曽野綾子「哀歌」を再読した。・・・というよりも、再読という意識はなかった。つまり前に読んだことをすっかり忘れていたのだ。ただ読み始めて、おぼろげに以前読んだことがある気がしたものだった。どうしてか、それは物語の主人公の女性修道士が混乱の中でレイプされるという、なんともやりきれないストーリーが想像され、そうなればそれ以上読む気がしなくなるなと、思って、ひょっとしたらこの本は以前読んで途中でやめてしまったのではなかったかと思うものがあったからだ。なせこんな私的なことを書いていくのか。それが再読、繰り返し読んでいく読書の意味とでも考えられるからである。以前読んだのはいつごろであったか、それは忘れたが、物語の主人公の鳥飼春菜という修道士、政情不安なアフリカに派遣され、そこで体験する数々の地獄、その体験から得たものはおそろしいほど私の考えを揺るがした。この本のテーマはキリスト教の愛、アガペーだと思われる。アガペーという愛の考えは、私には極めて遠い存在であった。いやそもそも私には真に愛というものを掘り下げて考えたことがあっただろうか・・・と根底から心を揺さぶられた。こういう実感が以前の私にはなかったのだ。つまりこの本の訴えが以前の私には届かなかったのだ。なぜか。読みが浅かったとか、読みの能力が浅かった、つまり読めなかったといってもよい、あるいはそんな読みしかできなかったといってもよかろう。これは寂しいし、情けないことである。
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