| ◆無趣味の私の趣味 |
何をしていますかと聞かれる。どうしていますか。具合は如何?などみな同じ、めずらしく古い友達から電話がかかってくると、こんなことが決まり文句になっているようだ。だがそういう電話は滅多にかかってこない。不動産の勧誘、保険の勧誘などが多い。墓地はどうなっていますかなどという電話もある。かける方は、たぶんアルバイトのおばさんなのだろうが、数打ちゃあ当たる式にかけるのだろうが、そんな電話に付き合うほうは不愉快だ。旧友の久しぶりの電話もとくに用事はないようだ。まあ、久しぶりに電話でもしてみようか…とこんなことであるようだ。暇を持て余しているのだなあ。年寄りのこんな傾向。何か聞かれても「別にイ…」としか答えようもない電話である。ところがそんな電話を家内に回すと、何が話題になるのか、よくしゃべること、しゃべること、恐ろしいほどの長電話になる。
私は電話を家内に任せてパソコンでこんな愚にもつかないことを書く。思えばこれが私の長電話なのかもしれない。だから趣味はと問われれば「愚にもつかぬ文章を書くこと」…とでもなるか。これが私の趣味である。
|
| ◆興味関心 |
こんな私でも興味があり関心を持つことはある。それを書いていくのに、まず興味がなく関心もないものを書いた方が"自己紹介”になるのではないかと思う。芸能界のこと、経済界のこと、まずこれには興味もないし関心もわかない。パチンコもカラオケも嫌いだし、競馬・競輪も関心はない。書画、工芸、陶芸などは好きな方だと思うが、自分も書いてみようとか、制作してみようとかの情熱はない。金がないからしようと思ってもできないが、もし金があってもそうはしないと思う。衣服、履き物、持ち物などのファッションには興味も関心もない。衣服は汚れていなければ何でもよいと思うし、持ち物も機能が果たせればそれで十分と思っている。
|
| ◆わたしの習慣 |
毎朝、ラジオ体操。近くの荒川の土手を一時間程度歩く。ウオーキングと称しているが、遠くを見つめるので目のためによいと思っている。読書量は減ったが、書く量は増えているのではないかと思う…が、そんなことはどうでもいい。以前はノートにペン書きだったが、今は何を書くのもパソコンである。これがプラスに思うこともあれば、マイナスにしか思えないこともある。一日数時間は書いているが、まとまったものになっているかどうかはわからない。雑誌の寄稿、連載二本。日本教育新聞への書評寄稿が月、3、4本。まあ、読み書きの習慣は変わっていないと思う。
|
| ◆ゆめ・望み |
いつまで続けられるかわからないが、エッセー集を上梓すること、もう少し”まし”な講演をすること。子どもの頃好きだった絵を描いてみること、そのためにも己の思想をより確かなものにして、その自分の思いを絵にできたらいいなあと思ったり、それがどんなものになるのか、現段階ではさっぱりわからない。イメージすら浮かんでこない。つまり、私の生きていく理念とか目当てとかいうものが、曖昧模糊としているからだろう。
|
| ◆退職後の私 |
退職後の私が未だにいくつかの”社会的役割”をいただいている。いくつかの雑誌への寄稿、不定期であるが原稿の依頼もある。ある新聞への寄稿もある、やはり文章を書くことからは離れたくない。何か書くことがすきなのだと思う。
|
| ◆何をするか、何をしないか |
人には誰にもやらなければならないことがある。最近は、したいことしかしない、それが自由だと嘯くものがいるというが、それは世間を知らない子どもの考えである。したいことをするのが自由ではない、人としてすべきことをするのが自由である。しかもすべきことを気張ってやるのではなく、普通にさりげなくする、それが好ましい。すべきことをしただけで、それを吹聴したり、いちいちほめられることを期待したりするのは幼稚に過ぎる。すべきことをした人には感謝を忘れぬが、自分がしたことには、当然のことですと言って淡々としている、こういう端正さが人としての品格でもある。一国の品格もまた同じ。
ところで、この”人としてすべきこと“”国としてすべきこと“とはなにか。これが一筋縄ではいかないものだ、と思う。
そうは思わないか。
そんなの簡単だ、とか、常識だ、難しく考えるな。…と言って、立ち止まって考えない、こんな傾向があると思うがそれでいいのか。
|