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2007/04/18    生きているということ
他の生き物とは違って、人間が生きているということは、何かしら表現をしていることだと私は思っている。
 意識しているときのそれを表現と言い、意識してはいないときのそれを表出と区別してもよいが、現象的には同じものと思う。
 退職後の私は、一日中、これといったものもなく過ごすこともある。だがそれにしても、何かしらの表現をしている。何かを読むという行動、何かを書くという行為、ぶらぶら歩くという行動、そこで見たこと、出会ったことを誰かに話すということ、話すために地図を描いたり、絵に描いたりする行為、話し方が下手だと気づいて、言い直したり、聞き手の家内に問うてみたりする、これらはみな私の表現活動である。
 ただ自分はそれらを表現活動などと意識してはいない。そこでぼんやりしている、一日中無為に過ごしている、となる。だがそれにしても私が生きていて”あらわしていること"あるいは"あらわれていること"である。生きているからこそ"それ"が出てきているのだ。
 眠くてうつらうつらしていたなどというときも、居眠りという形で休息していたとなる。休息は一つの態度の表れ、それ自体、そのときの”自然な自己表現”ということもできる。とにかく私は生きている限り、何かをあらわしている。何もあらわしていないとは、生きていないことだ。
 そこで自分は、何を表していたのか、自分の何があらわれていたのかを確かめることが、自分がどう生きていたのかを確認することになる。それが意識的に生きるということだと思う。私が日記とか手紙を書くとか、周囲の人に自分の思いをしゃべるとか、こんなHPにこんなことを書くとか、それらはすべてそういうことである。
 
2007/04/09    熱中時間を見て
 NHKTVで熱中時間という番組がある。今日、見た熱中人は、姫路城(白鷺城)に魅せられ自宅の敷地にその29分の1の模型を19年かけてつくってしまったという人。この人、城の模型を作ろうと思い立ってそれにふさわしい土地を購入したという念が入っている御仁。テレビに紹介されることはうれしいことなのだろうが、私などは、どこかこういう番組はテレビで紹介してはいけないのではないかと思ってしまう。費用がどれだけかかったか知らないが見ている人は、大変な金銭と労力を注いで精巧な模型、大型の模型を作ったものだと驚いたり、感心はするが、別の面でははっきり言って馬鹿みたい!と思ってしまうものもある。自分の興味関心というものは自分だけのもので、同じような興味関心を持つ人には共感や感服の対象になろうが、こんな模型にはあほくさいとしいか思わない人たちには、何という浪費か、こんなものに何の意味があるというのか、人間というのは馬鹿なものだと呆れ返るだけ。つまり熱中とは、熱中する個人のもの、その意味では私的なものということである。テレビとかラジオとかで広く報じる意味はない、とそんなことを思ってしまった。いや、私が熱中するもの、は私事に過ぎないのである。このことを忘れぬようにしたい。
 
 

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Last updated: 2008/10/28