11月27日(日)    二人はニュージーランドへ

いろんな思い出を置いて二人は再びニュージーランドへ戻って行ってしまった。
11月20日  娘一家も一緒に神戸に。3時頃からだったので異人館を
ちょっと見たらもう日が落ちてしまいモザイクへ。折角神戸に来たのだから神戸牛を、と夕食。 夜でも華やかで観覧車から眺めた夜景はきれいだった。 楽しかった。
 
11月21日 京都の習字の先生と待ち合わせて枚方郊外の農園へ。 先生には昔子供たちもお世話になったが私だけが今だに続いてお世話頂いている。
この日は私がお願いしても中々下さらない先生の揮毫されたお軸を息子たちに
ご用意してくださり、私としたら羨ましい限りだった。  味覚三昧の農園料理を頂き、ドライブがてら先生を家までお送りした。
 
11月22日 若い2人は京都の「茅葺の里」の美山町まで出掛けて行った。
時々マレーシアのお母様が電話してくるので、もし 彼女の居ないまに電話があったらどうしよう・・・ と夕方中国語の本から受け答えを捜していた。 直接的な会話はなかったがビジネス用の会話の中から「もしも掛かってきたらこれを言おう!」 と決めた。  しかしそんな事をズ〜ト考えてはいられない。 別の事をはじめたらすっかり忘れてしまっていた。  9時ごろ電話が鳴った。
何とも思わずいつもの調子で出るとなんとマレーシアからではないか。 
ワ〜!! あの本!あの本! 2階の子機で受けたので階下までJust moment!と言いながら駆け下り、さっきの本をあわてて開き「ハイメイ ホイライ スチャ〜」 と言うと電話の向こうから「OK」と声が。どうやら通じたようだ。
   ハイメイ ホイライ (まだ戻っていません)・・・・・→ハイ没 回来 (ハイは不にしんにょう)
 
彼女が戻ってきて話すと「それで大丈夫よ! と。そしてあちらのお母さんも褒めてくださったとか。 それにしても事前に調べておいてよかった!! と思ったのでした。
 
11月27日 昨晩も家の近くのちょっとおしゃれなレストランで娘たちも一緒に夕食を。 今日は娘の嫁ぎ先のご両親も関空まで見送りに来て下さりいよいよ楽しかった日々も終ってしまった。
彼女にばかり気をとられていて肝心の息子の事はホッタラカシにしていた。 
別れてからもっとアレを コレをと思っている母なのでした。          
                                     
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11月23日(水)    舞妓さん体験の二人 (京都)
 
娘の発案で京都の舞妓さん体験を実現。
場所は清水寺の「夢工房」という店。 そばで出来上がるのを見ていたのだが、次々と観光客が立ち寄り工房内はてんてこ舞いの忙しさだった。
まず着ていったものをロッカーに入れて、足袋をはき長襦袢を着る。 そこからは別の部屋でお化粧をし着物を選んでそれを着せてもらう。 手際よくあっという間に出来上がった。  は結ばず既に形になっているものを付けただけ。 当然ですね。
出来上がりを館内のスタジオで20ポーズくらい撮影をし、その後外を歩く。
係りの人が一緒に付いて歩るくのだけど、清水寺界隈の観光客の格好被写体となり、まるでモデルの撮影会の如くカメラに取り囲まれたのだった。 この日、11月23日は一年の内でもっとも人出が多くまたこの時間帯3時ごろが一番良い時間なのだそうだ。
暑からず寒からず太陽の具合もちょうど良いと付き添いの店の人は言っていた。
 
娘は自分は年齢的に限界といっていたが、年齢が進んだ人には「芸妓さん」というコースもある。 見ていると70歳過ぎのお婆さま方がお友達3人と舞妓さんの衣装を着たり、4・50歳のグループも皆で舞妓さんの衣装を着ていた。 
いろいろ考えずに楽しんだら良いのだな〜というのが感想。 「観光舞妓」ということで「夢」を実現させてもらって、二人の満足そうな顔を見てこちらまで嬉しくなったのでした。2人とも自分の顔じゃない!! と盛んに言っていたがその通り。全然別人になっていた。

11月14日(月)    草津温泉へ (群馬)
 
昨日の疲れで二人はまだ寝ているので我々は妹の家の方面へ散歩に出かけた。
昨晩の話ではホテルに朝食を届けてくれるというので行き違いになってもと途中で電話をしようとした所、自転車の妹とバッタリ出合いそのまま妹の家に戻ってそこで朝食を頂いた。
妹は昔から優しくって何時も誠心誠意でみんなに尽くしてくれる。 ホテルに届けてくれようとした包みの中にはこの辺で評判のパンとスティック状のインスタントコーヒーおにぎり・きんぴらその他のおかずなど等で、家にもどって更に味噌汁やおを焼いてくれた。
2人の分をもらってホテルに戻った。 まだ寝ている2人を起こして出発。
 
快晴なら右に赤城山が大きく見え上州武尊・谷川岳が正面には榛名山妙義山・荒船山その奥に浅間山が見えるはずなのに曇りで全くな〜んにも山が見えずに
ガッカリだった。またいらっしゃいと言う事よ! といいながら関東平野をひた走り、姉の家と弟の家(実家)によって、更に私の方のお墓参りをし、親戚同様のお寿司屋さん(菊寿司)でお昼を。   彼女は回転寿司ではない本当のお寿司屋さんで食べられた事がうれしいと喜んでいた。
 群馬は私の故郷。 今回は友人訪問は省略させて頂いたのだが帰ると寄るところが多く
 何時もみんなに親切してもらいありがたい。
 
さてさて、すべての事を済ませていよいよ一路草津温泉へ。 ちょっと走ると懐かしいところばかりで、昔スケートに来た榛名湖にも寄り道をした。        
あのころは毎年30p位の厚さに湖面が全面結氷してワカサギ釣りやスケートを楽しんだけど今はどうかしら?
 
湖をしばし懐かしんで吾妻渓谷沿いに紅葉の中を草津まで走った。
いよいよ湯畑へ。 温泉に入りたい!! と言う彼女にはどうしても明るいうちにこの
湯畑を見せてあげたかった。群馬県には温泉はいっぱいあるが「これぞ温泉!! と言うところは何としても草津!! と私は思うのであえてここに決めたのだった。
 
まもなく4時半。ちょうど「湯もみ」が始まるところだったので中に。  
暫く  〜〜草津よいとこ一度は〜おいで〜どっこいしょ〜〜〜と唄にあわせた
踊りや “湯もみ” を見たりしていた。 彼女が 自分もして見たい!! と言う。そこで私も湯もみの長い板を受け取り一緒に参加。  思ったほどお湯の抵抗はなかった。  
           
今日のお宿は「草津ホテル」。片岡鶴太郎美術館の隣でその先は「西ノ河原園地」。
ホテルといっても大きな旅館でとても広々としたきれいなところだった。 ここは姉の旦那様の口添えがありお部屋食のお料理も季節感あふれ素晴らしかった
大阪からではちょっと遠いいけれど是非また泊まって見たいところの一つとなった。
 
館内に「足湯コーナー」があって、その前にはスイッチを押せばコーヒー豆を瞬時に挽きエスプレッソでもレギュラーでも好きなのが選べて自由に飲める設備があった。無料と言うのに惹かれ帰りまでに何度も立ち寄ったのだった。
 
早朝主人と隣の「西の河原」を散歩した。空気が冷えているせいか温泉の湯気が真っ白に立ち込めている様子がなんともステキだった。 (下の写真)
若い二も人出発する時に見に行ったが、すでに辺りの気温は上昇していて湯気はほんの少しになっていた。  “早起きは3文の徳” はこのこと。
 
帰りは白根山経由と思っていたが雪の降った後なので通行止めという。 それならと鬼押し出しによって軽井沢経由で大阪に戻ってきた。
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11月13日(日)    日本の披露宴 (東京)
 
先日はマレーシアで結婚に関する一連のセレモニーを済ませたが、今日は日本の親族に披露させていただくので皆様にお集まりいただいた。
場所は自由が丘。 姪の旦那様の縁故でフランス料理のレストラン「フランネル・嵯峨野亭」で12時から3時までとなっている。
遅れることなく皆さん、ご参集くださったので集合写真から。
娘が進行役をしてくれた。  初めに私の方と主人の方の親戚は久しぶりのご対面なので紹介をした。
その後息子挨拶をし、彼女ひと言を。 次に東村山のおじ様(主人の長兄)がご挨拶とシャンパンで乾杯を。 ニュージーランドで知り合ったと言うお友達が2人来てくださった以外はみんな親戚ばかりなので気楽に歓談をし、食事となった。
大学生の甥が中国語を勉強していて中国にも行った事があるというので彼女と親しく話していた。  マレーシアでの写真が回り、皆さんにひと言メッセージを書いていただき、 その後ビンゴをしたのだった。
ビンゴの景品はニュージーランドのものと少しマレーシアのものを用意。   
3年生の公紀君と5歳の康ちゃんが番号を読み上げお手伝いしてくれていた。
進行役の娘は “一体誰に似たの?” とみんなに言われるほど、おもしろおかしくその場を盛り上げてくれたのでアッと言うまに予定の3時間が過ぎてしまった。
 
その後の電話では気心の知れた人ばかりでとっても楽しかった!! と喜んでいただきこちらもホッと。
 
その日は娘たちは明日の仕事があるからと新幹線で大阪に帰り、息子夫婦と我々は妹達と一緒に妹の家の近くへ。 今日は来られなかった甥も来てみんなで夕食を。その後少し妹の家にお邪魔して彼女に日本の家を見せてホテルへ。     
 
 
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11月12日(土)    東京へ
 
明日、日本の披露宴をするために娘家族と息子夫婦と車で東京方面に向かった。
主人は仕事の都合で一緒に来られなく後から新幹線でホテルで合流する事になっていた。
特にどういう事もなくスムーズに富士山の見えるところまで来られ富士サービスエリアで休憩。 少しの雲はあったもののさっきまで隠れていた富士山が目の前に大きく見えそこで昼食にした。
 
今日の宿泊は渋谷駅近くの某ホテルなのでそこに先ずは車を止めた。 主人は既にホテルに到着していて、部屋を確認し荷物を置いて皆で近辺を歩いた。
当初の予定は主人の方のご両親が眠っているお墓参り(文京区)をすることになっていたが時間が遅すぎなのでまたの機会にと言う事になったのだ。
折角東京に来たのだからあちこち行きたいらしい彼女だったが明日のこともあるので隣の駅(原宿)まで電車で。
娘・息子夫婦4人はあのもの凄い混んでいる竹下通りに・・・。 我々老年2人は孫のコーちゃんを連れて静かなところ、既にお二人共亡くなられたが私たちの結婚の仲人さんの家の方へ。 ここ表参道へは時々来た事があるが目的もなくゆっくり歩くのは何年振りかな? 
1時間と言うフリータイムがそろそろなので再び雑踏の原宿駅前に。ママ達は大きな袋を持ってなにやら買い物を楽しんだようだった。
帰りは一駅歩いてホテルの近くで夕食にした。 ここはちょっとおしゃれなところだったが、それより何よりカラオケ歌い放題タダなのだ。
普段聞いたことがない娘の彼の熱唱振りや孫のコーちゃんは幼稚園の文化祭で歌うという横文字の歌(画面に出る文字とちゃんと合っているのが驚き!!) 息子の彼女は中国語で・・・みんなの隠れた才能を垣間見る事が出来た楽しいひととき。
歌って食べた楽しい夜もアっという間に10時過ぎになってしまい隣のホテルに戻ったのでした。                                        
                                             

11月7日(月)    ★最終日

 
明朝01時10分発の飛行機で帰国するため今日の真夜中11時には空港に行かなければならない。
丸々一日中は自由時間となる。 昨晩の洗濯物を取り込んで、といっても湿度が高いのでカラット乾くように冷房の部屋に移動する。  先ず朝食後の仕事は毎度の事ながら出入国カードを書く事から始まる。   
 
今日はコンドミニアムのおば様がお昼過ぎからショッピングに連れて行ってくださるという。
 
午前中はちょっと時間があったのでコーちゃんはパパとママと一緒にコンドミニアムのプールに行った。 結婚式の前日は朝早く私も水着に着替えてコーちゃんと誰もいないプールで遊んだ。ジージがビデオを持ってきて写していたが、他には誰もいなかったので安心して遊んでいたのにナント、コンドミニアムのおば様はどこかから見ていたらしい。彼女に“みんな元気そうで大丈夫ね!! と言っていたと後から聞いてビックリ。
 
プールから上がった皆と近くに美味しいラーメン屋があると言うのでお昼を食べに行った。 どこもそうだがガラスの戸もないオープンな店。
天井に大きな扇風機がいくつも回っていて辛口ラーメンの割にはそう暑いとも思わなかった。 ただ日本では夏の飲み物は冷蔵庫から出したばかりの冷た〜いものと決まっているが、マレーシアの飲み物はどこも室温の生温いものばかりでだった。
 
その後わかったのだが、冷たいものは胃壁を収縮させるのでただ水分が通過するだけ。でも体温  に近いものの場合胃壁は収縮しないので十分体内に吸収されると聞いたが本当かな?
 
午後は息子と彼女は彼女の家に行きいろいろ準備をして夕方再び会う事に・・・
主人と私と娘家族だけでおば様の運転する車でアチコチのショッピングセンターへ買い物に。 
地下の駐車場に駐車したがこれも日本とそっくり。行き交う人もアジア系の顔なので日本のどこかにいる錯覚さえおこしてしまうほど。 
大体世界のおもなるところにはマクドナルがあるがここにもちゃんと大きなのがあり何かの時はこのマクドナルドに集合しようと決めた。
ファッション関係のお店ばかりでお土産になるようなものがないので別のところへ。
マレー人が被っているスカーフ? 正式な名前を聞いたが忘れてしまった。
ご存知の方はよろしく!! そのことが気になって私も被りたい!! と言うとマレー人の利用するいろいろなものが多くあるお店に連れて行ってくださり、そこでお土産用と自分用に買ってみた。 店員の女の子もスカーフ姿なので写真を撮らせてもらった。(アルバムにあります)
娘は彼のお父さん用に水晶のブレスレットを探しに行きどうやら見つけたようで買って来た。他の店の物より大分お値段がお高く、彼の話ではなにやら「気」を入れているようだったといっていたが・・・。 
日本へ行く用意をしていた息子たちと合流しその後もう1ヶ所の店に寄って、夕食に・・・。
コンドミニアムのおば様のお子様は一人はオーストラリアに留学中で、後のお二人は結婚式にも出席してくださリ、今はインターナショナルスクールで寮生活とか。  ご自身もアメリカに留学されていたとかで英語も堪能でいらっしゃる。
主人とは少しは話が出来ていたが私に英語で話かけて下さるけどあまり返事が出来なくって申し訳なかった。
コンドミニアムのエレベーターの中で 『今回 非常 感謝 に !! 』 と書いた紙を見せたら『これはあなたが書いたの?』 とビックリして『不客气』 プカチーといってくれた。
  『・・・に !! 』 の 『に』 はニン偏に尓とその下に心をかく文字。 PCに入っていないので残念。
 
合っているか間違っているかは解らないけど取り敢えずは通じたようでうれしかった。  ここでも大阪のニーハオ教室の「胡先生」に感謝!!
 
部屋に戻りシャワーを浴び、すべての荷物の整理をして階下のおば様のお部屋にお礼お別れに訪ねるとインドネシア出身のメイドさんが出てこられて「奥様はもうおやすみになられました」とニコニコしておっしゃった。
私たちも疲れたが、暑い中をあちこちと6時間も、お一人で訳のわからない日本人の相手をしてくださってさぞかしお疲れの事と申し訳なくおもってしまった。  
それにしてもエレベーターの中でメモを見ていただいて本当に良かった。
 
夜9時過ぎに彼女のご両親・お姉さんとそのお子ちゃま・弟と弟の彼女・妹・いとこ達が多勢でお別れにコンドミニアムに来てくださった。
そして持てないほどのお土産を娘の家族にも同じように下さった。 このご恩はどうお返しすればよいのかと今でも思っている。 
お土産の中には、私たち日本から押しかけたもの全員にイスラムの人が身につける衣装が一揃いづつ入っており早速みなで着たり被ったりして写真を撮った。
 
彼女の家イスラム教ではないがマレーシアの国教はイスラム教なので、またマレー人はイスラム信者なのであちこちにスカーフ姿の人を見かける。   その姿を私はとても気になり彼女にも「あのスカーフを買いたいと」言っていたからと思うが、男性にまで一揃い下さるなんて思っても見なかったので皆とっても喜んだ。
この衣装で日本の披露宴に出よう!! と言ったらこれは正式なものではないからおかしい。 と言われ残念。
 
マレーシアとシンガポールのチャンギ空港は端から端の距離。マレーシアの税関はスムーズに通過。 夜遅いのでシンガポールに入ってもスイスイ渋滞なしで行けた。 
シンガポールドルがまだ少し残っていたので最後の買い物をして機内に。 
予定通りのフライトで乗るとすぐに靴下などの入った袋が配られた。 
  以前タイから帰ってくるときも夜中だったので同じように配られたことを思い出した。
また「リフレッシュメント」といって軽食(ビーフサンドまたはツナサンドと飲み物)も配られた。 いつもなら真夜中に食べる事はないのに今日は美味しくお腹に入ってしまった。
機内は空席が目立ちあちこちに散らばってゆっくり眠る事が出来た。といっても
4・5時間くらいかな?
右側の席だったので夜明けの様子に感激しまた写真に収めた。 日の出はあちこちで見るが何時も改まった、大袈裟に言えば厳粛な気持ちになる。
★より輝かしく撮影するためのワンポイント
 鼻の脂が役に立つのです。どういう事かと言うと小鼻の脇を指で軽くこすりその指でカメラのレンズに
 十文字を書くだけ。ご存じない方は是非お試しを!! 電気の光も放射線状に輝いてきれいですよ。
 
帰りは息子夫婦も一緒に乗っているし、飛行機が落ちたら“一家全滅になる!! と密かに案じていたのでしたがそんな事もなく7人無事に関空に戻って来られ、何よりの旅でした。                                                                  
                                                 
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11月6日(日)    ★シンガポール観光(長い一日だった)

定番のマーライオンは矢張り一度は見ておかなければと車を止めた かなり
都会的な海に面したところに立っていた。この像のすぐ後ろにもある。シンガポールのいろんなところにマーライオンの像は立っていた。
 マーライオン・・・シンガポールの名の由来にちなんだ伝説の動物。 上半身がライオンで、下半身は魚の尾びれをもった形になっている。   
 
 ●シンガポールの名の由来・・・14世紀の伝説から、スマトラ(今のインドネシア)の王子がこの地 でライオン(サンスクリット語でシンガ)に似た動物を見たという言い伝えからライオンの町(シンガ・プーラ)と名付いた。  
後に英語読みでシンガポールに変化したとそうです。         
   
さてさて昨日早朝から夜遅くまで結婚式と披露宴をしていた2人に今日の案内をして頂いたことを今思うと非常に気の毒だった。
今朝はホテルの部屋までご両親がたくさんの朝食を届けてくださった。 その上今日のシンガポール観光には専属の運転手さんまで用意してくださった。
何もかもお世話になりっぱなしの私たちは、大切なお嬢さんを結婚の翌日から振り回していた。m(__)m
 
最初から書く事にしよう。マレーシアとシンガポールの出入国カードを書き込んで五星の「SOFITELホテルに別れを告げ後にした。 
シンガポール入国時の税関では彼女は偶然にも昨日披露宴に来てくれた友人2人とバッタリ出会った。 日本のパスポートを所持している私たちとマレーシアのパスポートの彼女とは入り口が違う。  
 
先に通過の私が出口で待っているそのすぐ近くに「銃」を構えた係官がいてちょっと緊張。 
国境の周辺は特に気をつけないといけないという彼女は ショルダーバックは常に前に持っていないと危ないと言い、絶えず私たちののんびリ振り目を光らせていてくれた。
 
シンガポールの面積は淡路島よりやや広いそうだが 目を見張るばかりの超高層ビル群。 何世紀にも渡って東西の架け橋となっている経済・文化の拠点を実感。 
 
昨日出席して下さったシンガポールで働いている日本のユミさん(熊本)ナオコさん(名古屋)とチャイナタウンで待ち合わせをし皆で昼食へ。 私の希望で飲茶とした。場所はTemple Street の「飲茶酒楼」 混雑している中華街の一角の2階の綺麗なところだった。
蒸し器に入った小籠包シュウマイ餃子などなどの点心を乗せたカートがテーブルの周りに売りに来る。  好みの物を取って食べて最後に計算で日本の味に良く似ていてホッとする美味しさだった。
 
運転手さんとの待ち合わせ時間までのんびりして、次はセントーサ島へ。
ユミさんは用事があるのでここまででお別れし、その後はナオコさんと一緒に島を回った。 セントーサ島は自然がいっぱいの非常に魅力のある観光の島だった。  
 
黄色の島内循環バスでマーライオンの見える所まで行き,右奥へと緑の森の小路を進んだ。コンクリート製の観覧席が見えたがこれは後まわしで 少し坂道になっている巨大なマーライオンタワーの丘へと向かった。中にも入れ高さ37mもあるそうだ。 それにしてもなんでこんなに大きいものを?  
 
 
我々はその中には入らずにマーライオン・ウォークを歩いてハーブ園の方へまわった。 ハーブ園は閉まっていたが小路にタイルのモザイクで長〜〜いスネークが出来ておリズミカルに噴水が飛び出すのがユーモラスで楽しかった。 
その後はインビア山?まで歩いた。 山と言っても丘。 売店もあり人懐っこい孔雀がちょこちょこ歩いていた。 見晴らしがよく海越しにシンガポールのビル群が盆景のごとく見えていた。
 
迷子騒動
すぐ下に目を移すとゴーカートが・・・・・ 早速見つけた孫は “ゴーカートで下まで下りたい!! と言う。 そこでコーチャンはパパと2人でゴーカート乗り場へ。
他の者はバスで下りる事にしたのだが、そこからがさあ大変!!   ゴーカート下り場と違う方向へバスは到着したのだった。 途中から ちょっと変じゃな〜い? と言うことで慌てて下りたが全然解らない。 
地図で確認した時はOKだったというけれど・・・  バス停にいた係りの女性に地図を広げて訳を話すがトンチンカンな返事。 もう一度バスに乗りゴーカート下り場方面にへ向かったつもりがそれもダメ。  
また係員に聞いてみたがさっきの女性とは全然違う事を言うので彼女(Sちゃん)が、判断してここと思う路を進んで行くとやっとビーチへ出られた。  
コーちゃんはパパと一緒だから安心だが・・・日は傾きはじめ何とも不安で心細い。 祈るような思いで浜辺を行くと夕日に映えた2人のシルエットが・・・・・よかった。下の写真の海辺で再会                      
 
ヤレヤレで再び全員でバスに乗りマーライオンの近くまで戻って来た。もうすっかり日が落ちて辺りは真っ暗。 夕食はフードセンターの標示をたどって野外で屋台から焼きそば・焼き鳥・フルーツ・他にもいろんな物をみんなが好きに買って食べた。
向こうから水と光の祭典ナイトショーの賑やかな声が聞こえるので気もそぞろで夕食を済ませ、観覧席へ。 
そろそろ終わりの時刻になっていたが遠くのマーライオンの鋭く光った目からはレーザー光線が届いており、その前の池では噴水に映している綺麗な光が音楽にあわせて踊っていてとても楽しかった。  矢張りまもなく終わってしまった。  
運転手さんの待っ駐車場へ。 ここまででナオコさんともお別れ。 一日中ありがとう!!  元気でね〜。                    
 
お腹もいっぱいになり、楽しいショーも見て、セントーサ島にお別れして次は期待のナイトサファリーヘ。 
夜8時ごろだったかな?  なのに凄い人出。 日本語ガイドの入り口に並びトラムに乗った。真っ暗な森へ進んで行くトラム。 目が慣れるまでは何も見えなかったが、次第に姿を捉えることが出来た。  藪の中にかすかに動くものや、静かに食べているものなど、自然により近い形にしているとか? トラムは一周約40分と聞いた。
 
暗いヤブの向こうの世界とこっちのトラムとの間には深い溝があるので飛び掛ってくることはない様だ。 歩いて回れるコースもあるそうだが暗い中を歩くのはちょっと恐ろしい気もする。 
最後に娘はどうしてもニシキヘビを首に巻きたいと言って、とうとうコーチャンと2人で目的を果たしていた。 私も指でへビの体をつっついてみた。 自分のお腹の感触に良く似ていたがちょっと冷たかった。 
よく遊んだ一日でした。  でももう時間がない。 運転手さんの待っているところへと急がなければ・・・。                                                                               
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11月5日(土)    ★結婚式・披露宴
いよいよ今日という日がやってきた。本人たちはニュージーランドで2003年の7月に婚姻届を出していたが、永住権が取れるまではと正式に親戚縁者には披露をしていなかった。
9月に永住権獲得の知らせを受けた時はヤレヤレと思ったもののちょっと複雑な思いがした。  が、そうとなった以上は早めに両家にケジメを着けることになっていたのでのんびりはしておられず、どこからどう始めたらよいのか混乱した。
 
マレーシアのご家族も日本側も同じであちこちの会場を「仮押さえ」したのだった。
初めは親戚にお食事をしながらのご披露ということだけだったが結局マレーシアのご家族のご好意でせっかく日本からお越しいただくのならマレーシア風の結婚式も見ていただこう !! ということでお式から披露宴までのフルコースをすることになった。
前日ジョホール・バルのウェディングのお店にみんなで行った。 日本でもしているように2人は事前にいろんな衣装を着て前撮り写真を撮っていたらしい。
でも今日は当日着る物をチャント決めて試着し、お嫁さんに渡すブーケや新郎が胸に付けるコサージュなど受け取って来た。 
その晩は明日持って行くお祝いのいろいろを確認し写真も撮った。
“おかもち”の様な3段重ねの塗りの容器の中に日本からの祝い菓子・果物(オレンジは必須)・肉の缶詰・マレーシア風の祝儀袋(勿論中身の入ったもの)・指輪ブレスレットイヤリングなど言われた通りに入れ、また日本酒ブランディーも・・・。
その他に長〜い赤いローソク2本と紙製のドラゴンフェニックスの印刷されたものが2枚づつ入っている細長い赤い袋。  それらは結婚式の当日に花嫁さんの家に届ける。  
 
 紙製のドラゴンとフェニックスは両家の玄関に飾っておくのだそうな。来客がそれを目にして「ここのお嬢さんはもうお相手がいるんだな〜」と。また男の方も「もうこの家の息子さんにはお嫁さんがいる!!」 思うためとか。
 
当日の朝コンドミニアムに迎えの車が来て我々と新郎なる我が息子は二台の車に分かれて乗った。
新婦の家でのあれこれは本来なら男の親は参加しないという。今回は特別に許されるらしいが、でも手も口も出してはいけないとのこと。  娘(新郎の姉)だけはサポーターとして昨日用意したお祝いの “おかもち” ローソクやフェニックス・ドラゴンなどを持って家には入れると言う。 
  実際には我々夫婦もみんな部屋に入ってソファーで成り行きを見ていたのでした。
コンドミニアムから新婦の家まで車で15分くらいかな?  家の近くまで来たところで車列が大きな音のクラクションを一斉に鳴り響かせて走った。
それが聞こえると“いよいよ”と新婦側は思うとか。 お盆にオレンジを載せて待っている人にお嫁さんをもらいに来た旨を告げてご祝儀を渡す。 
それではと中に入れてもらえる。しかし花嫁の友人たちが多勢で花嫁をガードしていて、簡単には会う事が出来ない。
ガードしている友人たちはドアの向こうから花婿に向かって、「愛していると3回言って!!」とか「腕立て伏せを100回して!!」とか様々の要求を言うらしい。 息子の場合はマレー語で「愛している」を3回言ってなどといわれていた。  花嫁の部屋の前には親戚のおばさんやいとこたちが多勢今か今かと笑いながら待っている。
 娘の旦那も孫のコーチャンもドアを叩いて大きな声で早く出てくるように言う様、事前に打ち合わせ
 があった。
日本の厳粛な結婚式とは違ってておかしくっておかしくて皆で笑ってしまった。  
こんなんで良いのかな〜。と思ってしまう。
そんなこんなを約30分位してやっとドアが開いたがもう一つドアがあってそこでもなんだか言っていたようだがすべてをクリアしてやっとバラブーケを渡せた。
そして靴を片一方履かせて花嫁の手を取り部屋から出てきた。
  マレーシアでは靴をプレゼントすると彼女が逃げて行くので靴はプレゼントしてはいけない。
  結婚の時にはじめてプレゼントして履かせるとか・・・
晴れて2人並んで部屋から出てくると次は2人で神棚に向かってお辞儀をして手を合わせる。雅楽が鳴り出して神主さんが祝詞を挙げて幣を振るシーンは矢張り日本の神式だけのよう。
その後「敬茶」と言う儀式。 これもオママゴトのように小さなお茶碗にお茶を入れて新婦側の親に飲んでもらう。
  日本の三・三・九度は本人たちが飲むがマレーシアは新郎新婦の入れたお茶をが飲む。
書き忘れたがお嫁さんが部屋から出た頃だったと思うが外で爆竹が派手にはじけて更にお祝いムードが高まったのでした。
 
*ここより披露宴
以上までは新婦の家で行なわれた新婦側のセレモニー。同じ事を新郎側もするそうなのだが、新郎は家が日本なので披露宴会場のホテルで「敬茶」の儀式を行なった。そこには新婦側のご両親や親戚は参加されない。 その後お友達やいとこが来られバイキング形式のお昼を共にした。  夕方6時30分のウェディングディナーまでは自由時間となっている。 
 
ホテルは5星のリゾートホテルと聞いてはいたがその凄さには感激!!  Yahooのアルバムにも少し載せたが・・・かなり広〜い部屋にバーカウンターが、また部屋から延びた螺旋階段を上がるとベットルームと本棚や机のある書斎がありバスルームシャワー室が別になっていてトイレも一階と二階にある。   
眺望も抜群。 遠くにゴルフ場のグリーンが・・・樹木は南国らしいココナッツ椰子。ブーゲンビリヤも咲き名前のわからないランもあちこちに見えた。 
一泊ではなんとも惜しい。 日本円に換算するとナント6000円ちょっと。 それも外国だから一室の料金。 安〜い!!
 
さて着物を着せに向かいの娘の部屋へ。 のんびりし過ぎて時間が・・・
「誰もわからないから大丈夫!! 「でも〜写真に写るよ・・・」 と言いながら何とか。
矢張り時間がたつうちにちょっと着崩れてしまった。 それでも着物姿は皆の目を引くようで孫のコーちゃんは大モテで一緒に写真を撮ろうと引っ張りだこだった。
 
肝心の披露宴は1テーブル10人でナント19テーブルも。と言うことは190人の大パーティーだった。  新郎側はたったの5人。後は新婦の関係となる。 スゴイ!!
日本と違うのはマレーシアでは “お家のお祝い事だからと兄姉弟妹もそれぞれ10人のお友達や関係者をお呼びする” と言うことかもしれない。 幼友達のテーブル・高校時代のまた大学時代のお友達と、それぞれ多勢来て下さっていた。
日本では自分の結婚式に友人50人は普通は集まらないと思う・・・と娘と話していたけどどうでしょうか?  
披露宴の様子は日本と殆ど同じだが新郎新婦のいわゆる2人だけの高砂席はなく新郎新婦は両家の両親と一緒のVIP席と言うところに座っていた。 「VIP席」と言うのは日本では特別な上司などが座るお席と思うけど矢張りそこも違う・・・
 
途中お色直しの時にスクリーンが下りてきて2人の幼い頃から現在に至るまでの
写真を見たり・・・そういえばケーキカットもあった。  次々運ばれるご馳走(中国料理)をいただきながら歓談し最後の方で私が中国語でスピーチを。
私のスピーチは上手く言えたらしいけど、それを証明するはずのビデオの音声が
何故か雑音でわからなくなっていた。  皆さんが拍手してくださったし、彼女もお母様も褒めてくれたので『良し』とすることにした。他の方のスピーチはなかった。 
 
日本のキャンドルサービスの代わりのような事で、親も一緒に新郎新婦と各テーブルを回った。 そのテーブルに行くと「ヤ〜〜〜〜ム・セイ」とグラスを上げて乾杯をする。 「カンパ〜〜イ」と同じ意味かと思ったがそうでもないようだ。 漢字で書くと「飲勝」とか。  元気の良いお友達のテーブルに行くとヤ〜〜〜〜が長くなかなか「セイ」にならずに終わらないのがまたおもしろかった。
全部終わったのが夜11時近かったと思う。シンガポールのユミさんナオコさんまたボルネオからのお友達は無事に帰れたかしら?
なんだかとっても陽気な楽しい南国の結婚式と披露宴でした。 2人の部屋にはその後もお友達が来ていた様だったが、ピッタリ12時には帰って行く声がしていた。                                    

11月3日(木)    ★マラッカ観光
 
少し早起きして今日はマラッカへ息子達の案内で行く事になっている。  
彼女の弟の友人からお借りした韓国車。   初めて韓国車に乗ったが、
窓が開かない設計のようだった。 
冷房するので敢えて暑い外気を入れる必要はないのだろう。マレーシア対応になっているようだった。
 
さて、パーム(palm)の木(日本語では椰子の木)が大きな葉を広げている森を両側に見て4時間くらい走るとマラッカ 途中の街で休憩しながらお土産屋さんを覗いた。                 
                                    上の写真をクリックするとアルバムが見られます
 
店内は陶器や造花・籠製品が多かった。 バナナの葉っぱを裂いた様な素材の「手提げ籠」がありちょっとおしゃれな感じなのでお土産用に買った。
また昼食のためのサービスエリアにも寄った。やはり日本のそれとはかなり違う。 
まだまだ目的地は遠いので先を急ぐ事に・・・。
暫く走るとマラッカの中心地らしい賑やかになところに出た。 
       
● オランダ広場(上の写真)・・・キリスト教会(1753年建立)やスタダイス(1650年建立)など       
   オランダ統治時代の赤色レンガの建物に囲まれている広場。
 
● スタダイス・・・オランダ総督公邸として建てられた。 現在はマラッカ歴史博物館。 マラッカ
   国王の黎明期から、ポルトガルの侵略とマラッカ国王の滅亡、オランダと英国の支配を経た現在ま
   でが解説されている。  またマレー人や華人の服装や装飾品なども展示されている。
 
● サンチャゴ砦・・・ポルトガルが東西貿易の橋頭堡として1511年に築いた丘を囲む要塞の門。
 
● 独立宣言記念館・・・ マレー連合州が英国から独立した前年1956年にマラッカは独立宣言
   をした。 マラッカは独立運動の中心地だった。
 
● セント・フランシス・ザビエル教会・・・フランス人カトリック宣教師が1849年に聖フランシ
   スコ・ザビエルに敬意を評して建てたゴシック様式の教会。
 
● スルタン・パレス・・・15世紀に栄えたマラッカ国王の宮殿を復元したもので現在は文化博物
   館になている。王族が繁栄を謳歌した巨大な木造高床式宮殿。
 
● 青風亭(チェン・フー・ティン)・・・華人によって建てられたマレーシア最古の仏教寺院。   
   1646年建立。
 
以上の名所旧跡を徒歩でグルッと周った。 観光地のせいか他ではほとんど会うことがなかった欧米人にも多く出会った。 
 
「チキン・ライス・ボール」が有名という店に並んで入った。    
レストランで何時も感心? ビックリ?する事は食事が終わった後のお皿の片付け方。
    *****ウエイトレスが来て大きなお皿の上に次々とお皿を重ねてかなりの高さに
        なるとその回りに花びらのように小さいお皿を差し込んで一辺に片付けて行く*****
        
チキンライスボールとはチキンを茹でたその汁で炊いたご飯をボール状に丸めたものでとても美味しかった。
 
駐車場までの途中のマラッカ川「ワニ」と思う生物が泳いでいた。端の石に登ったところはどう見ても「ワニ」にしか見えないがこんな身近に「ワニ」がいるのだろうか?  写真に撮ったがあまりよく写っていなく残念。体調1メートルはあった。
 
帰る頃、孫が甘くないウーロン茶が欲しいというのでママと彼女がスーパーまで走った。 待っている間の夕日がなんともきれいだった。マラッカ夕日の美しさも有名なのだそうな。                     
  ↓写真は『ワニ』らしき生物を見ている                
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11月2日(水)    ★シンガポール経由でマレーシアへ

今回の旅の目的は息子の結婚式と披露宴出席のため。
午前11時00分フライトなので我が家を少しはやめの6時50分ごろ出てJR京橋駅ホームで娘家族と持ち合わせ7時25分発の関空行きの快速電車に乗った。
1時間20分弱で関西空港に到着。   HISでチケットを購入していたので北ウィング4階の一番端のカウンターへ行き搭乗券に替え再び全く反対端の南ウィングチェックインカウンターHへ。団体客が並んでいる長蛇の列の最後につきレントゲンで荷物のチェックを受けた後、大きな荷物を預けて座席も決まった。
 
早過ぎたと思ったがこうして今日のように団体さんに出会うとちょうど良い時間だった。 機内はマアマアの混み具合で娘家族3人が前に、その後ろに我々夫婦の席。
昼間のフライトなので楽ではあるが到着まではおよそ7時間。
まもなくメニューが配られ、飲み物が・・・   そしてインターナショナルセレクション(洋食)または和食の昼食となった。
しばらくした時に女性の客室乗務員さんが結婚式でマレーシアへ行かれるんですってね!! と言って来た「エッ!! どうして知っているんですか・・・?」 「コーチャンから聞きました。」 そう言えば孫は退屈して 「ちょっと探検してくる!! とフラフラ歩きに行ったっけ。 
何度も往復して、トランプスヌーピーぬいぐるみをもらってきた。どうやらファーストクラスやあちこちを覗きに行っていたらしい。
 
そうこうする内に飛行機は予定より早くシンガポールのチャンギ空港に到着した。
あっけなく税関を通過でき荷物をターンテーブルから受け取り、迎えの息子たちを探した。 予定時間より早いのでどうかと思ったがすぐに彼女と現れて合流。
彼女の友人でシンガポールの会社に勤めている日本の「ユミさん」も来て喫茶コーナーで話をしながらマレーシアへ入るための「入国カード」とシンガポールを出る「出国カード」を記入した。
結局今回の旅ではその都度「出入国カード」を書き込む事となった。  一体全部で何回書く事になるのかな〜?
 
空港からユミさんをユミさんの家の近くまで送り国境まで車を走らせた。 パスポートと出国カードをまとめて渡して難なく通過。   少し走ってジョホール水道を渡るといよいよマレーシア。 ここマレーシア国境でも車に乗っているメンバーの顔をパスポートの写真と照らし合わせて係官はニコッと微笑んでで通してくれた。
道の両側をカラフルなイルミネーションで飾って橋の辺りからはちょっと雰囲気が変わった。
 
*ここよりジョホール・バル (マレーシア)
橋からまもなくのところに今回お世話になる25階建てのコンドミニアムがある。
彼女のおばさんはコンドミニアムをいくつも持っているという。 その一室をお借りする事になったのだが、とても広くてきれいで快適。 リビングルームを中心に3ベットルームあって娘一家 ・我々夫婦 ・息子たち2人とそれぞれに別れて使わせてもらった。先ずは荷物を置いてご両親に会うために再び車で・・・。
 
北京海鮮楼」というレストランで、 ご両親とごきょうだいとコンドミニアムのおば様と初めてお会いして夕食を共にしながら話がはずんだ・・・。
と本来ならなるのだが、何せ言葉が???  なので彼女が紹介をしてくれてなんとなくニコニコしながら英語も交え、習いたての中国語も飛び出したりで楽しいひと時を過ごした。 
息子と私が良く似ていると言われ、年齢の話にもなった。 イー・アル・サン・スー・ウー・リュー・チー・パーと指で数えながら大阪の「ニーハオ教室」で教わったように答えたら通じた。 胡先生に感謝!!
食事は心配するほどでもなく、どれも美味しかった。
アルペジオ.MID

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BGMはBGMの小箱さんからお借りしました。
曲名はライラックの香りです。