テレビで劇場中継「世阿弥」を見る、その解説部分というか、事前の導入部分にある種の衝撃を受けた。それは光と影という考え方、他に見られる存在が自分であって、その他の場面の自分はいったい何かという問いかけである。これは私がこれまで話したり書いたりしてきた考え、自分がどんな教師であるかを、当の自分が生徒にどんなに語りかけても、そんなことは意味がないということ。つまり自分がどんな教師であるかは、生徒が自分とかかわってくれて、あああの先生は親切なのだとか、優しいとか感じてくれる生徒の個々の感じ方でしかない…ということ、この話に似ている、いやこの話そのものだと感じたのである。わたしはこうだといくら主張しても、私とかかわる人がどう感じているか、どう思っているかが、私の存在そのモノであるということである。これは一つの発見である。光と影、この演劇論というか人間観というものは、これからも私の生き方にもっと色濃くついて回るだろう。人間の存在について、いや物の存在について、つまり存在とは何かという哲学的な命題についての考え.。私が存在するとは、私が自分の意識の中でどう存在するかによる。自分が自分の生き方を見つめて、生きる価値なしとおもえば、それは本当に生きる値打ちがないのだろう。何かに未練があるとすれば、その未練のために生きればいい。肝心なのはその未練が何か、自分がそれをどう思うかという自意識、自己認識だろう。
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