「十六夜日記」 〜京から鎌倉へ〜
京都・光照院
「十六夜日記」の作者・安嘉門院四条(出家し阿仏尼という)が仕えた安嘉門院の御所であった持明院殿跡。
阿仏の生年は不詳(1222〜6年ごろ)。1253年ごろ藤原為家と知り合い、やがて後妻となり、為相を生む。
京都・冷泉家
御子左家:藤原俊成、定家、為家と続く歌道の名家。
二条家:藤原為氏(為家と先妻の子)
冷泉家:藤原為相(為家と阿仏の子)
「十六夜日記」は遺産をめぐっての訴訟で鎌倉へおもむく時の日記。
京都・嵯峨
藤原為家の墓
歌人・藤原為家は藤原定家の子。定家は嵯峨・小倉山の山荘にて「百人一首」を撰した。阿仏は為家の後妻。為家は阿仏との間の子・為相に譲状を残した。為家と先妻との間の子・為氏との相続争いが起こり、阿仏は鎌倉幕府へ提訴した。この旅の日記が「十六夜日記」。
逢坂の関跡
山科(京都府)と近江(滋賀県)の境。
「定めなき 命は知らぬ 旅なれど また逢坂と 頼めてぞ行く」
弘安2年(1279年)10月16日、京を出発。逢坂を越え、守山で泊。旧暦16日夜は「十六夜(いざよい)」。
不破の関跡
「ひま多き 不破の関屋は この程の 時雨も月も いかにもるらん」
現・岐阜県関ケ原町、古代・東山道の関所で8世紀に廃関。荒廃した様子が歌枕として定着。
笠縫の宿
「旅人は 蓑うち払う 夕暮れの 雨に宿かる 笠縫の里」
現・岐阜県大垣市笠縫町、旧鎌倉街道の宿場。阿仏尼もここに泊まった。宿場跡碑と近くの神社に阿仏尼の歌碑がある。
墨俣の渡し
「かりの世の ゆききとみるも はかなしや 身をうきふねの うき橋にして」
現・岐阜県墨俣町(平成18年3月大垣市と合併予定)、墨俣一夜城址公園に歌碑がある。旧鎌倉街道・美濃路で長良川の渡しのある交通の要所。
八橋かきつばた
「ささがにの 蜘蛛手あやうき 八橋を 夕暮かけて 渡りかねつる」
現・愛知県知立市、「伊勢物語」在原業平の「かきつばた」で有名。旧鎌倉街道がわずかに残る。
小夜の中山
「雲かかる 小夜の中山 越えぬとは 都に告げよ 有明の月」
現・静岡県掛川市、西行の和歌「年たけて…」で有名。和歌・俳句の碑が東海道沿いにあり、阿仏尼の歌碑もある。
蔦の細道
現・静岡県静岡市、宇津ノ谷峠。平安時代からの官道だが、たいへん険しい。
三島大社
「あはれとや 三島の神の 宮柱 ただここにしも めぐり来にけり」
現・静岡県三島市、阿仏尼は三島大社・伊豆山神社・箱根神社に、それぞれ百首奉納している。三島から箱根越えに向かう。
箱根神社・大鳥居
「ゆかしさよ そなたの雲を そばたてて よそになしつる 足柄の山」
現・神奈川県箱根町、天下の険・箱根峠。亡夫・藤原為家は箱根峠を迂回する足柄路、阿仏尼は箱根路を通った。
鎌倉・鶴岡八幡宮
弘安2年(1279年)10月29日、阿仏尼は鎌倉に到着した。鎌倉時代、京から鎌倉への14日間の旅である。
阿仏尼邸跡碑
鎌倉に入った阿仏尼は、月影ヶ谷に住んだ。極楽寺の西、江ノ電線路沿いに邸跡の碑がある。実際住んだのは、この奥の谷といわれる。
鎌倉・阿仏尼墓
弘安6年(1283年)阿仏尼は没した。英勝寺の近く、JR横須賀線沿いに阿仏尼の墓と伝わる石塔がある。また、近くの浄光明寺には子・藤原為相の墓がある。阿仏尼の提訴は三十数年を経て、やがて実った。
参考文献:田渕句美子著「物語の舞台を歩く 十六夜日記」 山川出版社 2005年刊
参考ホームページ:「服部さんちのホームページ」“鎌倉街道”