
名草キリスト教会で牧会をさせていただいている三宅弘之です。家内はかつて日本で宣教師として働いていたドイツ人の恵理歌と言います。
この教会に赴任する前、イスラエルで12年間住んでいました。目を閉じると今もエルサレムの新市街の通りや旧市街の様子、それにガリラヤ地方やテルアビブなどなどが思い出され胸が熱くなります。
私が信仰に導かれたのは20歳の時でした。それは、ある本で「心の貧しい人たちは幸いである。天国は彼らのものである。悲しんでいる人たちは幸いである。慰められるであろう。」というイエス・キリストの言葉を読んだことがきっかけとなりました。
心が貧しいということは、不幸なことであり、悲しんでいるということも不幸なことであるのに、イエス・キリストは、「幸いである」と言われる。それは、一体どういう意味なんだろうと思わされたのです。
自分自身が、心の貧しいもの、また、自分で自分を制することができないことに悲しみを覚えていましたので、ここで、イエス・キリストがそういう人は幸いであると言われるのを見て、聖書にきっと何か答えがあるのではないかと聖書(新約聖書)を購入して、自分で読むようになり、その答えを見出しました。
そして、今本当にその幸いの意味を知りました。
普通、私たちが考える幸いは、豊かさであるとか、人との良い関係であるとか物や他の人に関連しています。でも、それは壊れやすく、幸せと思った瞬間に消えてしまうようなものです。でも、イエス・キリストを通して知った幸いは、いかなるときにもなくならない本当の幸いです。
この本当の幸いを皆さんにも知ってほしいと心から願っています。