これからの私
過去と他人は変えられない。いくつ何十になっても、人間は、今の、自分しか、変えることが出来ない。どう変えるか、どう変わりたいのかも、すべて自分の内側のことだ。社会が悪い、時代が間違っている、政治がどうだ、エコノミックアニマルがこうだ、などと「他人のせい」にしたところで、そんなところからは何も生まれはしない。今までは今まででどうしようもない。これからはこれからで、それを変えていくのは今の自分の生き方でしかない。自分が生きて働きかけられるのは「今」「現在」のこの「場」だけでしかない。そうすれば「今を大切に生きるしかない」・・・いや、「今、この時、この場、でしか自分は生きられない」、だから今を積極的に生きていくしかない・・・それが、これからの自分を、より、いい方向に変えていくだろう。人生に定年はない。生きている限り常に現役である。
 
 生き方、とくに定年退職後の生き方に二つのタイプが考えられる。一つは、これまでのように上司とか同僚、あるいは部下という人間関係の煩わしさから解放されてうれしい、これからはそういう組織を離れて、自分一人の世界を楽しもう…というタイプ。悠々自適型とでもいうのか、ひとりで自分の好きなことをコツコツやっているというタイプである。もう一つの典型は、同じ趣味とか道楽の人たちと仲間、サークルをつくって、そこで活動したいというタイプ、「お金はいらない。みんなと一緒に仕事をしていくのが楽しい」などという人はそれである。集団活動型とでもいうのか。たいていの人は両端の間にいて、バランスをとって生きていくのであろうが。
 私は、どちらかといえば晴耕雨読の自適型かなと思う。だが「悠々自適」の「悠々」とは、とても恥ずかしくて言えないが、忙しく動き回っている人から見れば「悠々」とみえるだろう。
 
 まあ、どう言おうとそれはどうでもよい。大切なのは、これからの私が何をするかということ、どんなことをしていくかということだ。
 
 私は今のところ、自分の感じたこと、考えたこと、思ったことを、できるだけ忠実に書き残そうと思っている。書いてどうするかは、私が考えることではない。たとえば私は今、寺田寅彦博士の随筆「あひると猿」(雑誌・「文学」所載)を読んで、個性についての感想を抜き書きしたのだが、寺田博士は後年一愛好者が自分の思想に引用することなどと思ってこの文章を書いたのではあるまい。書くのがおもしろいから書いた、書くことが好きだから書いたとしか言えないのだろう。私が書くのも同じだ。
 
 
今までのことは、いいとしましょう。
今まで、どんな失敗をしてきたかとか、
どんな仕事を残してきたかとか、
まあ、そういうことはいいとしましょう。
いいというのは、
どうでもいいという無責任なことではなく、
失敗にこだわったり、とらわれたりしないということ
うまくいったことを自慢したり、
ひけらかしたりしないこと
逆に卑下してみたり
やたらに謙遜してみたり
そんな余分な気を使わないことです
恬淡としているということ
恬淡としていられるということ
これが私の願いです
それはまた私の、
自分に対する戒めにもなります
 
 
 
私の日課
ラジオ体操・ウオーキング
30ページの読書
自己確認のためにも日記をつける
執筆
自己チェック
調身・調息・調心
心は形をつくり 形は心を調える
慎独
 
ウオーキング
一日一時間程度歩く。荒川土手とか、都立東白髭公園とか、コースは決まっているが小雨の日は傘を差して歩く。日差しの日中はやめるが、早朝や夕方が多い。気温の高いときは帰ってきてシャワーを浴びて着替えて終わる。
デジタルカメラで風景を撮る
国内旅行を妻と二人でする。運転は妻、私は下手だからしない。自然の景色に惹かれる。
これから実行すること
人生の峠を越えて、何かをしようとするときに邪魔になるものがいくつかありそうだ。まず価値観。いい歳をした者が今更・・・みっともないなどというプライド、似非の誇りである。体力も気力も落ちているといういう思いこみ、つまり老いることはマイナスでしかないという観念が固定化していること、いや固定化とは何か責任転嫁のような感じがする。体力も気力も、現時点のそこから始めるより手はない。つまり始めるか否かでしかないのである。私は学生諸君に「やれば力が付いてくる」と言ってきた。「やらなければ力などつくわけがない」と言ってきた。これが今の自分にも当然当てはまることだ。何をするかによって身についてくる力・・・能力・・・が違ってくる。これを忘れてはなるまい。


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