私の文化遍歴(書き掛け)
お暇な時にでもお読みください。
小学4年生の頃、「ウンベルトD」という戦後イタリアンリアリズム映画に慟哭したことがありました。人としての生活にはあまりに貧しい年金だけが頼りの老人がアパートを追い出され、唯一の家族である小犬を道連れに自殺しようとして、逆に、その小犬に生き存えようという仄かな希望を繋ぐという内容でした。公園で悲しく小犬と戯れるラストシーンに幼い私は何を見たのでしょうか。
若かった森進一が唄う古賀政男の「影を慕いて」「人生の並木路」「人生劇場」などを経て、一時期、藤圭子という、不幸な生い立ちを売り物にした歌手に不思議な感情を抱きました。小学・中学の頃、盲目の母親を助けるために納豆を売り歩いたという物語に同情していました。
十歳になる頃、オードリー・ヘップバーンの「昼下がりの情事」という映画に出会って衝撃を受けました。今思えば、ゲイリー・クーパー、モーリス・シュヴァリエを共演者としながらの最低の駄作だったのですが、ヘップバーンの美しさに恋い焦がれました。そして、「ファシネーション」と名付けられた音楽に聴き惚れました。
映画に醜悪な現実からの救いを求めたのか、その後暫く映画とその音楽に浸りました。また、当時、「ビアフラ紛争」の写真が頻繁にマスコミで公開されており、飢餓で苦しむ同世代の子供達の在ることを知って、現実の更なる悲惨を予感し始めてもいました。
映画遍歴(書き掛け)
小中学生時代、随分と映画を観ました。埼玉県の大宮市から度々池袋や新宿の名画座に通ったものです。周辺の大人からすれば不良だったのでしょうが、私にとっては今思えば懸命に人間・社会というものを情報収集していた期間だったのでしょう。多分、自分の置かれた閉塞状況からの解放を知らぬ間に渇望していた結果だったのだと考えます。
学校教師や同級生達にとってはスポーツしか能の無い横暴な存在だった私が「ローマの休日」や「ママの想い出」などに感涙していることを知られまいと、詰まらぬ苦労をしたものです。淀川長治ではありませんが、正に隠れた映画小僧でした。
「ティファニーで朝食を」「マイフェアレディ」「麗しのサブリナ」「パリの恋人」などのヘップバーン映画はもとより、「天井桟敷の人々」「悪魔が夜来る」「旅路の果て」「ミモザ館」「外人部隊」「モロッコ」「望郷」「大いなる幻影」「巴里祭」「嘆きの天使」「舞踏会の手帳」などなどのいわゆる古典的名作に手当たり次第にアプローチしていました。同時に、ジョンフォードの「荒野の決闘」「静かなる男」「果てなき航路」「怒りの葡萄」「我が谷は緑なりき」などで、男の生き様に子供心ながら感動させられたものです。
当時はいわゆるニューシネマの時代で、「イージーライダー」「俺達に明日はない」「いちご白書」「卒業」などがそれなりにもて囃されていましたが、小学生の私には対岸の火事で、逆に、一時的な流行に惑わされない眼がその頃から養われたと言うべきでしょうか。
日本でもその風潮の中、今見ると駄作としか思えないものが必要以上の評価を獲得していましたが、結局淘汰されています。当時、自殺未遂にまで追い遣られた黒澤明が現在ではアジアを代表する芸術家として日本でも揺るぎない評価の対象となっているのは皮肉と言うべきでしょう。
ベートーヴェン
十代半ばで運命というものの桎梏を感じ始めていた時、その胸倉を掴んでやる、というベートーヴェンの生き様に出会ったことは、正に人生観の根底を決定する事件でした。私の問題は、今後どう生きるか、に移行しました。
周辺の者達に辟易としていた中、人間精神の向上の可能性を圧倒的な存在感でベートーヴェンは知らしめてくれました。宇宙に在る素材である「音」を使って精神性という人類共通の指針を具現化してくれた人がベートーヴェンです。そして、バッハ。
同時代のナポレオンに対峙し得る精神力の体現者であると同時に、宗教・倫理を超えた人間精神の向上可能性を示してくれるベートーヴェンの成果は、今現在も、例えば、彼の最後の作品である弦楽四重奏曲第16番の苦悩に満ちながらも軽快な世界に顕れています。
音楽に限らずいわゆる「天才」が人類の社会・文化の向上に決定的役割を果たして来ました。では、天才とは一体どのような人間なのでしょうか。ただ頭が良い・知能が高い、というだけではそれに値しません。「人間」という人類共通の基盤が前提となります。金儲けや人殺しにいくら長けていても、憧れる者は居ても誰も尊敬はしないでしょう。その評価の基準を決定しているのは、人類が育んで来た文化です。もしベートーヴェンが利己的で眼先の金儲けに走るだけの輩であったら、誰も彼の音楽には感動しないでしょう。同時代のロッシーニの様に、ただ面白い作品を書いた歴史上の人物で終わっているはずです。
ベートーヴェンの音楽が素晴らしいのは、一つ一つの音それぞれに聞く者の深奥に訴え掛けるものがあるからでしょう。それを意図しながら具現化したことが今も私達の心を打つ所以だと考えます。それは、いわゆる「伝記」などからは計り知れません。例えばモーツァルトは人格欠格者のように思われていますが、「レクィエム」を聞けば、周辺の人間達とは異なる次元の境地に在ったことが分ります。
また、同じ作曲家でも、その人生の時々で作品の内容に大きな差が生じます。例えば、この十数年に亘ってやっと評価されて来たマーラーも、音楽的天才という意味においてはヴァーグナー以来ですが、作品自体は退屈な部分が多過ぎます。音の構造が複雑なだけで、厚みが無いのです。それはヴァーグナーにも言えることです。しかし、ある場面では鳥肌が立つこともあります。彼らもその時は高い境地に在ったということでしょう。
交響楽第三番「エロイカ」は、ベートーヴェンが三十代に入る頃から数年掛けて完成させた作品です。以前にもそれなりの名作はありますが、モーツァルトの傑作群に比べればベートーヴェンは遅咲きだったのでしょうか。しかし、この一曲で彼はとてつもない高みに達してしまいました。その頃難聴に苦しみ、「ハイリゲンシュタットの遺書」を残しながら、同時に人生を堂々と真正面から突き進む精神性を成就したことは、大袈裟でなく、人類の精神力の偉大さの体現そのものと言えるでしょう。
第一楽章は、轟きの木霊の様に第一主題が悠然と提示されると、次の第二主題と弁証法的に止揚しながら二十分近くビッグバンの如く展開し、最後、精神の多彩な様相を高揚させる中、怒涛で完結する、正に気宇壮大な芸術です。第二楽章は深刻極まり無い葬送行進曲です。まだ二つの楽章を残し、どうしてここで葬送なのか。実は「英雄」は第一楽章で既に「戦死」していたのです。その仕掛けがベートーヴェンという人間の面白みを倍増させています。そして騒々しい凱旋の第三楽章の後の勝利を祝うバッカスの宴。この第四楽章は様々な解釈が可能ですが、私は最近、これは、皆で飲んだくれて酔い潰れる有り様じゃないかと思っています。
「運命の胸倉を掴んでやる(これは私の解釈です)」という自らの人生は自らの力だけで切り開く強靭巨大な精神力を結実させた芸術がこの後しばらく続きます。いわゆる「傑作の森」です。勿論、ただ力強いだけではありません。実に繊細な感受性を絡めながら、三十代にして大変な境地に達してしまいました。
しかし、ベートーヴェンも人間です。ナポレオン戦争終結前後はやや停滞します。世間的名声の極みや私事の煩雑が原因でしょうか。それでも、「第九」「ミサソレムニス」「ピアノソナタ作品111」をその後完成させます。
そして、全く耳も聞こえず、体調不良にも悩まされ、世間からも忘れられていた様な状況の中、弦楽四重奏曲第14番15番16番の境地に達し、息を引き取ります。
中学三年の春を過ぎた頃から自分は癌で余命幾許も無いと愚かにも勝手に思い込み、「第16番」を毎日のように聞いていました(スメタナカルテットでした)。勿論楽曲の細かい分析などをする心の余裕も無い中、魂が洗われるとでも言うのでしょうか、慰めとは違う不思議な時間を過ごしていました。そして生きる望みを繋ぎ始めた頃、同時に「エロイカ」に魅了されたのでした。
ドストエフスキー
文学については、小学生の頃から十代は、シェイクスピア・ダンテ・ハーディ・ディケンズ・チョーサー・バーナード ショウ・ゲーテ・ニーチェ・スタンダール・モーパッサン・ユーゴー・バルザック・ゾラ・コクトー・カミュ・プレヴェール・トルストイ・ゴーゴリ・ヘミングウェイ・スタインベック・テネシー ウィリアムズ・ホメロス・ブォッカチョなどに親しんで来ましたが、圧倒的存在であったのがドストエフスキーでした。
小林秀雄は青春文学者のような評価の仕方をしていましたが(実は小林秀雄の主なる文学論はドストエフスキーに精力が費やされています)、「神は多分無いが、信じたい」「イエスは最も美しい人間であったが、虚弱な青年でしかなかった」「小賢しい輩には虫唾が走るが、自分こそが正に嫌悪の対象である」「無知で哀れな農民達は同情の対象ではあるが、やはり愚かだ」「真の強者(完璧な虚無主義者)など多分居ないだろうが、もし居たら拝跪する」「醜悪の究極は美である」などのいわば青臭い命題擬きに真正面から生涯を通じて自問自答して果てたことを考えれば、ドストエフスキーの魅力はその稀有な天才的能力を「真摯」に注いだということに尽きるでしょう。真理は一見単純ではあるが、その探求過程を経た跡を振り返ると、正に森羅万象の複雑怪奇な暗中模索であった、ということでしょうか。
黒澤明が欧米において尊敬を集めているのは、彼がドストエフスキーの泥沼とも言うべき「深淵」との対峙を通じて人間探究を試みた事実に起因します。彼の真面目な作品の基底には、人間を徹底的に裸にしてしまったらその後一体何が残るのか、という自問自答が在ります。「白痴」の映像化にも立ち向かいました。
一方で、黒澤はトルストイも愛読していたようです。トルストイは、三十代で人類社会というものを詳細に客観描写仕切った天才でした。現実から一歩身を引きながら眺めるという立場をも黒澤は辿ろうとしたのでしょうか。しかし、トルストイはいわゆる人道主義者でありながら、愚かな死に方をしました。黒澤もその曖昧な土台故に結局は、「黒澤映画のモチーフはヒューマニズムであった」、などという浅薄な評価に繋がってしまったのでしょう。
実は私がドストエフスキーに親しんだのは二十代初めまでで、その後、三十年近く、直接にはその作品には接していません。十代は「カラマーゾフの兄弟」「悪霊」「白痴」「罪と罰」をそれぞれ三回ほど読み返しましたが、二十代に入ると、今更ドストエフスキーでもないだろう、という意識が在ったのかも知れません。しかし、振り返ってみると、スタヴローギン・イヴァン・ラスコーリニコフ・マルメラードフ・アリョーシャ・フョードルなどの登場人物の強烈な個性は、限りなく人間の本性の真髄に迫って多様に描き分けた成果と考えざるを得ません。安穏というベールに覆われた日々に何時しか慣れてしまって何も省みない人々(私も入ります)には、彼等は異常なパーソナリティでしょう。(書き掛け)
ヘーゲル・マルクス
ヘーゲルは、ソクラテス・プラトン以来の対話による弁証法を思考方法へと止揚させた哲学者です。奇しくもヘーゲルとベートーヴェンは同い年で、ナポレオンは彼らの一年前に生まれました。この三人は哲学・芸術・政治軍事法律それぞれの分野においてその後の人類史に未曾有の役割を果たしました。
マルクスは、ヘーゲルの弁証法を内面的なものではなく、現実社会への実践道具として展開させました。学者達は、両者をそれぞれ唯物主義・観念主義と区別して来たようですが、現在においては無意味でしょう。マルクスも結局は、物というものを観念的に捉えていたのですから。
十代後半、ヘーゲルの「大論理学」とマルクスの「資本論」に勉強そっちのけで悪戦苦闘し続けました。
「大論理学」は、現在では分かりやすい翻訳本が出ているようですが、当時は、「向自有」とか「即自有」などという日本語には存在しない訳語が氾濫したものしか無く、何分冊にもなった膨大な世界への挑戦そのことだけで、私の貧しい頭脳は疲労困憊してしまいました。「資本論」はまだ分かり易かったのですが、学者マルクスの詳細瑣末に拘る脚注だらけの展開の仕方には苦労させられました。
結局、未熟だった私は、巨大な岸壁にただしがみついていただけだったのかも知れません。しかし、面白いもので、少し年月が行くと、すらすら読み進められました。やはり、苦労は報われたのでしょうか。
マルクスや彼の同胞達は、フーリエやサンシモン・オウエン達を空想主義者・ユートピア論者と批判しましたが、実はマルクス自身、大変な人道主義者だったのです。そのことは、資本論をよく読めば分かります。しかし、何時しか、彼の発想はいわゆるマルクス・レーニン主義なるイデオロギーとして崇拝されてしまい、ソ連崩壊を経て、今や共産主義という言葉は一般人には嘲笑の対象となってしまっている状況です。さすがにマルクスにとっても、レーニン・スターリン・毛沢東に自らの思想が継承されたことは予想外の弁証法的展開だったのでしょう。
19世紀ヨーロッパ世界は文化も含めて人類史において特筆されるべき展開を遂げました。その残照は、現代地球社会においてもその末裔達には他の地域の悲惨を考えれば十分過ぎるくらいでしょう。(書き掛け)