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”デュラン2伝説よ再び!”大袈裟じゃなく、今、素直にそう叫びたい気持ちで一杯だ。アルバム『ノトーリアス』(’86)以降、オリジナル・ギタリストの如く、バンドに貢献してきたウォーレン・ククロロには凄く申し訳ない気持ちがある一方、やはりデュラン・デュランと言えば、サイモン・ル・ボン、ジョン・テイラー、ニック・ローズ、アンディ・テイラー、ロジャー・テイラーの5人が揃ってこそのバンドとの思いが強い。特に、ジョン・テイラーを欠いた『メダザランド』(’97)以降の彼らはバンドというよりはプロジェクト的なニュアンスに拍車をかけ、一抹の寂しさを覚えたのは自分1人だけじゃないはずだ。
オリジナル・ラインナップによるデュラン2復活の噂が浮上し始めたのが2年前のこと。それを裏付けるようにジョン・テイラーやサイモン・ル・ボンが相次いでオリジナル・ラインナップ復活についてポジティブな発言をし、注目を集めた。時を同じくして古巣のミッシング・パーソンズ再結成に伴い、ウォーレン・ククロロの脱退が決定、オリジナル・デュラン2復活は公然の事実となった。実は’01年6月の来日公演の際、様々な情報の確認をするべく、メンバーに取材を申し入れたのだが、これに対しマネージメント・サイドからは「今は具体的な話をする時期ではない」との答えが返ってきた。但し、”今年(’01)末にはファンがアッと驚く発表をするから”とのコメントも付け加えられていた。実際、来日公演後、オリジナル・ラインナップによるニュー・アルバムのレコーディングがスタートし、当初の’02年リリースという目標は果せなかったものの、現在はレーベル契約を待つばかりの状態だという。
ナイル・ロジャースをプロデューサーに起用したサウンド、さらに今回のオリジナル・デュラン2の復活御披露目来日公演が今後の彼ら、そしてミュージック・シーンにどんな影響を及ぼすか?興味は尽きない。
既にデビューから22年を数える彼らのキャリア。その歴史はバンドのエポックメイキングな活動の下、支えられてきただけに今後の彼らからは目が離せそうにない。ブリティッシュ・ダンス・ポップのホープとしてニューロマンティック/フューチャリストというムーヴメントを盛り上げたデビュー時代を経て、続く2ndアルバム『リオ/RIO』ではMTV時代を睨み、ダンサブルなポップ・サウンドとアート感覚溢れるヴィジュアル(プロモーション・クリップ)の融合にトライし斬新かつモダンなエンターテイメントのスタイルを確立、’80年代以降のミュージック・シーンの流れを変えた実績は特筆すべきものだ。その意味でデュラン2はエポックメイカー・アーティストの象徴的存在と言えるだろう。
デュラン2はイアン・ハンターの著書「ダイアリー・オブ・ロックン・ロール」に触発されたジョン・テイラー(Nigel John Taylor/'60年6月20日誕生)がニック・ローズ(Nicholas James Bates/'62年6月8日誕生)と共に’78年、バーミンガムでバンドを結成したのが、その始まりだ。他のメンバーは後にティン・ティン名義で活躍、現在はニックとプロジェクト、ザ・デヴィルズを結成しているスティーヴン・ダフィ、サイモン・コリーが在籍していた。バンド名の"Duran Duran"はジェーン・フォンダ主演のSFムービー「バーバレラ」に登場するキャラクター名に由来している。当初、ラインナップは流動的だったが、’79年、ロジャー・テイラー(Roger Taylor/'60年4月26日誕生)参加を契機にディスコ”ライム・ランナー”に出演、その存在をアピールすると共にアンディ・テイラー(Andrew Taylor/'61年2月16日誕生)、サイモン・ル・ボン(Simon John Charles Le Bon/'58年10月27日誕生)を相次いで獲得、’80年、バンドは完璧なるラインナップとなった。
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本格的な活動をスタートさせたジョン・テイラー(b)、サイモン・ル・ボン(vo)、ニック・ローズ(key)、アンディ・テイラー(g)、ロジャー・テイラー(ds)はロンドンはマーキー・クラブでトップ・ビルを飾り、英EMIとの契約に成功、’81年2月、シングル「プラネット・アース」でデビューを果す。テクノを経由する一方、より大衆性を帯びたダンス・ポップ・サウンドはオリジナリティ豊かなものだったが、それ以上にユニークだったのは彼らのルックスである。顔にメイクを施し、フリル付きのブラウスを着こなした中性的ファッションはネオ・グラム風のムードを醸すと共にニューロマンティック/フューチャリストと呼ばれ、ロンドンに熱狂的なムーヴメントを巻き起こす。ムーヴメント最中にリリースの1stアルバム『デュラン・デュラン』は全英チャートの3位にランキング、同期のスパンダー・バレエやカルチャー・クラブらと共にニューロマンティックの象徴としてシーンを支えた。また、同時期、日本でも彼らの人気がブレイク、’82年5月には初来日公演を大成功に導いている。
しかし、このニューロマンティック時代の成功はバンドのキャリアにとってほんのプロローグにしか過ぎなかった。前途の通り、’82年5月にリリースされたアルバム『リオ』はアルバム・カヴァーのアートワークを含め、緻密かつファッショナブルなコンセプトで統一された力作となった。その内容に呼応するようにプロモーション・クリップもメルボルン生まれの奇才、ラッセル・マルケイ監督の下、スリランカ・ロケを敢行、ストーリー性重視のヴィジュアル作品として高い評価を得る。そして、彼らはMTVの大成功を追い風とし、「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」、「リオ」、「セイヴ・ア・プレイヤー」を相次いで全米チャートに送り込み、アルバム『リオ』は全米3位を記録、ワールドワイドなステイタスを確立した。さらに、この全盛期真っ只中の’83年11月リリースの3rdアルバム『セブン&ザ・ラグド・タイガー』に至っては初の全英1位を記録した他、全米でも8位まで上昇、バンドのテンションはピークに到達する。
文字通り頂点を極めた彼らは、アーティストとしてさらなる飛躍を遂げるべく、別プロジェクトを結成した。それがジョン、アンディにロバート・パーマー、トニー・トンプソン(シック)を加えたザ・パワー・ステーションであり、サイモン、ニック、ロジャーによるアーケイディアである。両プロジェクトは’84年から’85年にかけて活動、この間にデュラン2としても「007/美しき獲物たち/A View To A Kill」をリリースするなど、話題にはこと欠かなかった。しかし、’86年5月からパリにて着手したニュー・アルバム制作の中、ロジャーとアンディーが相次いで脱退、この時点でオリジナル・デュラン2のラインナップは崩壊する。そして、17年の歳月を経た今、オリジナル・デュラン2は見事に復活を遂げ、新たなキャリアを歩み始めた。
今回、オリジナル・ラインナップ復活記念としてリリースされた本BOX企画『The Singles 81-85』は、いわば第1期黄金時代の代表曲を全て網羅したコンプリート・ベストと呼ぶに相応しいものだ。しかも、12インチ・シングルをそのまま復刻したスペシャル仕様が嬉しい逸品である。プロモーション・クリップ同様、リミックスを駆使した12インチ・ブームを盛り上げた彼ら。ここでまた、デュラン2のエポックメイカーとしての偉業が再認識出来るのは大いに歓迎すべきことだ。
北井康仁/Yasuhito Kitai
’03年5月記
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