雑感
雑感は、雑貨屋のおもしろさ。だがちょっと気のきいた雑貨屋さんはなかなか工夫されている。古道具屋さんとか骨董屋さんとも違っている。そんなページにするのは簡単ではないが、その簡単ではないところがまたいい。
 
 理路整然というのも必要だし、そうでなければならないこtが多いが、ただ何となくそこにあって一応の存在感が感じられるというものもある。図書館の蔵書のように全巻がビシッとそろっているのもイイが、自分の部屋の本とか資料とかはそんなに分類してある必要はない。
 
 だがまた、整然というのは、自分にとって整然としていることで、他の人が見てきちんとしていると感じることを必ずしも必要としない。自分が使いやすければ、他の人が見て乱雑になっているなどどうでもよい。それが使い勝手がいいというヤツで、いわば他の人のことなどかまわない。まあ、まったくかまわないというのは社会人として拙いだろうから、そこで「適当な」整理整頓が常識的となって落ち着くのだろう。
 
 
2005/12/8
 とにかくひどい世の中になったものだ。ミヒャエル・エンデの「モモ」を再度見て、こういう社会の人々と現代社会の私たちとの根本的な違いは何か、考えてみる。エンデは「時間」を取りあげたが、それはその向こうにある金・物欲というものを示唆しているのだろう。モモはそこにいるだけで人々をゆったりさせてくれる。その発する言葉は「どうして?」だけなのに、それが素朴そのもので、人間の生き方の本質を問うものになっているからであろう。人と人とがいがみ合っている。「どうして?」とモモはつぶやくように聞く。モモは本当にそれが分からないのだ。いがみ合う意味がわからないのだ。人は自分なりの生き方で、生きることを楽しめるのに、人が集まっておしゃべりし、お酒を飲んだり、歌を歌って楽しめるのに、そんなことしていては「もったいない」などと言って、好きでもないことを嫌々やっている。金儲けのためにやっている。せっせと動き回る。あくせく働く。モモはその意味がわからない。きれいな自然があるのに天然物を加工して装飾品とやらをつくり、それを身につけようとすることが分からない。宝石や真珠はきれいだが、それはどこかに置いてあるから皆が見て楽しめるのに、それをお金で買って自分の宝石箱にしまっておけば皆は見て楽しめない。自分の所有物にすれば、自分はいつでも見られると思うのだろうが、門外不出などという宝物にしてしまえば、だれにもわからなくなってしまう。日本人の鯉幟がそうだ。窓から鯉幟がよく見えるのに、自分の家にポールを建て大きな鯉幟を挙げる。窓から自分の家の鯉幟は見えないのだ。モモの「どうして?」という素朴なつぶやきは、自分たちの生き方そのものを素直に見直すものをもっている。私たちは、ときどきモモの気持ちになって「どうして?」をつぶやいてみる必要があるようだ。金がほしい、どうして? くるまがほしい。どうして? いい条件の所に就職したい。どうして?・・・という調子で、自分の生き方を考えてみよう。生きることを楽しむには、それ・・・金・もの・贅沢・・・などが必要ののか、かえってそれがゆったり生きることを邪魔をし、生きる楽しさを邪魔しているのではないか。近頃の不正、不祥事、犯罪の底に共通してあるのは金がほしい、もっと欲しいという、我欲ではないか。欲得を離れた生き方、幼子の気持ちが懐かしい。幼い子たちのしぐさ、表情がたまらなく可愛いと、惹かれるのは、自分に失われたものを求めているからか。経済大国といわれるこの国は,経済的に貧しい国に比べて,必ずしも仕合わせとは言い切れない。
2005/11/26
 ふとしたことから懇意になったY氏、この人の多様な才能には舌を巻いた。弱電の会社を興して、そこを45歳で退職して、アメリカロスアンゼルスに住もうと思ったが、何かの都合で帰国、東京の歌舞伎座近くでレストランを開き、イギリスに店を出そうと思ってあれこれ働きかけ・・・今は群馬県○○村で一人暮らし、趣味の家具づくり。やがて、自分の仕事場「木の工房」の近くにユニークなレストランを開きたいとのこと。こういう人の活動の源泉は、サラリーマンとは次元の違うものだ。職人の世界と勤め人の世界との違いをまざまざと知らせてくれた。、
2005/9/25
 下半身麻酔という方が適切なような麻酔を掛けられ、これが尿道、これが膀胱の入り口などと説明されて、自分のそれらをテレビモニターで見ている。いたくも痒くもないが恥ずかしさだけは募っている。そんな検査であり、手術であった。医者や看護士には私の体は単なる検体なのだろうが、見られる私は、恥も外聞も引きずっている人間なのだ。こういう手術はロボット化されたらいいと思ったことだ。術後20日も経て、尿にほんのわずか鮮血が交じっていたので、再度検査してもらった。術後はきれいだと言うし、モニターでそれを見せられたが、素人の私・つまり検体本人には分からない。医師がきれいだ,異常はないと言うのを聞いて、ああそうかと思うだけ。「自分の」身体とは、どれだけ「自分のもの」なのか、自分の意思が関与できる自分とは、いったいどこまでなのか、自分とは何だろうと、恥ずかしさの中で思ったことだ。
2005/8/28
 明日、膀胱の腫瘍手術を受ける。レーザーで切り取るだけだというが、不安がないでもない。だが大騒ぎするとか、騒いでもらう?というのも妙な言い方だが嫌だ。だが家族がそれに全く無関心というのもおもしろくない。入院もないし朝出かけて夕方には帰ってこられるようだから、どうということもないのだが、やはり当人としては心細いのだ。見舞いとか、頑張ってねとか、言われたいというものがある。そんな気になって、やや飛躍するが私の葬儀のときに誰も来なかったら、と思って、少々変な気持ちになった。以前、自分が死んでしまっているのだから人が来ようと来まいとどうでもいいなどと言っていたし、今でもそう思うが、どうもそう割り切れたものでもないらしい。人間などアマイモノだ。
2005/8/25
 パソコンのことが少しはわかってきたかなと思っていたら、またもや落とし穴があった。エラーチェック、最適化を一日がかりでやりおおせて、新しく立ち上げたら、cheking file system on C:という文字で始まるメッセージが出て、しばらく動かない。じっと待てばいいのかも知れないし、待っていたらどうなるかもわからないと不安になる。思い切って電源を切ってやり直すが,何回かこれを繰り返すことになる。ようやく正常に立ち上がるが、今度は終了が怖い、終了してつぎに立ち上げるとき、また同じことを繰り返さなければならないのかと思うからだ。こんなとき電話サポートを受けることになる。その電話もなかなかつながらないし…と、不安は消えない。それが今進行中。電話が案外早くつながってサポーターの言うことには、強制終了したときにそういうページが出るようになっているとのこと。修正プログラムを教えてもらってどうやら正常に使えるようになったらしい。
2005/5/29
 HP更新をしようと思って、文章を書いてアップロードを欠けるのだが、サーバーが見つかりません、というメッセージが出てしまう。これをどう考え、どう処理したらよいのか。
2004/11/30
 e-machineがなにかわからないと書いたが、わからないのはそれだけではない。時折入ってくる郵便物に「ご入会いただき有り難うございます、ついてはこのようなことを書いて送って下さい」などという類の物があるのもわからない。こちらは入会した覚えなどないからだが、こちらの住所氏名がきちんと打ち込んであり、しかも相手方が名の知れている企業だから気味が悪い。こちらが間違ったのかな、迷惑かけているのかななどと思ってしまう。変な世の中だ。
 
2004/11/17
 新しいものには手が出ない。古いものには飽き飽きした。そんなことを実感した。秋葉原の電気街へ行って、e-machineなどというものを眺めていて、そんな感じがしてきた。自分の部屋のテレビの画面が乱れるようになって、今度は薄型のものにしようと思っているのだが、DVDプレイヤーも内蔵しているのがいいと思って、見て歩いて、わからなくなって帰ってきた。新しいものは何がどうなっているのか、どうも具体的にはわからない・・・となる。
2004/9/23
 研修会に招かれて講演をさせてもらって、うれしいことは自分の気持ちを話していて、今更のように新鮮な発見をした思いをすることである。話すとは「放つ」、あるいは「離れる」が語源の言葉だというが、話すは結局自分の心の中のものを言語にしていく働きで、体外化することと言ってもいい。今日も今日で、生徒指導の話をさせてもらって、「人を責めるな、責める心は針鼠」を実感したことだ。「心は形をつくり、形は心を調える」とあるのも真から頷けた。教師(親)の発する言葉、それは教師(親)の心のあらわれで、「こら、なにをやっているのか!」「どうして呼ばれたかわかるわね」などというあらわれは、相手を責める心そのものだ。「なにかあったのかな」「まあそこに掛けなさい」というニュアンスとは違う。相手を責めれば自分も責められるか、相手に逃げられるかで、到底気持ちの知らせ合いにはならない。気持ちの知らせ合い、触れ合いを求めるといって相手を責めているのは、自分に責める気持ちがあるからだろう。あらためて「悪者だらけの家庭はしあわせ」と実感しつつ、責める心は針鼠、責めたり憎んだりの心そのものが不幸をつくると身にしみていた。これが今日の収穫、有り難いことだ。
2004/8/24
 テレビでローマの闘牛場のことを解説していた。牛と人間の闘いというのが、私にはしっくりこなかったのだが、もともとは人間同士の闘いを、大勢の見物人が見て、興奮し、楽しむというものであったらしい。相撲とか、ボクシングと同じで、取り仕切るのが相撲協会とかボクシングコミッショナーではなく、アウグストウスといった帝王であったのだ。相撲が化粧廻しをつけて土俵入りをするのと同じような儀式があったらしいし、闘士養成所のようなところ、相撲部屋と同じシステムもあったらしい。どうもわれわれ人間には、闘争を好む部分があって、自分がするのではなく、他にさせて(他というのは犯罪人とか奴隷とからしいが)それを見て楽しむというサデスチックな面と、それをやらせて庶民の楽しみを演出し、それを己の名声につなげようとする狡猾な面とが、あるらしい。時代が変わっても人間の本質は変わりがないようだ。オリンピックは近代オリンピックなどと「近代」を強調するが、その本質は古典的、いや原初的だといってもよいのではないか。
2004/7/22
 地球温暖化ということばは知っていても、コトバを知っているだけ、その地球上にいてそこから逃れようもない私は、それこそあれよあれよと言っているだけ、打つ手なしである。国としては他国に先駆けて京都議定書なるものを批准して、それなりの対策を講じているのだが未だに議定書を批准しないアメリカのような国もある。それかこれか、とにかく近年の気象の異常さは気味が悪い。逃げ場のない酷暑、クーラーをつけては、これが自分の首を絞めていると不安になる。罪障感というのか、自分がなにか罪をつくっているような気がするのだ。
2004/6/13
 全国的に晴れだというのに東京は朝から雨。ラジオ体操もウオーキングも午後からにしよう。…と書いてきて、ラジオ体操もいちじかんていどのウオーキングも私の習慣になっているなとあらためて感じた。だが昨日の夕刊にウオーキングの仕方についてこれまでとは違う意見があって、これが気になっている。「健康ウオーク腹筋に秘密」とタイトルにあって、「大きく腕を振り、大股で少し汗ばむくらいに歩くというのは、いかにも健康に良さそうだ。だが「それは間違った歩き方です」という。法人「ウオーキング研究所」の話だという。「歩くとき、下半身だけでなく全身を使うことが大切、それには腹筋をうまく使うのがコツ」とある。具体的には@腹筋にかるく力を入れ,みぞおちを持ち上げる気分で、A背筋を伸ばした姿勢を保つ、B着地はつま先を30度あげてかかとから、Cひざは曲げすぎない、D歩幅は肩幅よりやや広めで、腕をあまり振らない。腕を振ると腰が引けバランスが崩れやすくなる。…とある。
2004/3/23
 国立西洋美術館へ行って来た。古代ローマ彫刻展、ヴァチカン美術館所蔵の大理石彫像を見てきた。当然というのだろうか、これらの彫像は古代ローマの人々の願望(死後にも現世での自分の生活を残しておきたいとか、自分が愛するものに自分の気持ちを捧げたいとかの願望)を具現化する手だてとしてつくられたもの、その意味ではすこぶる人間的なもである。石棺の蓋に文字を彫って己の願いを表した初期のもの、それが線画になり、彫刻になってくる。そういう歴史と共に器用な者がその手腕を買われて彫刻の職人となり、芸術家と称されるようになっていったのであろう。初期の単純な線画が、得も言われぬ物語性を醸しているのにも感じ入ったが、その作者は知られていない。これは彫像にしても同じで、有名なカラカラ帝のあの見事な感情表現は誰が制作したのかは不明である。権力者の肖像は権力者の名によって残っているが、制作者、あるいは制作者集団の名はなくなっている。それが、ロダンの「地獄の門」のように制作者(集団)の名と共に作品が残されるようになったのはいつのころからなのか。
2004/2/23
 男の記憶と女の物覚えと、やはり違うのだろうか。まあ、記憶と言うより興味関心の違いなのだろうが、男は(というのは私個人のことだ)他からどう見られるかよりは、今の自分がこう感じるから、それでいいのだといういわば単純そのもので、何かをやる。あるいはやろうとする。女(つまりこの場合は妻だが)は、いつか誰某に(それも、しっかり名前を覚えている)こう言われた、だから「それ」は持って行かれないとか、まあ過去の記憶に己の行動を左右される、男はそんなのどうでもいいと聞き流すが、女は聞き流すなど出来はしない。他の目が気になる。自分でいいと思っても、他の目がそれをどう思うかが気になって、いわばみんなに会わせていこうとする。そんな傾向があるのではないかな。…とこのように書いてきて、私と妻のやりとりから感じたことを、男の特徴とか女の性情とか一般化するのはどうかなとも思っている。
2003/12/6
 NHKラジオの「子ども相談室」で三浦雄一郎さんが子どもらに語っていたことがおもしろかった。この人は70歳でエベレスト登頂したということで知られているが、子どもの頃は病弱で二年間休学していたという。父親に連れられて東北大学山岳部と共に山へ行ったのがきっかけになったというが、「おもしろいな、楽しいな」と思うことをやることが、「自分が伸びること」だという。「好きなこと」「自分が楽しいと思うこと」を「やる」ことが人を鍛え、伸ばしていくという、これは、よく言われる当たり前のこと、平凡なことのようだが、この人が言うとぐんと重みが増す。エベレスト登山には20キロの荷物を持って9000メートル近くへ行くという。それは死ぬほどの苦しみだが、登頂すれば、今度は降りられるか猛烈な不安が襲うという、実際に途中で風速2000メートルというような風に飛ばされ岩にぶつかったり、死ぬ思いをして、(一瞬気を失うようなことがあって)それでも生きていたと思うことがあったとか、そういうことを経て、帰ってきた。帰ってきて、あああの苦しかったときが楽しかったのだなと思うこともある。そんなこと、優しい語り口ながら厳しい話であった。
2003/9/26
 北海道で地震があって大きな被害があった。私がベッドで地震があったと聞いたのは四時台だったが、今8時になったばかり、そのわずかな時間に大変な思いをした人、いや今でも大変な不安に苛まされている人がいる。私がパソコンに向かっていられるのは桁違いに幸運なことだ。幸運、不運、それは人智の及ばざることだ。
2003/8/29
 私のような夫婦だけで暮らしている者は少なくないと思うので、そういう人に聞きたいことがある。それは夫婦で何を話しているのかということ。会話とか対話とかがないとか、少ないとか言う人が少なくないだろうが、それにしても何かは話すだろう。それに注目していて、少しでもいいから、それを分析?してみる。私の場合で言えば、妻から注文とか、苦情とか、文句、非難などが多く、少ないのは感謝、慰労のことばなど、こんなことで無口になるが、無口だとまたおもしろくないと、思われるから、気を使うことになる。
2003/7/24
 生徒指導に関する講演をしながら、人間がしっかり声を出して自分の気持ちを言葉にしていくことは、随分勉強になるものだなと、今更のように実感した。今の私のようにただ机の前にこうして座って、考えを書いていくのも勉強にならないわけではないが、何十人、何百人という人を前に、自分の考えを語っていくことは、執筆とは違った緊張があり、聞き手の反応がビシビシ伝わって来るから、喜びも落胆?もある。聞き手と共に話の構成が生まれてくる気がする。そして、私はこういうときが好きだと感じていた。講演が好きとは話ながら気づいたり、おおっと思うほどの発見に出会うからだと言えそうだ。
2003/6/27
 パソコンの操作が分からなくてあれこれやっているときが、変な言い方だが、やっているなと言うときで、それが一山越えてしまうとまたつまらないなとしか感じられない時期になる。そんなことの繰り返し、それが生きていくことだろうか。紆余曲折、七転び八起き。晴れと祁の繰り返し。
2003/5/13
 昭和一桁生まれの私は、昭和10年代の教育を受けたわけだが、今にして思うのは子どもはどんな教育を受けるかはまったく運命的なもので、当人の意思などはまったく考慮されないということ、これは考えれば恐ろしいことだ。というのは私の意思の根底にあるものは統一された社会こそ安定しているとの考えで、平たく言えば常識から逸脱した考えは許されないというもの、ましてや行為行動は忌避されて然るべきというものがある。これがわたしの考えの基盤になっているようだ。だから、ホームレスも白装束の集団も、不登校もおかしなことでは共通したものがあると思われる。私の子どもの頃の、一種の国家統制の時代には、そういう異端の考えも、行為も行動もなかった。それらが生まれてきたのは、この社会に統制という縛りがなくなった証とも考えられる。それがいいとか、よくないとかではなく、そういう社会現象なのだと思った方がよかろう。
2003/4/20
 ゆとり教育について賛成か反対かというアンケートが産経新聞のページにあって、賛成はわずか16%という結果がでていた。こういうアンケートそのものは使われ方次第で物議を招くが、それは「ゆとり教育」という言い方がそこにあると思われる。「ゆとりある教育」を標榜するという言い方と、「ゆとり教育」という言い方には明らかに違いがあるのに、それがごっちゃになって、「だから学力が低くなっている」「だから今の子は勉強しない、目的意識が希薄である」などと結びつけられるのは、ますますポイントがずれていく。
2003/2/25
 ホームページを開設しました。私のような年寄りが、ソフトがあるとは言いながら、実際に開設までくるには容易なことではなかった。まあ、よくやった。自分が自分をほめてやりたい・・・と思う気持ちもないではない。
| ホーム | プロフィール | 日記 | フォトギャラリー | コラム | リンク集 | What's New | その他 |
| 掲示板 |



メールはこちらまで。