日本評論社から「憲法的刑事手続」が出版されている。憲法学者と刑法学者とは、本来はスクラムを組むべきである。憲法は当然国の最高法規である。敗戦後、新憲法が制定され、「新」刑事訴訟法も新憲法の理念に基づいて制定された事になっている。しかし、現在の刑事手続の実務は、「旧」刑訴法時代と大差ないと言われる。新憲法が定めているきめ細かい「刑事人権規定」と現実の刑事手続のギャップをもっと早く憲法学者が問題にするべきであったのだが、残念ながらスクラムが組まれてなかったので、憲法学者の声が刑事司法の現場に、そして刑法学者にも届かなかったといえる。
「刑事裁判の形骸化」が叫ばれて久しいが、やっと、憲法を土台とする「憲法的刑事手続」として、日本の刑事司法を再生させようとする意図でこの本が出版されたことは意義ぶかいことである。
最近の沖縄での米兵が被疑者とされるレイプ事件での、被疑者をどう処遇するかという問題では、ミランダ法の支配する米国と、「旧」刑訴時代の「野蛮」な刑事司法実務の日本という視点が、マスメディアの報道でも欠落していることは問題である。人権先進国からすれば、人権後進国の「野蛮」な司法に自国民を置くことに躊躇するのは当然である。
この事件を機会にして、日米の刑事司法の違いを「憲法的刑事手続」も参考にして、勉強し、日本の刑事司法実務をどう改革していくべきか考えていくのもよいだろう。(青峰社刊の「国際人権基準による刑事手続ハンドブック」も参照しよう。日本の刑事手続が国際基準の最低ラインにも達してないのがよくわかる。)
(軍隊の存在が、性的犯罪の温床だという問題は、ここでは触れない。国際的に批判されている日本軍の「姓奴隷」問題とも根は一つであるが・・。別に書きたいテーマである。)

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