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2007/07/28    驕るな、奢るな。
藤沢周平の「漆の実のみのる国」より。
「藩をささえるべき道義べつのものが権威あるものの如く振舞い始めていた。いうまでもなく金の力である。そうした風潮を、のちに藁科立(りゅう)遠(えん)は鷹山に提出した「管見談」(寛政三年版行)の中に
「当世の人、役儀を望むは忠義の志にあらずただ利を営まんがためなり。世の事に立身出世を望むも竈をにぎわしたきが故なりといふあさましき言葉もあり。ただただほしきものは金銭にて、何をもってわが家を利し、何をもってわが身を利するかをねがってそれのみに肝胆を砕き、利を見ては人の痛み、世の恵みを顧みず,乃至は厳罰を恐れざるに至れり。礼儀廉恥を絶たんとして士風の頽廃すでに極まれり」と記した。
…とある。これは今日の世情とあまりにも似ているではないか。今朝の読売新聞に、編集委員の芥川喜好氏の署名入り解説「仕事とは何だったのか」にこうある。「人間をめぐるあらゆる事象がめまぐるしく変転している」という書き出しで、たとえば、世を欺いたあの牛肉偽装事件、一年以上前の告発が放置されていたという報道、告発を受けていた農水省は北海道に書類を渡したといい、道側はもらってないという。これが結局うやむや。このいい加減さ。国を揺るがす年金問題も、元をただせば社会保険庁という役所のでたらめな日々の仕事から発している。人の命を託した金を預かり、それを食い物にして自ら腐りはて、それでも組織として生き延びてきた。驚くべき現代の野蛮である。職にあった一人ひとりにとって、仕事とはなんだったのか。」氏はここで養老孟司氏の、仕事論を引用するが、私は、ある学生が直接語ってくれた、ある中学校教師がその学生に語ったという話を思い出す。この世の仕組みは誰もが他に仕えあって成り立っているという物語である。仕え合って形成されている社会、だから仕事を持つことはその仕え合うシステムの一員になること、それ自体が仕合わせに生きることである、という思想。そこで世の中は「おかげさま、お互い様、他人事(ひとごと)はない」という協調、協力の気持ちが基盤の世の中になる。こういう世の中にしていくことこそ「仕合わせ」な世になることで、それは運が良いとか悪いとかの「幸せ」という感覚とは違うのである。他に尽くす、進んで奉仕する心根、日本人にボランテイアの気風がある限り、この道はまだ生きていると見てよかろう。ただ極度の貧困、格差の拡大は世を地獄にしていくことは藤沢周平の「漆の実のみのる国」に述べられている通りである。経済的に豊かになることは結構なありがたいことではある。だが油断すると、それは贅沢に陥り、豪奢に落ち込んでしまいがちである。こういう時代だからこそ、私たちは自律の心を、謙虚な生き方を通して己のものにしていかなければなるまい。奢るな、驕るな。これが人間の往くべき道であると心に刻んでいこう。
 
2007/07/14    本の抜書きから考える
池田晶子「勝っても負けても」41歳からの哲学
p70
 言葉というものは、文字通り正しく使われることによってのみ、その本来の意味を表すことができる。言葉が厄介なのは、それを使っている人が、その本来の意味を知らずに使うことができるところにある。その語を口にすれば、それを言い得ているように思えてしまうのである。(たとえば)正義が過剰に意味が与えられている。過剰な意味とは現代風に言えばイデオロギーということになるだろうか、平たく言えば個々人の勝手な思い込みである。しかし、言葉が存在するという事実は、個々人の勝手な思い込みを超えている。すなわち普遍の事実である。だから、正義とは、本来、普遍のものだと、いうことができる。ふっ編のもの、つまり自分たちの正義派、誰にとっても正義なのだと思い込んでいるから、それを人に強制するという行為に出るのである。ソクラテスは、それを人に強制することなしに、それを示すだけであった。なぜか、正義とは何かを知らなかったからだ。知らないということを知っていたからだ。
p73
 「政治家」とはステイツマンである。ステイトとは動詞で「述べる、言う、申し立てる」すなわち言葉を語ることである。政治家とは、言葉を語る人、言葉の人に他ならないのである。(校長、教頭、学校管理職)も同じである。
 このことは、政治家自身はもちろん、一般庶民もほとんど忘れている。せいじとは現実的な力の行使のことであり、言葉などはその前には無力なものだと思われているのだ。しかし、現実的な力が現実的たり得るのは、そこに言葉の力が働いているからに他ならない。
p91
 一回きりの人生、思いっきり楽しまなくちゃあ損だというのは、ある意味では正しい。しかし、快楽が目的化すると、人間は馬鹿になる。本当の快楽は、快楽も苦痛と同じこの世の現象だと見抜き、現象に左右されない賢い人間になるところにある。あえて言うなら、たぶんそれが人生の意味なのである。若いうちはこの真実になかなか気づかない。この真実を若者に教えることができるのは、より賢い人間になろうと考えながら生きてきた賢い年寄りだけなのである。そういう年寄りに、私はなりたい。
p93
 働くことこそが人生と思い込んでいるのもどうかと思う。仕事が人生、会社が生き甲斐という人が、仕事を失い、定年になったときの意気消沈たるや、気の毒なものがある。それまで、何ゆえの仕事、何ゆえの人生なのか、考えてこなかったからである。
p98
 やりたいことがわかるということの覚悟の分からない者に、やりたいことがわからないのは当然である。裏から言えば、別にやりたいことがわかる必要などない。普通の人生、与えられた仕事をこなし、周囲と調和し、淡々と平穏に生きていく人生は素晴らしいではないか。誰にでもできることではない。
p100
 数年前、死の判定基準を巡り行われた脳死の議論を思い出してみよう。死はどこにあるのか、脳か心臓か、はたまた云々、誰も死をきめることはできなかった。なぜか。誰も死など知らないからである。生きている人は死んではいないからである。生きている限り、人は死を知らない。
 

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Last updated: 2008/10/28