あーちゃんの憂鬱。

あーちゃんが闘っている"ペルテス病"の事
 
ペルテス病とは大腿骨頭に阻血性壊死(血流が途絶えて
組織が死んでしまう事)が起こる原因不明の疾患です。
幸いな事に、ほとんどが完治すると言われていますが、
完治するまでには2〜6年かかるとも言われています。
 
その治療法は様々ですが、あーちゃんは、補装具での治療を、自ら選択しました。
現在、約2年間の補装具での治療期間を終え、経過観察の日々を送っています。
16      父の日参観。
その日は、あーちゃんの幼稚園は"父の日参観"。お父さんの為の唄を歌って、最後には手作りのプレゼントを渡すんです、照れくさそうに渡すあーちゃんの顔と、貴方の嬉しそうな笑顔を、見ているだけで、とっても幸せな気分になりました。で、最後の最後は…お父さんの肩車で記念撮影〜私の制止も聞かずに、片肺になった身体で、補装具を付けたあーちゃんを、懸命に肩車した貴方…その姿が涙で曇ってしまった事、そして〜来年からも…どうか、この姿が見られますようにと、願った事を昨日の事の様に思い出します。結局、その願いは届かなかったけれど…貴方の息子への深い愛情だけは、永遠に引き継いで行こうと思っています。
17      園バスに乗せてもらえない。
少しずつ補装具を付けての園生活にも慣れて来て、通常の2時までの保育となりました。でも〜以前と同じように、園バスに乗る事は、園側から最終的にお断りされました。その理由としては、園バスには通常1人の先生しか付き添わない事、急ブレーキをかけた時等に危険な事、そして乗り降りが危険と言う事でした。誰よりも、クルマが大好きで…園バスに乗る事も大好きなあーちゃん。それでも、あーちゃんは、その事さえ…小さい胸の中で、しっかりと納得させて、消化したようでした。という事で、これまで通り、毎日〜私がクルマで送り迎えする事となりました。
18      プールも駄目だった。
あーちゃんの幼稚園では、7月に入るとプール遊びが始まります。で、恐る恐る主治医に尋ねました「あの〜プールは良いですかねぇ?」「あ〜良いよ。」との答え…何だ良かったと思った瞬間…チョッと待てコールがかかりました「幼稚園のプールって浅いよね。」「そうです、ちょうど大人の膝下くらいです。」「じゃー駄目…、装具外して、そこいらで走り回っているのと同じだから…、残念だけど見学だな。」プールも駄目なのかぁ〜、ガックリしている私の横には、もう、そんな事、慣れっこだよ、と言う顔をした、あーちゃんがいました。
19      サードオピニオン。
あーちゃんの通院している病院は、都立の肢体不自由児の専門の病院です。そこには、小児科の他に、週に何回か整形外科の診察があり、2人の整形外科の先生が嘱託と言う形で、診察を行っています。あーちゃんの主治医はK先生ですが、もう一人の先生は、坂口亮先生が院長を勤める、心身障害児総合医療センターから来ている先生なのです。で、思い切って、その先生にも意見を伺う事にしました、先生の意見はこうでした「確かに、院長の治療法は何もしない事だけど…、ペルテス病には、診断するポイントが5つあって、今の段階で、そのうち3つは良いのだけれど、2つは悪くなる可能性が見られているよ…僕はこのままK先生に着いて行く事を、勧めるよ。」またも、心は大きく揺れるのでした。
20      父親として…、母親として…。
私達夫婦は、時には声を荒げながら…、何度も何度も話し合いました。そして…悩みに悩んだ末、一つの結論を出しました。それは、このまま、あーちゃんが頑張れるところまで、補装具を付けての治療を選ぼうと言う事でした。その結論を出した後で、主人は「彼が大人になった時は、もっと医学も進んでいるだろうし"何であの時、僕の両親はあんな治療法を選択したんだろう。"と、俺らを恨むような時が来るかも知れない、それはたとえ手術を選んだとしても、治療をしない事を選んだとしても…同じ事だと思う。その時に俺達は、君の為に最善を尽くしたんだと言う言い訳だけはするのをやめよう。両親の最善が、子供にとって、いつも最善とは限らないのだから…。その時は、黙って彼の思いを受け止める覚悟をしておこう。」と、言いました。そんな格好良い事を言い残して、主人はさっさと逝ってしまいました。で、苦情受付係は私一人になっちゃいました。でも、貴方の息子への溢れるほどの愛情と思いは…必ず私が引き継いで行きます。
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最終更新日:2007/8/21

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