あーちゃんの憂鬱。

あーちゃんが闘っている"ペルテス病"の事
 
ペルテス病とは大腿骨頭に阻血性壊死(血流が途絶えて
組織が死んでしまう事)が起こる原因不明の疾患です。
幸いな事に、ほとんどが完治すると言われていますが、
完治するまでには2〜6年かかるとも言われています。
 
その治療法は様々ですが、あーちゃんは、補装具での治療を、自ら選択しました。
現在、約2年間の補装具での治療期間を終え、経過観察の日々を送っています。
6      自分を責める日々。
その日を境に、あーちゃんの生活は一変しました。幼稚園を休み、家の中でも、ほとんど動けず、抱っこをするようになりました。また、外に出る時は車椅子…他人からの好奇の目が、痛いくらいに突き刺さって来ました。痛みも訴えていなかったのに、こんなに元気なのに…なんで病気を見付けてしまったのだろうと思う気持ちと、大手術のあと職場に復帰していた主人の事に気を取られて、あーちゃんの足の異変に気付くのが遅かったのではないだろうかと言う気持ち…が入り混じって、どちらにしても自分を責める日々が続きました。
7      ペルテス病って…。
それからは、夢中でペルテス病についての勉強を始めました。ネットでだんごママさんのHPを見つけ…"ペルテス病は必ず治ります"って言葉に、とても勇気付けられました。ペルテス病の息子さんの為に、いろいろな工夫をしているKouのママさんのHPも見つけました。私達も泣いてばかりはいられないって、思いました。
8      セカンドオピニオンを訪ねて。
ペルテス病の事を良くご存知だと言う、心身障害児総合医療センターの坂口亮先生を訪ねました。先生の治療法は、手術も…そして補装具も付けないと言うものでした。補装具を付けて、85点を目指すより、最終的には80点でも合格点に届けば良いじゃないか、そのたった5点か10点の為に、長期に渡って補装具を付けると言う精神的苦痛を強いる事の方が、よりマイナスではないかとの事でした。私達夫婦の心は大きく揺らぎました。
9      あーちゃんの決心。
あーちゃんは、当時4歳でしたが、自分の病気を子供なりに受け止めて、補装具を付けて治療する事に、自分なりに覚悟を決めているようでした。そんな息子をよそに…私達夫婦の心はまだ揺らいでいました。ただ、坂口先生からの「初期の段階では、骨頭の壊死を最小限に食い止める為に、確かに補装具は有効です。」と言う言葉に賭ける事にしました。とにかく、どんな補装具が出来るのか?それを付けて、あーちゃんがどれだけの事が出来るのか?それすらわからない状態でした、全ては補装具が完成してから…もう1度、考えようと思いました。
10      複雑な思い…。
最初に主治医から"ペルテス病"と告げられた時に、言われた言葉がありました。それは「幸い、命を取られる病気ではないですよ。」って言葉でした。その時の主人は、肺がんの為に、片肺を取ると言う大手術をしたにも関わらず、5年生存率が3割、あるかないかの身体だったのです、とても複雑な思いでした。それでも主人にとっては、自分への癌の告知以上に、息子の病の事がショックだったようでした。滋賀県にペルテス病を何例も診ている病院があると知った時、主人は仕事から帰ってくるなり私に言いました「俺、滋賀まで、息子を連れて走るよ。」その時の貴方の真剣な眼差しと、息子への無償の愛を私は生涯忘れる事はないでしょう。でも、その時の主人の身体で、滋賀まで車を走らせる事は、とてもさせられない…と思いました。「とにかく補装具が完成したら、それから滋賀に行っても遅くはないのだから…。」と答えるのが精一杯でした。
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最終更新日:2007/8/21

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