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2006/10/13    カフカの変身の意味するもの
両親と妹と4人暮らしの青年グレゴール・ザムザは、小さな商社に勤めるセールスマンだが、ある朝目が覚めると一匹の「毒虫」に変わってしまっている。「変身」してしまったグレゴールに家族は驚くし、欠勤を咎めに来た職場の上司は「変身」を見て恐れ逃げ帰ってしまう。世間の目を気にして、家族はグレゴールを一室に押し込んでおくが、グレゴールは一家の唯一の働き手だったため、一家はたちまち経済的に困窮する。そこですでに退職していた老父が守衛の仕事についたり、母親と妹が内職をはじめたり、部屋を間借り人を置いたりしてやりくりする。耄碌しかけていた父親が仕事を始めて活力を取り戻し、変わり果てた息子を圧迫する権威的な存在に変貌する。妹は、グレゴールが変身してからもおそるおそる食べ物を持ってきたりして面倒をみるのだが、兄を自分の独占的な支配下に置こうとしてくる。妹と母親が自分の部屋から家具を片付けようとするのに驚いたグレゴールは、心ならずも母親を失神させ、妹を怒らせてしまう。このとき帰宅した父親が怒ってグレゴールに林檎を投げつけ、グレゴールは背中にひどい傷を負ってしまう。間借り人に妹がバイオリン を聞かせている最中に現れたグレゴールに怒った妹は、兄を指差して「これを処分しろ」と言い放つ。林檎の傷がもとですでに衰弱しつつあったグレゴールは、この妹の言葉が最後の呼び水のようになって、その直後に自分の部屋で静かに息を引き取る。三人になった家族は平安を取り戻し、両親は、この妹もそろそろ嫁がせねばと考える。…カフカの「変身」のあらすじである。
定年退職は"変身"である。グレゴールが変身しようと意図したものでないのと同じである。定年退職は社会的に定められた行為であり、それなりに覚悟もし準備もしているつもりだが、当人にとってはそれはある日突然やってくるという感じである。グレゴールの変身は、グレゴールだけにとどまらず、家族や職場の人々の変身になっていく。グレゴールが死んで家族が平安を取り戻すというのは、残酷だが現実であろう。父親の定年退職は父親の変身のみならず、家族の一人ひとりの変身でもある。父親が家族のお荷物になって、邪魔者扱いされるようになるのは、家族の変身である。グレゴールの死は、これも一種の変身だろうが、その変身は家族に安堵を与えるし、それによってグレゴールの父母は娘の嫁入りという新しいことを夢見るようになる。
老人は、口には出して言われないが、家族の中に「みっともない」「汚い」「鈍い」などと思われ「役立たず」「穀つぶし」「金食い虫」などと思われ、早く死んでくれなどと思われて終末期を迎えることになる。残酷ではあるが、これも真実であろう。
 
 
2006/10/11    競争と協調
子どものときから競争させられている。親が子どもの成長を競っている。教師が他の教師と比較して自分が受け持っている学級のほうが成績がよいとか、よくないとか競争している。競争の意識はなくとも,意識の下では競争している。頭の良さ、成績の優劣、運動能力の高さ、器量がいいとかわるいとか、はきはきしているとか、していないかとか、多くのことに親や教師は自分の子と他の子とを比較している。だいたい"自分の子”という言い方がおかしいのに、そのおかしさにも気づかないようだ。他の子を見て、うちの子の方がまだいいとか、ちの子の方が劣っているらしいから、塾にやった方がいいとか、うちの子にも○○をやらせたほうがいいのでは、などと腹の中で競争している。わが子を愛しているから、わが子を勝たせたいとか、もっとがんばらせたいとか思っている。それはプロ野球の巨人に肩入れしている者が、巨人が勝てば穏やかな気持ちでいられるのに、巨人が負ければ、何やっているんだ、だらしがない!などと怒るのと同類で、およそ合理的ではないのだ。だが当の親や教師はそういう不合理、あるいは非合理には気づかない。愛は盲目という言葉もある。知恵ある愛を目指すにはどうしたらよいか。人間の生き方に競争と発音の似た協調という生き方もある。ここにヒントがあるようにも思える。
 
2006/10/04    節操ということ
 忘れてならないとは、忘れることが人の常だから、意識して忘れぬようにしようと自分をふくめて周囲の人々に言い聞かす言葉だと思う。忘れまいとしても忘れることがあるし、忘れようとしても忘れられないこともあるのが凡人の常であるが、非凡な人はいわば忘れ上手とでもいう一種の能力があるように思う。熱しやすく醒めやすいというのが日本人の特性のようにいわれたときがあるが、私のような太平洋戦争の時代をくぐってきたものには、それが身にしみてわかる。私が小学生のころ戦争が始まって、アメリカ、イギリスは鬼畜だ教えられ、憎むべしとしつけられた。子どもの私は何がなにやらわからぬまま、米英は敵、敵は「撃ちてし止まむ」だと、徹底して教えられた。当時、アメリカ兵の捕虜に対しては、生かしておくな、殺してしまえという風潮が庶民のものになっていた。その中で、ある婦人が、捕虜に対して「おかわいそうに、あの人たちにもご家族がおありでしょうに…」とつぶやいたというのが、新聞に取り上げられ、「こんなこと言うのは非国民だ、国賊だ」と非難された。新聞も非人間的、非人道的であったのだ。(非人道的といえば、クラスター爆弾は非人道的な兵器ということで国連で禁止されているというコメントが、最近のテレビ報道にあったが、人道的な兵器とか人道的な戦争などというものがあるというのか、と思って苦笑した)その日本が戦争に敗れ、今はアメリカは日本の盟友になっている。日本人のそういう生き方を「忘れ上手」というのか、醒めやすいというのか、どういう言い方にせよ時代、社会情勢によって変わるものが人間というもので、それを何というのか、おかしくなる。昔はそういうのを『節操がない』と言ったものだが、今はその節操さえも死語のようになっているのだろうか。
 

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Last updated: 2008/10/28