History of Teshio
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天塩岳を源とし、日本海に注ぐ天塩川の河口に位置する天塩町。遠くシベリア・沿海州にまでつらなるタイコからの歴史を持っています。明治20年代に天塩国諸原野の植民地選定により開拓が始まり、明治30年代に本州各地からの移民が開拓の鍬を入れることで形成されてきました。テシオとはアイヌ語のテッシから由来されており、「梁」を意味しています。これは、天塩川に自然に出来た、梁のような場所が数多くあり天塩川をテッシ・オ・ペツ、魚を捕獲する納屋のようなところがたくさんある川から転訛しました。
天塩町は北海道開拓し以前から船の往来が多いところで江戸期には、「テシホ場所」として交易や漁業が繰り広げられ、当時の天塩川河口を八〜九百石積の船が行き交い栄えていました。開墾を繰り返し、次第に町としての機能を形成し、大正期における木材景気により町は、一気に人口を増やし市街地がにぎわい、商工業の発展に大きな影響を与えました。
しかし木材景気衰退と共に、農業への転換が進められ戦時下の昭和16年には集乳工場を設置、バターやクリームへの加工も行われ乳牛飼育は著しく発展しました。漁業においては、豊富な水産資源と共に発展しましたが、昭和29年を境にニシンが全く捕れなくなり大打撃を受けました。しかし、以後「育てる漁業」を掲げ、サケマスのふ化事業に力を入れ「天塩鮭」の名を再び高める事になりました。また、しじみ貝は道内1,2の生産高を誇る物となり漁協や地元商店、観光PRにより全国的にも有名になりました。
商工業に関しては、昭和14年商工会の全身、天塩商業組合が設立され、商工会法施行により昭和35年、天塩商工会が設置されました。青年部の設置は、おくれること8年。昭和43年に天塩商工会青年部として設立。現在に至っております。
名 称 天塩商工会青年部
設立年月日 昭和43年3月24日
部 員 数 平成20年4月現在 21人活 動 予 算 本年度予算126万円
歴 代 部 長
第 1代 広海 守泰 S43〜47
第 2代 宮武 守也 S47〜50
第 3代 本田 善彦 S50〜52
第 4代 廣瀬 龍蔵 S52〜54
第 5代 草刈 幸男 S54〜56
第 6代 寺本 弘之 S56〜58
第 7代 佐々木 鉄一 S58〜60
第 8代 瀬越 正己 S60〜62
第 9代 菅井 悟 S62〜元
第10代 園田 宏幸 H 元〜 3
第11代 石山 道徳 H 3〜 5
第12代 森 政清 H 5〜 7
第13代 合羽井 敏征 H 7〜13
第14代 高橋 修司 H13〜17
第15代 鹿児島 剛 H17〜19
第16代 横山 敦 H19〜
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