古い映画「下町の太陽」というのを見た。いや正確に言うと途中まで見た…となる。はじめの数分で驚く場面がいくつもあった。これは私が子どもの頃、住んでいた町が舞台になっていると気づいたからだ。京成荒川駅の様子、荒川放水路の薄暗い景色、旧式な電車、道の様子、工場、街の人々の団らんの様子、長屋の風景そのものなど、どれもこれも、あ、ここはあそこだなと思い当たる構図がでてくる。殺風景で貧しく、懐かしいよりも、こういうところで暮らしていた自分が哀れで、かわいそうで画面を正視できなかったのだ。だから私は途中で見るのをやめた。やめても、私はこれがぬぐい去ることのできない自分の生い立ちだと思った。辛いことだ。どうすることもできない悲しさがこみ上げてくる。ふるさとの懐かしさを語ったものはよく読んだが、私はあらためて映像の力を恐ろしいほど実感したのだ。墨東奇談を読んでも、玉ノ井鳩の街の物語を読んでも、こんな衝撃的な気持ちになったことはなかった。それは墨東奇談も鳩の街にしても大人の物語で、子どもに私の実感にはなり得ないということもある。これはいつかもう少し詳しく調べてみることにしようと思う。
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