その1
長期の休業中に大切なにしたいこと。それを私は、自分の生き方を見つめて、ここをこう直したい、これは思い切って止めたい、ここはこう伸ばしたいというものを、自分できめて、それを実行すること、実行しつづけることだと考えています。いやこれは私自身がそのように意識して実行しようとしていることです。それを”大切なこと”と思って皆さんにもお勧めしたいのです。もちろん生徒諸君にも勧めたい生き方です。それが「自立」につながっていくものだからです。それは“自分が自分をしつける”生き方だと言ってもいいと思います。ですが、実はこういう生き方はなかなか続けるのが難しいのです。アタマで「ワカッタ」と思っても、それを実行して、自分の生き方にまでするには相応の努力が要ります。これは私の実感でもあります。
だからといって不可能ではありません。私の場合は、寝る前の十分間、その日にあった出来事を整理して、@どんなことを学んだか、Aどんなことを実際にやったのか、Bどんなことをやり残したか、と大別してメモ書きにします。まあ日記のようなものです。そのメモを眺めて、明日、やってしまおうとするものを順不同でいくつでも書いておき、それを見ながら、明日真っ先にやるもの、その次にやりたいもの、さらに三番目にやりたいもの…という具合に箇条書きにし、それを終えたら寝ることにしています。これを寝る前の習慣にしたのです。そして翌朝、起きたら洗面、身支度を整え、昨夜の順番をつけたメモを見て、よし、今朝はこれとこれとをしよう。それが終わったらこれをしよう、と心に決めて家を出るのです。学校に着いて、朝の打ち合わせ、その他、いろいろあって学校が始まりますが、自分がきめた仕事、やろうと思ったことにさっさと取り掛かるのです。机の前で、さあ、今日はなにをするかなあ、などと迷うことなどありません。予定外のことが入って目論んだことができなくとも、明日に回せばいいと割り切ります。とにかく忙しい仕事に順序をつけてどんどん進めていく。こんなことが私の仕事の進め方になっています。そして就寝前の10分間、今日一日@何をやったか、何を学んだか、Aどんなことを実際にやったのか、Bどんなことをやり残したか、…と考えていって明日やることのメモを作る、というわけです。こういう日常の繰り返し、それが私の習慣になっているのです。習慣にしてしまえば、努力も何も要りません。それが私の「当たり前」になっているのです。これが私の場合の、自分が自分にしつけた生き方というわけです。
その2
私が先ごろ、自分の生き方でこれはまずいと思ったのは、無駄な時間というか、無為に過ごしている時間が多いということです。生活にメリハリがなくなっているのですね。今日はこの本を読んでやろうと思っても、まあ、明日でもいいや、もっとゆっくりでもいいや、という気持ちの緩みがあって、万事に”のんびり”しているのです。私はそれを精神のたるみだ思って、これを何とかしよう!と考えました。そして何かをするのにタイムスイッチを活用することにしたのです。タイムスイッチを30分なら30分にセットして、本を読み始める。読んでいる間は、読書に専念する、よほどのことがなければ机から離れない、と自分に言い聞かせて、とにかく30分は集中する。鉛筆を持ってメモを取りながらその本に集中する。こうした時間を一日に何回となく持つことにきめて実行したのです。それで自分でいうのもなんですが生活にメリハリが付いて来たと思うのです。テレビを見ながらのんびりするというのも一概に悪いとは思いませんが、いつもそれではよくないでしょう。わずか30分の細切れ時間の集中ですが、それを意識してもつこと、タイムスイッチをセットしてブザーが鳴るまで、何ページ読めたかなどという記録が、密かな励みにもなり、生活のメリハリになってきたと思うのです。
その3
私たちは意識する・しないにかかわらず、常に何かをしています。「何もしないでぼんやりしている」という言い方がありますが、「ぼんやりしている」ことを“している”のです。ところで人間は何かをすることで、それに見合った力、能力というものが身についてくるものですね。この事実に、人は驚くほど鈍感です。怠ければ怠け癖という力がついてしまうし、サボればサボり癖という力がついてしまうものです。そういう事実が現実でありながら、怠けている、サボっている人が少なくないから鈍感だというのです。今、たいていの生徒は自転車に乗れます。ですが生まれながら自転車に乗れる力を持っていたという子は一人もいません。今、自転車に乗れるのは、他の子の乗っているのを見て、自分も乗りたいと思って、実際に乗る練習をしてきたからです。はじめは誰かに手助けしてもらって、サドルにまたがりました。あちこちにぶつかったり、転んだりして、フラフラやっているうちに乗れるようになったのです。乗ろうと思って練習したから乗れる力が身についてきたのです。これを、私は「やったから、力がついてきた」と捉えています。何事も同じです。読書力を身につけるには、読書する以外に手はないのです。書く力を身につけるには、その気になって書くより手はないのです。
やらなければ力など付いてくるはずがないのです。この当然のことを忘れてはなりますまい。「やれば力がついてくる」…です。肝心なのは、「その気になって何をやるか」ということでしょう。
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