読んだり、
見たりして

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2006/08/23    読み書きの復活を望む
 映像の世紀という言い方に得心がいく。私の場合はパソコンは文字を書くとか、書かれた文章を読むとかが主であるし、絵を描くとか音楽をつけるとかは埒外のことである。だが他のHPを見ると、その埒外の情報がほとんどで、文字は本のいいわけ程度、付け足し程度である。時代遅れというのか、時代離れというのか、あるいはそういうものを超えて独自の道を往くというのか、まあ、そんな言い方はどうでも、今のこの映像の世紀にあって、あえて私は論理的な思考をはぐくみ鍛える意味で、読み書きの復活、さらに繁盛をのぞむものである。
2006/08/19    たまらなく悲しいこと
古い映画「下町の太陽」というのを見た。いや正確に言うと途中まで見た…となる。はじめの数分で驚く場面がいくつもあった。これは私が子どもの頃、住んでいた町が舞台になっていると気づいたからだ。京成荒川駅の様子、荒川放水路の薄暗い景色、旧式な電車、道の様子、工場、街の人々の団らんの様子、長屋の風景そのものなど、どれもこれも、あ、ここはあそこだなと思い当たる構図がでてくる。殺風景で貧しく、懐かしいよりも、こういうところで暮らしていた自分が哀れで、かわいそうで画面を正視できなかったのだ。だから私は途中で見るのをやめた。やめても、私はこれがぬぐい去ることのできない自分の生い立ちだと思った。辛いことだ。どうすることもできない悲しさがこみ上げてくる。ふるさとの懐かしさを語ったものはよく読んだが、私はあらためて映像の力を恐ろしいほど実感したのだ。墨東奇談を読んでも、玉ノ井鳩の街の物語を読んでも、こんな衝撃的な気持ちになったことはなかった。それは墨東奇談も鳩の街にしても大人の物語で、子どもに私の実感にはなり得ないということもある。これはいつかもう少し詳しく調べてみることにしようと思う。
2006/08/05    読み方自分流
このところとくに自分流の読み方が変わってきた。以前は4Bの鉛筆を持って、読みながら著者と対話していた。4Bの鉛筆はプラスチックの字消しでサッと消えて、跡を残さない。借りた本でもきれいにして返せるから、この自分流は他に迷惑をかけない。○、△、×という記号をつけ、再読するときそれを当てにした。○賛成、共感、△疑問、別の考えあり、×反対、眉唾もの、などという大雑把な目安をもうけていた。それらが自分のどこかに定着というのか、残っていて、何かを考えるとき、ふと思い出して、それを見たりする。見たり…とは、つまりそういう箇所を抜き書きしてパソコンに保存しておいたものを再読するということであった。抜き書きや抄録は自分を豊かな気分にしていてくれたと思う。それが私の読んだり、書いたりの積み重ねであったと思う。私が読むことの目的は二つに大別されると思う。一つは自分の考えを確かめ、まとめていくという方向、それによって何かを書くというほうこうである。もう一つは読むことをそれだけで楽しむというただそれだけの読書で、前者の方に偏っていたと思う。そういうこともふくめて自分流の読み方だと思っている。

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Last updated: 2008/10/28