私の最愛の人。

ここに書き込むのは、全部…おのろけです。
これでもかって言うくらい…書いてやる〜。
でも、言葉なんかでは表せないほど…素敵な人だよね、ねぇ貴方。
「我が胸の燃ゆる心にくらぶれば 煙はうすし 桜島山」
たくさんの愛をありがとう。永遠に愛する人へ〜。
 
私の最愛の人。
決して言い訳をする事は無く、女・子供には絶対に手を上げない、まさに"九州男児"そのもののような人でした。
仕事は大型トラックの運転手、主に東京から愛知まで走ってました。(勤務中に内緒で1度だけ、助手席に乗せてもらいました。短いドライブでしたが…見晴らしが良くって気持ち良かったです。)
 
生きて行く事に迷う時、いつも貴方の声がする
「で、それを決めたのは君自身でしょう?」って、
厳しくて、そしてこの上なく優しいささやき…。
 
 
病歴
2001年7月31日 肺腺癌Vb期告知
2001年8月17日 左肺全摘術、及びリンパ郭清を受ける。
2002年1月 職場復帰
2002年7月 癌再発の告知 抗癌剤・放射線治療を受ける。
2003年1月 2度目の職場復帰
2003年3月 2度目の癌再発、中枢神経への転移、癌性髄膜炎併発。
2003年5月26日 在宅にて、旅立つ。
 
私の教祖様。
貴方の病気、そして長男の病気と…続いた時に、お約束の○○宗教からの、熱心なお誘いを受ける事となりました。お話を伺って〜どう考えても変とは思いながら…、それでも私はこうお断りしました。「貴方がたの信じている教祖様がたとえどんなに素晴らしい人だったとしても、私にとっては主人こそが…一番尊敬する人なのです、私にとっては主人以上の人など考えられません。」ちょっと、誉め過ぎだったかなぁ〜って思いながら…。貴方が遠い存在になった今でも、その気持ちは変わりません。貴方こそが、私の教祖様なのです。
出逢い。
1998年8月17日〜私達は、ある人の紹介で、初めて出逢いました。その時の私は、精神的に少し疲れていて…正直、気が進まなかったんです。でも、すぐ近くに住んでいて、最寄の駅で逢えるとの事で、重い腰を上げる事としにしました。それが…私達のはじまりでした。本当はね、私の重い腰を上げさせたのは…近かった事じゃなくって「待ち合わせの目印に、胸に赤い薔薇でもさして行きましょうか?」と言った、貴方の笑えない冗談の言葉に魅かれたからかも知れません、さすがに…照れ屋の貴方は週刊誌を持っている事を目印にしてくれましたが…。
第1印象。
紹介してくれた人からは、35歳と聞いていたのに…貴方はそれ以上に若く見えました。いろいろな話しをした…と言うよりは聞かせれました、貴方の話を聞いているのは、楽しかったけれど〜私の名前を「定食屋さんみたいな名前。」なんて言いやがった事だけは、ちょっと言うか、かなり頭に来ました。で、別れ際に「俺38歳なんですけど、聞いてましたか?」って突然、言われました、えぇ〜全然、聞いてないよ〜。35歳にしても若いと思っていたのに、38歳だったなんて…、でも、もう歳の事は、どうでも良いかって思ったりしました。
縁はなかったと思ったのに…。
あくまでも社交辞令(本人申告による)で「次の休みに、ドライブでも…。」っと言ってくれた貴方に、恐れ多くも私は"ごめんない"をしてしまいました…しかもその理由は"プロレス観戦"に行く為でした。紹介してくれた人から、「そんな断わり方をしたんじゃねぇ〜、縁はなかったはねぇ〜。」とまで言われてしまいました。まぁいいか!と思っていたのだけど…、貴方は"女のくせにプロレス観戦〜、しかも俺の社交辞令の誘いを断わって〜"なんて思うような、心の狭い人では、なかったようでした。
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最終更新日:2007/11/24

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