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| [2] あかし「感動を与えるクリスマス」 山下 美里 | ||
もうすぐクリスマスですね。イエス・キリストを信じている人もそうではない人もこの時期になるとなぜか心があたたかくなりますね。平等に私達に愛を感じさせて下さる神様に感謝します。このあたたかい気持ちは実は神様から来ているものだということをあなたはご存じでしょうか?もし、クリスマスの本当の意味を知ってお祝いするなら神様はあなたにもっと特別なプレゼントを下さいます。
私が初めて本当のクリスマスをお祝いしたのは4歳の頃でした。ミッション系の幼稚園へ通っていましたが、クリスマスの賛美歌、イエス・キリスト降誕劇、キャンドルサービスなどを初めて体験して私は小さな子供でしたがおごそかな雰囲気の中に喜びがありすごく感動して心があたたかくなりました。降誕劇から、イエス様は神様なのにきれいな環境とは言えない家畜小屋でお生まれになり、家畜のエサを入れる飼い葉おけで眠っていたと知って驚きました。人間の考えを遙かに上回っているこの神秘的な降誕の過程に深い意味がある気がします。
クリスマス会が終わって家に帰るまでの道を星がそれはきれいに輝いて照らしていたのを今でも鮮明に覚えています。現在、私は親として、小さい時にこそ本物を知ることの大切さを実感しています。
娘はもうすぐ3歳になります。今の彼女にはクリスマスツリーやケーキの方が魅力的なようですが今年は大分、物心がついてきたので娘と一緒に教会でイエス様のお誕生をお祝いできるのを楽しみにしています。
イエス様はなぜ、約2000年前に私達と同じ人間の姿でこの地上にお生まれになったのでしょう?
今年も私達の教会ではイエス様のご降誕をお祝いするイベントをたくさんご用意しています。皆さんもご一緒にクリスマスをお祝いしませんか?どうぞお気軽にお来し下さいますように心からお待ちしております。
---きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。---
札幌西福音キリスト教会 会員
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| [3] 「心を新しくするもの」 相馬 剛牧師 | ||
私の家の近くに、発寒川公園があります。ゴールデンウイークのある朝早く、そこを散歩しました。ちょうど桜が咲き始め、ほぼ満開でした。川は山からの雪解けの水が勢いよく音を立てて流れています。地面も緑の草や、芝生が生え始め、木も緑の葉をつけ始めていました。その美しい、澄みきった自然の中を歩いていると、心が洗われるような気持ちでした。確かに自然はすばらしく、私たちの心を潤し、力づけてくれます。旧約聖書詩篇19篇に詩人ダビデはこう言っています。
「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。話しもなく、言葉もなく、その声も聞かれない。しかし、その呼び声は全地に響き渡り、そのことばは、地の果てまで届いた。」
そうです。自然は私たちに、直接話したり、声をかけたりはしません。でも、その自然を見ていると何かを私たちに語っているような気がします。その美しさ、清らかさをもって私たちの心を洗ってくれるような気がします。自然は、人の心を育み、いやし、慰めます。しかし私自身が、このように思うようになったのは、天地の創造者である神を知るようになってからです。それまでは自然を見ても、特に感じるものはありませんでした。しかし、聖書を通して、神が天と地を創造されたということを知るようになってから、自然の見方が変えられたのです。
聖書は自然と同様に、いやそれ以上に私たちの心に語りかけ、私たちの心を慰め、励まし、力づけ、私たちの過ちを示し、正しい道を教え、私たちに平安と希望を与えてくれます。今日、若者の道徳教育の重要さが叫ばれています。確かに、今の時代にそういうものが必要になってきています。多くの人は何のために生まれ、何のために生きていくのかを分らないまま歩んでいます。そういう意味で、何か道しるべとなるものが必要です。だからといって、昔の道徳教育をすればよいというものではないと思います。再び、昔の過ちを繰り返さないことが大切です。そういうことを考えてみると、聖書の大切さと素晴しさを実感します。先ほどの詩人ダビデは、同じ詩篇でこう言っています。
「主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのないものを賢くする。主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。」
自然が私たちの心を爽やかにし、癒してくれるように、聖書は私たちの心を新しくし、きよめ、励ましてくれます。聖書はいのちのことばで、真実なイエス・キリストを示し、イエス・キリストへと私たちを導いてくれます。そして私たちが聖書を通してイエス・キリストと交わっていくと、いつも心が洗われ、新しくされ、力づけられるのです。あなたも聖書を読み、ご一緒に学んでみませんか。
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| [4] 「永遠の宝」 相馬 剛牧師 | ||
2007.1.7礼拝メッセージ要約
あなたは将来何になりたいでしょうか?金持ちになりたいでしょうか?金は大切です。生きていくために、生活するために必要ですね。私も小さいころ、金持ちになりたかったです。お金がたくさんあれば、将来安心して生きていけると思いました。しかし、お金よりももっと大切なものがあります。それは何でしょうか?それはいのちです。いのちほど大切なものはありません。でも、このいのちは、いつか死んでしまいます。「死なないで、いつまでも生きていることができればいいのに」と思ったことはないでしょうか。実は、神様がそれを与えてくださるのです。それはすばらしい宝です。では神様は、どのようにしてそれを与えてくださるのでしょうか?
それは、人間を新しく生まれさせて、新しく生まれた人間に与えてくださるのです。というのは、人間はこのままのいのちでは、そのすばらしい宝を頂いても、持ちこたえることができないのです。あなたは、野菜や、果物や、パンや、魚などを買ったとき、古い破れそうな袋に入れるでしょうか。入れませんね。新しい、しっかりした袋に入れますね。そうしないと破れて、持ちこたえることができなくなってしまいます。でも新しく、しっかりしたものなら持ちこたえることができます。同じように、私たちが神様のすばらしい宝を頂くには、このままのいのちでは古くて、弱くて、持ちこたえることは出来ないのです。そこで神様は、私たちを新しく生まれさせて、その宝を持つことができるようにしてくださいます。では、どのようにして新しく生まれさせてくれるのでしょうか?
それは神様がご自分のひとり子であるイエス様を遣わしくださって、イエスさまが私たちを救うために十字架にかかってくださり、死んで、墓に葬られ、三日目によみがえってくださったのです。そして私たちがそのイエス様を信じると、新しく生まれさせていただけるのです。それによって、神様は、私達に、この素晴らしい宝を与えてくださるのです。ではこの宝は、どういうものでしょうか?どういう性質のものでしょうか?
それは、壊れたり、古くなったり、汚れたり、しみがついたり、花のように、しおれたり、枯れたたりするものではなく、いつも輝いており、いつも生き生きして、いつまでも新しいのです。では、そのすばらしい宝は、どこにあるのでしょうか?どこにしまってあるのでしょうか?銀行でしょうか?郵便局でしょうか?それともお家の金庫の中でしょうか?
それは天国です。天国は一番安全なところです。そこは虫がついたり、錆がついたり、泥棒に盗まれたりすることはありません。では、そのすばらしい宝は、何時いただけるのでしょうか?
それは今です。神様は、今、あなたにイエス様をお与えになっているのです。イエス様は今から約2000年前にこの世に来られ、私たちの罪のために十字架で死なれましたけれど、3日目によみがえられ、今もイエス様を信じる人に永遠のいのちを与えてくださるのです。それだけでなくあなたの祈りを聞いてくださり、あなたを励まし、慰め、強めてくださるのです。そしてお私達の手をしっかりとって、天国に導いてくださるのです。そして、天国に行ったらあなたは、イエス様のような完全な体、病気しないからだ、弱くならないからだ、死ぬことのないからだ、いつも生き生きしているからだにされるのです。何と素晴らしい事でしょう。これはお金で買うことが出来るでしょうか?出来ません。お金よりもすばらしい宝です。
あなたもこの素晴らしい宝についてもっと知りたいと思わないでしょうか。どうぞ教会にいらしてください。分かり易くお話しさせていただきます。
「神はご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。また、朽ちることも汚れることも、消えていくこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために天に貯えられているのです」(新約聖書1ぺテロ1:3〜4)
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| [5] 「人生の解決は?」 相馬 剛牧師 | ||
私たちは、人生について様々な疑問を持っています。どうしてこの世に悪があるのか、どうして悲しみや不幸があるのか、どうして死があるのかなどについてです。
私も少年の頃、こういうことを考えたことがありました。どうして家庭の中に争いがあるのか、どうして国と国が戦わなければならないのか、どうして人間は偽ったり、不正をしたりしなければならないのか。これらについて語っている本を読んだり、自分で考えたりしたのですが、納得できる説明はありませんでした。
しかし私は、聖書に出会い、聖書を読むことによって、その答えを見いだすことができました。聖書は何と言っているでしょうか。
第一に、人生の諸問題は環境によるのではなく、人間自身にあると言っています。それに対して「いや、そうではない。」と言って反対する人たちがいるかもしれません。その人たちは「もし、人間に良い環境が与えられるなら、人間は正しい者になり、正しい状態にいることができる。」と言います。
ところが聖書によると、人間の諸問題は初めからあったのではなく、人間は最初から良い環境におり、人間に必要なものはすべて与えられ、何一つ不足するものはなかったことがわかります。しかし、人間はその完全な環境の中で罪を犯し、パラダイスの人生をみじめな人生に変えてしまったのです。
第二に私たちの問題の根本原因は、神との誤った関係にあると言っています。この世はこの事実を受け入れようとしません。この世は、神との関係について取り組もうとしません。人間は自分自身のために神に従うよりも自分自身に従うのが最善であると思っているのです。ですからこの世は今も混沌としています。政界、経済界、宗教界、家庭、学校、みな混沌としているのです。
もし、この世がこの事実を受け入れ、このことに正しく取り組むなら、私たちは正しい方向への第一歩を踏み出すことになります。
今、キリストを通して、神との正しい関係を築くための第一歩を踏み出してみませんか。
「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、
わたしのところに来なさい。わたしがあな
たがたを休ませてあげます。」
マタイの福音書11章28節
みどりのまきば65号より
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