩まされない学校はないからである。夢と希望をもって教師になっても、その入り口で夢破れ退職していく若い教師がいる。私は自分の体験をしっかり伝えて、少なくとも生徒との問題で辞めていくことなどないように役立ちたいと思っていた。
新しい勤務先ではそれが満たされる筈であった。事実、「生徒指導」の講座を担当することになり、教室には、教職志望の学生諸君が大勢来てくれた。品位を保ち、好ましいマナーを身に着けた学生たちであった。順風満帆、私は新しいスタートをそう感じていた。
だが、そういう新しい仕事、立場が得られたにもかかわらず、私は原因不明の情緒不安定に陥り、わけのわからぬ不安に悩むことになる。なにしろ十分恵まれた環境にありながら、それに感謝し、喜べない不可解な自分なのである。講座も順調で、自分でも好ましいと思っていた。不満など何もない。だが充実感、満足感がない。好きなことをやりながら、「つまらないなあ」とか「おもしろくないなあ」としか感じられない。なぜなのかわからない。
自分のことでありながら、自分がわからないのである。誰にもいえない悩み、いや説明できない苦しみ、自分が自分でどうしたのかわからない、そんな状態をそれから一年以上も引きずることになるのだった。精神異常者になってしまったのか、私にはそんな思いもでてきた。
2、在校生からの手紙
そんなある日、退職した中学校の生徒たちから手紙がきた。年賀はがき、暑中見舞いのはがきは貰ったことはあるが、中学生が封書をくれるのはめずらしい。中に三通の手紙があった。どの手紙にも、私が学校をやめてからの様子が書かれ、今の状況はこういうものだが、これを元のようにするにはどうしたらよいだろうかと、そんな意味が書かれていた。これは私への相談の手紙である。
思えば、教師の私は学校でいろいろな場面で生徒たちとかかわってきた。放課後のクラブ活動、個別指導、グループ指導、ジャンボリーから学んだ学級でのリクリエーション、助け合い学習、グループごとに自分の思いを自由に書かせていくグループノート、こういう交流を続けてきた。校長になってからも毎週、「校長室つうしん」というプリントを教職員、生徒に配布し、校長室の入り口に「受け取りポスト」という箱をおいて、生徒の声、相談とか注文とか、提案とかを聞くようにしてきた。そのポストの声に答えるものも「校長室つうしん」に含め、個人的な相談は相談室で聞くようにしてきた。生徒たちとかかわることが私のすべてであった。その日、受け取った手紙は、私への相談の手紙であった。私はあの懐かしい中学校の校長室で生徒たちとしゃべっていた頃に戻っていた。気がついてみると私は夢中になって、その手紙に返事を書いていたのである。
3、気づき、退職後の鬱はご褒美
退職後、こんなに一つのことに嬉々として集中していたことはなかった…私はこれに気づいたのだ。そして、自分のノイローゼの原因が、心理学でいう、喪失体験であると気づいたのだ。それが、いわゆる自分の無意識を意識化することにつながり、私はノイローゼ状態から抜け出せたと思う。
喪失体験とはつぎのように解説されている。
「伴侶、両親、子供、恋人など、かけがえのない他者を、死や、そのほかの形でうしなうとき、人は深い悲しみに陥り、生きるエネルギーが失われたかのようになる。.それはその対象にむけられるべき心的エネルギーが行き場をうしなうからであるが、その対象との関係の中でみたされてきた自己愛が傷つき、自分の一部がこわれる思いがするからでもある」…
私にとって中学生諸君との生活はかけがいのないものだった。私はそれを自覚しないまま、退職して、「失ってはじめてそれに気づいた」のだ。これが私の退職の現実だったのである。フロイトは対象喪失を経験した人間が、その悲しみから立ち直るさまを「喪の作業」とよんだが、それは単に時間的な経過を意味するのではなく、ある種の手続きというかセレモニーが必要ということを意味する。私の場合は原因不明の鬱状態の原因に気がついたことが、その「喪の作業」になり、手紙を書いていく自分を見つめ、自覚していったことが、いわゆる「喪が明ける」引き金になっていったのだと思われる。自分の無意識を意識化した体験といっても、それは言い過ぎではなかろう。
電車やバスを待っていて、なかなか来ないとイライラしてくる。だが遅延の理由が知らされるとイライラがおさまってくる。人間は理由を知りがる生き物で、理由が知れれば情緒的に安定する。私が「好きなことをしているのに何故つまらないとしか、感じられないのか…」と思っていたのは、理屈であって、情緒のことではなかった。
情緒的には私はあの中学校で生徒たちとかかわっていたかったのだ。心理的にあの中学校と離れられなかったのだ。それを物理的にムリに離してしまったものだから、何をやっても、おもしろくない、愉快になれなかったのである。不思議といおうか、当たり前といおうか、こういう自分自身の心のメカニズムが理解できると、私は実に気持ちが楽になったのである。
仕事に熱心な人ほど退職して後、喪失感が大きく、鬱状態になるとと言い、ちゃらんぽらんとやって来た者には退職後の鬱などないという、ある本の記述も素直に受け取れ、ひそかに「退職後の鬱は、神様がくださったご褒美」などと思えるのだった。
4、あらためて退職の意味を知る
私はカフカの小説「変身」を連想していた。
小さな商社のセールスマン、ザムザは、ある朝目が覚めると一匹の「毒虫」に変わっていた。家族は驚くし、職場の上司は恐れて逃げ出してしまう。つまり職場からは完全に見放されるのだ。家族はザムザを一室に押し込んで世間の目に触れないようにする。つまり彼は社会からも見放されるのだ。経済的に困窮した一家は、老父が守衛の仕事についたり、母親と妹が内職をはじめたり、間借り人を置いたりしてやりくりする。耄碌しかけていた父親が仕事を始めて活力を取り戻し、権威的な存在に変わっていく。妹までも次第に兄を支配下に置こうとしてくる。ザムザの変身は、彼を取り巻く人々の変身だったのである。物語はザムザの死によって、家族3人が平安を取り戻し、両親は娘もそろそろ嫁がせようと考える、というところで終わる。これはザムザにとっては冷酷無比、残酷きわまりないが、それが世の現実というものだろう。カフカはそれを言いたかったのではないか。
人間が毒虫になるなどは、思いもよらないが、「虫けらのように扱われる」とか、「蛇蝎のように嫌われる」人間はいるものだ。
定年退職は"変身"である。ザムザが自分から変身しようとしたものでないのと同じで、私が進んで退職を申し出たものではない。定年退職は社会的に定められた仕組みであり、私もそれなりに覚悟もし準備もしていたつもりだったが、いざそのときになると、情緒的には、それは突然やってきたという感じだったのだ。
5、老いの生き方をきめていく土台に
変身とは奇異のようだが、考えてみれば私たちはいつも何かしら変身しているとも思えてくる。定年退職という私の変身は、家族を始め、私とかかわる多くの人々、多くの事柄の変身でもあった。そういう変身から体験、実感した多くが、その後の「私の生き方」をきめていく土台、基盤になっていったと思う。たとえば、自分の「老い」を自覚せざるを得ないこととか、ボケへの不安などに、どういう態度を取っていくか、初期ガンだと知らされた体験にも、私はこの無意識の意識化体験がベースになっていて、その現実から逃げ隠れせず、ごまかしもせず、それを見つめていくことができたと思う。
年寄りが集まると病気の話になることが多い。いくらがんばっても若くはなれない、などと、口では言うが,「丈夫で長生きしたい」とか「気持ちもシャンとしていられたらいい」などと思っている。だが本当にそうなったらどうかについては真剣に考えていないようだ。仮に医療やサイボーグの技術が発達して、自分がいつまでも生きていくことになったら、どうなるかということである。日々、「これは!」「これこそは!」と思う“したいこと”がないまま、生きていかなければならないとしたら、「丈夫で長生きは不幸」ということになるのではないか。何か、のめりこんで、心からそれを楽しんでやるもの、そういうものをもっていることが“しあわせ”の条件である。"丈夫で長生き“の不幸を克服するのは自分しかない。歌舞伎界で踊りの名人といわれた、人間国宝、六世、中村歌右衛門丈は「まだ足りぬ 踊り踊って あの世まで」と辞世を残されたと、ある本にあって、人間の修行にこれで終わりということはないと書かれていて、若い私は感銘を受けたものだったが、自分がこの歳になると、歌右衛門丈には"踊りしかなかったのだ”とも思えてくる。
そして、この私にしても、こうした“ものを書くことしかない”と思えば、あれこれ色目を使って迷うことなどないと思えるのである。丈夫で長生きを楽しめる自分、迷わない自分にしていく、それがこれからの私の目標ということになる。
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