|
そのようなことはありません。
あなたに想われて成仏しないはずはありません。
供養されていないことなどありませんよ。
愛する子を失った悲しい心に付け込んで、
「あなたのペットは供養されていない」
「私が供養してあげるから、いくら出しなさい」
という輩(やから)がいるようです。
私たちの後悔や罪悪感を逆手に取って、それにつけ込み、御祓いや祈祷と称しお金を要求するようです。
ある方から連絡があり、私が供養したことを知らずに、成仏していないなどと言って(私の信じるものに力がないのであれば別ですが)、
2万円払えば祈祷して成仏させてあげると、祈祷師と名乗る人から言われたそうです。(ここでは名前を記しませんが)
いくら払いなさいという場合は注意していいと思いますよ。
それは、動物の霊視ができるという人や霊媒師・祈祷師と名乗る者、動物と会話できる者など、いろいろな人がいるようです。
もちろん、真実はどうなのか分りません。
というのは、その人にとって、そのように見えることもあるかもしれないというだけですけどね。
ただ、その人がそのように言っているだけであって、適当なことを言っていることもありますし、お金目当てに言っていることもあります。
それをどのように判断するかは、あなた次第ということになります。
そして、その判断をしたとして、お金を払ってお願いしたにしても、私は供養になると思いますよ。
それは、その怪しい者に祈る力があるのではなく、愛するあなたが、“それでもしてあげたい”という想いに力があり、それが追善供養になると思いますから、行なってしまったからといって、騙されたにしても、何も効果がないわけでもないのです。
こんなこと言っていると、私もこのような輩の片割れのようになってしまいますね。
紙一重だから、みなさんも、自分の気持ちを大事にして判断して下さい。
私としての見解では、成仏しないことなどありません。
もちろん、お経というものに私は力があると信じているので、お経によって成仏することもありますが、基本的にはお経がなくても、あなたに想いがあれば成仏できます。
その想いだけでなく、さらに何かしてあげたいという想いがお経に託され、さらなる祈りになって届くのであって、お経というものは愛情の追加という追善供養と想っていただければ分りやすいかと思われます。
また、成仏ということであれば、「あっちだよ」と指し示してあげるのがお経なしの供養とすると、お経ある供養というのは「こちらですよ」と道案内をしてあげるというものであると思ってもらうと分りやすいのかな。
だから、成仏しないことなんてないのですよ。
そりゃぁ辛いことや苦しいことはあったでしょうが、それはその時のことであって、今はそうでないのですよ。
それに、辛くたって苦しくたって、頑張ったのですから、褒めてあげていいことです。
私たちの罪悪感や後悔は、それとは別です。
あれは偽者、これは本物という判断を私はしません。
みなさんの感覚で、信じる・信じないは決めていいと思います。
それが、真実でもあり、何もしないより、何かしてくれたら、喜ぶことでしょうから、これもまた真実ということになり、無理しないことであれば、すべては供養になるでしょう。
だけど、お金を要求するようなら、気をつけて下さいね。
|