開祖について
今年は1980年5月12日に開祖が亡くなられてから、既に28年になります。
30年近くも経つと開祖を知らない、つまりテープやビデオで知ってはいても実際に開祖の生の声を聴き、その姿に接した人は少なくなりました。
1980年というと、ちょうど私が本部の武専研究科を修了した年です。当時研究科は香川県多度津の本部にしかありませんでしたから、毎月は、無理でも私は四年の間、最低1年に7回は多度津まで通いました。
夜行列車で土曜日の晩に東京駅を発ち、翌朝早く多度津に着き、朝食に老夫婦二人でやっている小さなうどん屋で、かけうどんを食べて本部に行くのが常でした。武専の午前中には必ず開祖法話がありました。開祖は当時から心臓の持病があり体調のすぐれない時もあったようですが、一度演壇に立つとそんなことは微塵も感じさせない迫力で、私たちに語りかけてくれました。
いつも最低2時間は話されましたが、昔の武勇伝なども話の合間に入れて、最後まで少しも退屈させませんでした。
開祖の魅力的な話ぶりは話術というよりも話力でした。
法話を聴いた後は、不思議に力が漲り、少林寺拳法の拳士である誇りと自信が体中に満ち溢れました。それは私だけではなく、帰りの宇高連絡船(宇野 ⇔ 高松)の中で、またうどん(これもまた美味い!)を食べながら、エネルギーを充電された仲間達が興奮して少林寺拳法について熱く語り合っていたことからもうかがえます。
なぜ開祖の話が私たちをそんなに魅きつけたのか?
その根源は開祖の強い愛国心にあったのではないかと思います。「人、人、人、すべては人の質にある。」
私たちに日本人としての誇りと自信と勇気、そして慈悲心を持ってほしい、そしてそれを一人でも多くの人に分かってほしい。そんな強い思いが話す姿、言葉に凝縮されているかのようでした。
話し終わって控え室に戻られた時、倒れこんでしまわれることも、しばしばあったということも聞きました。開祖にとって命をかけた法話だったのです。
開祖遷化の報を聞いた時は涙が止まりませんでした。少し落ち着いた頃、四年もの間、開祖の法話を直接聴けた喜びがひしひしと胸に迫ってきました。
5月12日になると開祖の演壇で語る姿が、そして現代の社会にそのまま通ずる先見性に富んだ法話があらためて耳に甦って来るのです。
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