雑記帳
気まぐれに日々の記録を・・・。

毎日のニュース等のなかから、平凡な毎日を送っている男が、平凡な視点で感じたことを述べる肩の凝らないコーナー・・・?

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平成19年9月30日(日) ここに来てもなお・・・。
今日NHKのTV討論で、政治資金についての討論が谷垣政調会長や野党議員との間で議論されていたが、このような公の場でもなお自民党と公明党は監視機関を設けてそこに監視させよう・・・つまり非公開で今までのとおりにしていこうと主張していたが、はっきりと1円以上の領収書を添付して資金の流れを明確にすれば済むことを福田首相までもがこの案に消極的である。もしこの改正案がぼつになるなら自民党は本当に政権を失ってしまうだろう。一番襟を正さなければならないところを正しきれない政党には最早政権を負う資格はない。谷垣議員は弁護士らしく、持論を展開していたが見苦しい言葉の響きが聞こえてくるばかりであった。
平成19年9月29日(土) まだまだザル法の政治資金規正法
政治家個人の資金管理団体への団体・企業献金は禁止(2000年制定)。しかし、政党支部への献金は規制されておらず、ここに流れた企業・団体からの献金が政党支部から閣議委員の資金管理団体へ寄付の形で移動しており、この結果支部も本部への細部の報告がなくなり、資金管理団体はどんな細目にも使え党本部に細かく報告する必要もない・・・と記していた。(大分合同)
政権与党としての「凛」とした姿勢は今の自民党からは想像も出来ない。更に面白いことに日本の政治は岸信介から現代に繋がるアメリカとのつながりが、岸ー福田赳夫ー森ー小泉ー安倍ー福田康夫と連綿と政治の裏側で繋がっているということだ。
政治の世界は面白いというが・・・本当に面白い世の中だ。
中国派とアメリカ派更にソ連派・・・台湾派もまだいるのかな・・・?
平成19年9月28日(金) 借金まみれの日本
800兆円近い国の借金がありながら、国際貢献だ、日米同盟だといったいいくらの金が世界にばら撒かれているのか・・・。
国内が疲弊しているにも関わらずに・・・である。
安倍晋三は再チャレンジできる日本を・・・とかっこよくぶち上げたが・・・結果はますます広がるばかりである。外面ばかり気にした政治は決して国民に幸せをもたらさない。親方日の丸できた政財官癒着の落とし前がもう目の前に迫っている。こんなとき彼等の誰が責任を取って首を差し出すのだろうか?
経済大国日本と浮かれて国が潰れたとき日本は本当に世界から見放され笑い者になるだろう。
もう後がないのにまだ国におねだりをしている姿は・・・表現のしようがない。
平成19年9月26日(水) お手並み拝見内閣
誰かがTV報道で福田勝利の瞬間に彼がニッ
と唇を緩めたと評していたが、私も彼の表情から「してやったり!」の心の襞が見えたきがした。頭の回転の速い彼らである、場の空気を読むに長けている。前回は時至らずで我慢したが、今回は違った。・・・「背水の陣内閣」・・・結構である。自ら総裁を望んだということは、自ら責任を取る意志の現われである。今回の首相は決して途中で政権を投げ出して世界の笑い者にならない自信があるのだろう。しっかりと所信表明を(時間がなかったなど情けないことを言わず)キチンと行って間違いのない方向に転換することだ。これが出来ないと本当に短命政権になってしまう。
平成19年9月25日(火) 安倍晋三の弁明会見
弱々しい口調で弁明会見をしていたが、全てに時期を失した男が最後にまた時期を失したようだ。アメリカ一辺倒の言いなりで日本をアメリカの属国化に導こうとしているのは明らかであった。国民はこんな結果になる危険な主張をするとは夢にも思わなかったはずだ。
確かに中ロは手ごわい相手だが怯む要素は一つもない。彼が主張する日本を目指しているなら、何故国内(特に自民党に対して主張してこなかったのか?)に対してきちんと説明してこなかったのか?・・・中途半端な決定をしておきながら、その責任は一切認めようとせず、最後に至っては責任を野党に預け穴を割ってしまった。しかも、今後も議員として残るというのである。未練たらしいにもほどがある。
一国の宰相が自ら職を投げ出すのは国政の責任を自ら放棄するのであって、のこのことまた国政に顔を出すのは許されないはずだ。この件について自民党からなんの声も上がっていないのが不思議でならない。
自民党もここまで落ちたか・・・の感が強まった。
平成19年9月24日(月) ゾロ利権の復活か?
派閥政治でないと言い切った福田新総裁だが蓋を開ければ御覧の通り・・・
総務会長・・・二階俊弘
政調会長・・・谷垣禎一
党幹事長・・・伊吹文明
国対委員長・・・大島理森
選挙対策委員長・・・古賀 誠(本人希望)
素人目にも党を挙げての復古政治がありありである。自民党を守る為に敢えて全員野球をやろうと訴えているに等しい。そこには「国民」の姿はなく、自民党の今後の収斂の「姿」が見えている。
そうころころ政治が変わっては「100年の大計」が実現できない。
 

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