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あると言えばあると言えるし、ないと言えばないとも言えます。
よくペットが亡くなる時に言われたりしますよね。
「ペットがあなたの身代わりになって…」
その人のことを思って言っているのでしょうが、私たちは言われて嬉しくないし、辛い気持ちになるだけです。まして、身代わりになれるものなら、自分の方が代わりになってあげたいと思っているくらいですから、ペットが亡くなった後にそのようなことを言われると人を追い込むようなもので、辛くさせるだけです。
身代わりになって良い命ってありますか?
すべての命は尊いものですから、代わりはありません。
代わりがないから、命はすべて尊いのです。
あなたがお腹空いている時、誰かが食べているのを見て、お腹いっぱいになりますか?
あなたがトイレに行きたい時、誰かがあなたの代わりトイレにいって、スッキリできますか?
代わりにできることはあっても、その身を代わってあげることはできません。
例えば、車やバイクが好きな人を事故から護るために、「身代わりになって死んでくれた」というようなことから言われることがありましょうが、代わりに事故に遭ったからといってそれで代わりができるのでしょうか?
そうではなくて、与えられてきた命の寿命が尽きる時に、あなたが交通事故に遭わないように事故によって時を迎えることで、大好きな者に注意を喚起することはできるものです。
交通事故でなければ、不慮の事故で亡くなるだけで、命の時間は短くも長くもなりません。
最初から与えられた時間通りです。
それであれば、事故を通じて大好きな人の事故を防止する方がいいでしょうから、最後の時の迎え方を事故にすることで、「安全運転して事故に気をつけなさいよ」「突然の事故で亡くなることは大好きな人を悲しませることになるからね」というようにメッセージを託して、大好きなあなたのためにその命を活かし、あなたの中で生きるのであって、それは身代わりではありません。
時の定めとしてその身が亡くなるとしても、生きた教えとなってあなたを活かし、あなたの心と共に生きるのであって、その身が無くなっても消えた訳ではありません。
あなたが生きておりますから。
それが入り混じって言われる時には、「あなたの身代わりになって…」という言われ方をされるものです。
これは、事故に限ったことでなく、病気や不幸というものもありましょう。
そうして、仏の世界に逝く者たちは、あなたへの感謝の恩返しと、あなたを生かし護る仏としての役目を果たすべく命の節目を通じてその身を変わるのです。
つまり、見えている肉体という姿から、見えにくい仏として姿を変えるのであって、この身が変わることを『身変わり』というならありましょう。
その体や命を変わることはできても、代わることはできませんので『身代わり』ということはどうなのでしょうね。
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