合格への道 指導例
家庭教師 小野沢 
 
 20年余りのプロ家庭教師としての大学受験・高校受験・中学受験個別指導過程で、慶應義塾大学・早稲田大学・一橋大学・上智大学・学習院大学・明治大学・法政大学・立教大学・開成高等学校・慶應義塾女子高等学校・早稲田実業学校高等部・早稲田大学高等学院・青山学院高等部・豊島岡女子学園高等学校・明治大学付属明治高等学校・中央大学杉並高等学校・中央大学附属高等学校・吉祥女子高等学校・女子学院中学・駒場東邦中学・慶應義塾中等部・慶應義塾普通部・市川中学・吉祥女子中学・鴎友学園女子中学・洗足学園中学・大妻中学・国学院久我山中学・武蔵工大付属中学・田園調布学園中等部・共立女子中学・成城学園中学・栄東中学などの合格に携わっています。各ご家庭への思いは深いものがあります。ここでは、様々な桎梏を抱えながらも合格を達成したご家庭を中心に記述してゆくつもりです。
 塾予備校での一般授業を含めれば、灘中学・筑波大学附属駒場中学・開成中学・麻布中学・桜蔭中学・女子学院中学・雙葉中学・フェリス女学院中学・栄光学園中学・武蔵中学・大学医学部・医科大学合格指導にも携わっていますが、家庭教師としての指導は全てご縁ですので、今後、このホームページを通じて更なる合格への機縁とさせていただければ幸いです。
 また、夏期合宿・冬期合宿・夏休み特訓・冬休み特訓などの集中指導は合格への可能性を飛躍的に高めます。その指導例も今後記述してゆくつもりです。


 6   日本大学歯学部
 高校受験から大学受験まで4年に亘って指導した男子生徒は一種独特の雰囲気を持っていました。ご両親の影響もあるのでしょうが、所謂男気の塊のような性格で、体力・胆力共並外れて他を圧倒する存在でした。高校時代には既に身長が190センチ前後で、暴れられたら困る、という程でしたが、私の前ではこれ以上無い程素直で素晴らしい青年でした。唯一の弱点が勉強が嫌いなことで、私も何度も苦笑させられながら、小学生を指導するような授業になること度々でした。
 柄にもなく人気女性シンガーの大きなポスターを天井に貼っていたので、「何だこれは。こんなものお前には似合わないだろう。不動明王にでも張り替えろ」と言うと、「僕、ワカ者ですから」などと頭を掻くので、「バカ者だろう」と笑いながら言うと、「いや、ワカ者です」と口答えして来たので、「だから、バカ者だろ」と私もわざと向きになると、最後は「ハイ、バカ者です」と頭を下げるというような次第です。
 一人では勉強は絶対捗らないということを本人ご両親共にしっかり認識しており、手取り足取りで月50時間以上の指導を三年間続け、当初下から二番目の成績が最後は上から二番目となり、息子をどうしても先生と名の付く仕事に就かせたいというご両親の希望に副うことが出来ました。
 学校授業の内容は板書されたものだけでなく口頭部分もノートにまめに取るように指示し、忠実にそれを守りました。一般校での成績を上げるには、必ずしも私の視点と一致するとは限らない学校授業レベルに合わせた対策を取るしかありません。各教科ごとに授業時間をかなり要します。逆に言えば授業機会が得られれば確実に学校成績をトップクラスにするこが可能です。
 目的の為に自尊心をも制御し得た稀な人物でした。

 7   明治大学付属明治高等学校
 七か月余り指導した生徒は、当初私立高校進学への意欲を失っており、学校レベルの基本事項の指導から始めました。しかし、夏休みの合宿で私の生徒である一橋大学や早稲田高校の学生との交流で志を高くし、指導回数も週四回に増やす中、半年間の特訓という形で今までのレベルとは異なる次元の演習授業を行いました。
 お母さんに生活管理や暗記レベルの自習課題の監督で協力してもらいながら、私の授業では基本事項と応用発展レベルを同時に行ってゆきました。上位高校の過去問演習を中心とした授業を八月後半から始めましたので本人にはかなり辛かったと思いますが、よく付いて来ました。順序としては基本をマスターした後過去問に入るべきですが、期間が限られながらも上位校を目指す場合はこの方法が最善と考え、三教科共に、選択した良問にじっくり時間を掛けて総合的能力養成を図ったのでした。

 8   市川中学校
 六月頃、指導依頼を受けた大森の小学六年生は所謂受験生ではありませんでした。大手の中学進学塾に通っていましたが偏差値も40前後で、その状況に対して本人どころか両親も何らの危機感も抱いていませんでした。お父さんが中堅医科大学の勤務医でしたが、将来医学を志すような雰囲気は子供には全くありませんし、両親にも私に指導を委ねようという強い動機、例えば長男に親の職業を継がせたい、などの類の素振りさえ全く見受けられない、面白い親子でした。多分、子供に期待することに躊躇していたのでしょう。要するに、公立小学校でありながらそれなりに国立私立中学への進学率の高い地域で、同級生達が皆塾に通っているから遊び相手を求めて自分も行く、というレベルでした。性格も自分勝手で粗暴な、普通の大人には手に負えない子供でした。親の手にも余るということで、どこからか私を知って依頼して来たということです。
 しかし、突き放せば突き放すほど食らい付いて来る反抗心が面白く、私も面倒を見続けました。偏差値もひと月ほどで20近くアップしましたが、それに逆上せて怠慢したりで、結局最後までエレベーター状態でした。
 夏、清里で同じような小中学の腕白を五六人連れて合宿を行いました。生徒達同士で意気投合されてしまい、日頃の私への恨み辛み?をこの時ぞとばかり晴らそうという様々な企みに随分手こずらされましたが、勉強では徹底的にしごきました。
 合宿後も合同授業などを楽しく?続ける中、受験まで後二ヵ月という時期、学校給食前の休み時間中、余ほど腹が減っていたのか廊下ではしゃぎ回り、利き腕の右手首をしっかり骨折してしまいました。それでも保健室に行く前に給食だけは平らげたということで、大したサムライです。 
 利き腕を使えないというハンデが生徒の負けん気に火をつけたのか、今までに無い熱心さが垣間見られるようになりました。冬は生徒の一人の父親が住職をしている浅草の寺で合宿を行いました。授業の合間に散歩に出ると、私や同輩が一緒ということで気が強くなったのか、地元の中学生達に喧嘩を売ったりと、大したツワモノでした。
 一月中旬にギブスが取れ、晴れて右手で受験して、市川に合格し、本来の第一志望であった山手学院にも通りました。
 多分、生まれながら強い運に恵まれた一家だったのでしょう。
 生徒の個性に合わせて剛柔を使い分けた指導を行って来ていますが、一見強そうでも最後には弱さを曝け出すということが通常の中、突っ張りを貫いたこの生徒は小学生ながらアッパレでした。 

 9   香蘭女学校中学校
 昨年の十二月、突然の指導申し込みがありました。家庭教師をキャンセルしたので何とかしてほしいというものでした。
 塾授業の経験は無いが、予習シリーズは一通り済ませているということでした。
 二ヵ月しかありませんから、直ちに特訓指導計画を立て実践しました。
 すなわち、志望校・受験予定校の過去問を定期的に時間指定で解かせて得点力を高め、予習シリーズの復習で知識を整理させ、2007年度入試問題集から随時課題を出して最新の問題を演習しました。
 十一月の四谷大塚模試での偏差値は40台だったということでしたが、基礎的な能力は備わっており、中堅から上位校レベルの授業にもよく付いて来ました。一月中旬には過去問演習において志望校四科総合で合格最高点近くをクリアするようになりました。また偏差値60前後の学校過去問でも余裕を持って合格点を獲得出来るようになりました。
 練習として受験した偏差値55の国府台女子学院中学部に合格し、さすがに1日の本番ではプレッシャーがあったようでしたが、健気にそれもクリアしてくれました。
 実は、学習院女子や白百合学園にもチャレンジしてもらいたかったのですが本人にその気が無く、残念でした。
 母子ともよく頑張りました。

 10   専修大学
 埼玉県の公立高校三年生の指導を受験最終段階の十月に依頼されましたが、初めの態度は最悪でした。傲慢不遜・思い上がり甚だしく、要するに、私でも短期間での成果は難しいというレベルでしたが、お母さんの懸命な姿に暫くは我慢することにしました。
 しかし、二回目・三回目の授業を経ると態度は一変し、突然敬語を使って来たので、「気持ち悪いから止めとけ」と苦笑すると、「使わせて下さい」と言うので勝手にさせました。
 身長は180を超え、サッカーの能力は後で考えるとプロレベルの大したツワモノでした。
 スポーツ中心の生活でありながら、思考能力はもともと優れており、特に英語の解釈力は目を見張るものがありました。
 期間が限られていたので、自習課題を基本的なものに限定しながら、授業では私の演習プリント中心に論理的思考力養成を目指しました。
 合格祝いで、「お前だったら、後一年やれば、慶應早稲田は行けるぞ」と発破を掛けると、しみじみとした態度で「俺、親にこれ以上迷惑掛けたくないんで」と言いました。 
 進学後も家庭教師で私の手伝いをしてくれ、今はキャリアの銀行員として活躍しています。
 



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