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Q&A
メールなどで寄せられた質問についてQ&Aにしました。
 
ここにある答えは私の思想です。
みなさんがパートナーたちに
何をしたいのか?何をしてあげたいのか?
いろいろあるでしょう。
 
すべては、そこに“想い”があることが大切です。
自分のしてあげたいことをしてあげましょう。
8
霊視できますか?
私はできません。
 
できる人はいるのかもしれませんが、それがどうなのかは分りません。
そういう方を知りませんので、紹介することもできません。
 
愛する者を喪った時、夢にでもいいから出てきて欲しいし、話せるものなら話がしたいと思いますよね。
それは当然の感情というもので、何かあるなら誰かにでも縋ってお願いしたくもなりますよね。
 
私は霊視などはできませんが、メッセージがあることはインスピレーションで感じることがありますから、それは私の言葉を借りにきた子たちの代わりに伝えることはあります。
それは、こう言えば慰められる、こう言えば励ませるなど、言うことを考えていうのではなく、素直な心で話を聞いていると、その中で伝えようとしていることや、伝えて欲しいことを感じるので、それをただ素直に言っているだけですけどね。
それは、みなさんの心の中にあるものであって、話を聞いて、みんなの様子を聞いて、不思議な時や聖なる出来事においてメッセージを残してくれていることを、悲しみと後悔で見えなくなっている、あたなの心に代わって、あなたの子に代わって、言葉にして伝えるくらいなものです。
 
○○と言っているとか見えるよう・聞いたようには言いませんし、「○○だワン」、「○○だニャん」などとふざけたことは言いません。また、言えません。
また、そういうことを言う人がいるらしいのですよね。
困ったことです。
 
生きているとき、共に暮らしている時は、その声や仕草で私たちはコミニュケーションをとってきました。
別れの後にだって同じように、命の中にあった魂があり、その姿の変わった命は何かを伝えようとしているです。
その声は気づきに変わり、仕草は時に変わり、コミニュケーションの仕方が変わって、時を前後することで気づくこともあり、あの時の、あの事は、こういうことなのかぁと、あなたのために何かを残していることもあるのです。
私はそれを、あなたの心にある、あなたの心に残されているメッセージを言葉にしているのです。
みなさんを愛する小さな守護者たちの姿は見えませんが、伝えたい人に伝わるよう、出会いや縁、時や出来事を通じて、あなたに必要な何かを伝えようとしてくれています。
それを素直に感じるので、話をする中で伝える事は、見えない者に頼られていることでもあるので、感じた事は伝えるようにしておりますが、「何と言っていますか?」と言われても分るものでもなく、対話の中で感じることなのです。
 
小説や物語も、お話を通じて誰かに何かを残すように、あなたとあなたの子とのラブストーリーの中には、伝えたい何かがあるのです。
私にできることは、そのことを語ること、祈ること、供養すること、心を共有すること、心に寄り添うことで、対話を通じて心にあるものを整理することくらいで、霊視などはできません。
更新日時:
2005/07/05
9
あなたのペットが供養されていないと言われました?
そのようなことはありません。
 
あなたに想われて成仏しないはずはありません。
供養されていないことなどありませんよ。
 
愛する子を失った悲しい心に付け込んで、
「あなたのペットは供養されていない」
「私が供養してあげるから、いくら出しなさい」
という輩(やから)がいるようです。
私たちの後悔や罪悪感を逆手に取って、それにつけ込み、御祓いや祈祷と称しお金を要求するようです。
 
ある方から連絡があり、私が供養したことを知らずに、成仏していないなどと言って(私の信じるものに力がないのであれば別ですが)、
2万円払えば祈祷して成仏させてあげると、祈祷師と名乗る人から言われたそうです。(ここでは名前を記しませんが)
いくら払いなさいという場合は注意していいと思いますよ。
 
それは、動物の霊視ができるという人や霊媒師・祈祷師と名乗る者、動物と会話できる者など、いろいろな人がいるようです。
もちろん、真実はどうなのか分りません。
というのは、その人にとって、そのように見えることもあるかもしれないというだけですけどね。
ただ、その人がそのように言っているだけであって、適当なことを言っていることもありますし、お金目当てに言っていることもあります。
それをどのように判断するかは、あなた次第ということになります。
そして、その判断をしたとして、お金を払ってお願いしたにしても、私は供養になると思いますよ。
 
それは、その怪しい者に祈る力があるのではなく、愛するあなたが、“それでもしてあげたい”という想いに力があり、それが追善供養になると思いますから、行なってしまったからといって、騙されたにしても、何も効果がないわけでもないのです。
 
こんなこと言っていると、私もこのような輩の片割れのようになってしまいますね。
紙一重だから、みなさんも、自分の気持ちを大事にして判断して下さい。
 
私としての見解では、成仏しないことなどありません。
もちろん、お経というものに私は力があると信じているので、お経によって成仏することもありますが、基本的にはお経がなくても、あなたに想いがあれば成仏できます。
その想いだけでなく、さらに何かしてあげたいという想いがお経に託され、さらなる祈りになって届くのであって、お経というものは愛情の追加という追善供養と想っていただければ分りやすいかと思われます。
また、成仏ということであれば、「あっちだよ」と指し示してあげるのがお経なしの供養とすると、お経ある供養というのは「こちらですよ」と道案内をしてあげるというものであると思ってもらうと分りやすいのかな。
だから、成仏しないことなんてないのですよ。
 
そりゃぁ辛いことや苦しいことはあったでしょうが、それはその時のことであって、今はそうでないのですよ。
それに、辛くたって苦しくたって、頑張ったのですから、褒めてあげていいことです。
私たちの罪悪感や後悔は、それとは別です。
 
あれは偽者、これは本物という判断を私はしません。
みなさんの感覚で、信じる・信じないは決めていいと思います。
それが、真実でもあり、何もしないより、何かしてくれたら、喜ぶことでしょうから、これもまた真実ということになり、無理しないことであれば、すべては供養になるでしょう。
 
だけど、お金を要求するようなら、気をつけて下さいね。
 
更新日時:
2005/03/01
10
友引なのですが火葬は避けた方がいいの?
お心のままに。
気にされる方もおりますが、気にすることもありません。
 
大安に結婚しても離婚することもあり、仏滅に結婚しても離婚しないこともあります。
友引に葬儀をしても大丈夫ですよ。
 
友引と思うから気になるのです。
 
暦を日常の中で重んじて気にしているのでしたら、そのようにしたらいいと思いますし、そうでないのなら、気にする必要はありません。
死者が引っ張っていったり、連れて行ったりしたなどと耳にされたのでしょうね。
そういうことを聞くと惑わされてしまうものですが、愛された子たちは生者を道ずれにするようなことはありません。
あなたが生きていて欲しかったと思うように、あなたに生きて欲しいと願うからです。
一緒にいたいと思うのは私たちであって、魂は一緒にいることができるのですから、あちらから引いていくことはないのです。
 
暦は縁起を担ぐものであって、日々気にしているのでしたら、そうした方がいいのであって、気にしていない人にとっては、関係のないものと同じなのですから、何もないようなものです。
 
気にしていて敢えて行なうとしますよね。それで、何事もないときは関連性がないものとして忘れおり、何かあると関連させて後悔することになってしまうので、気にしている人は気にしてもいいと思いますが、何もない時は忘れているくらいのことですから、最初から囚われる必要なないように思えます。
それに何か事が重なったとしても、それは暦が重ねたのではなく、そうなる縁起があったのであって、暦によって人生が左右されたり、影響されたりするものではなく、気持ち的なものなのですからね。
 
今回は友引でしたが、大安や仏滅などのことを考えても見て下さい。
大安に結婚したら離婚しないのでしょうか?
仏滅に結婚したら離婚するのでしょうか?
そんなことありませんよね。大安や仏滅に関係なく、縁が薄くなるからであって、愛が薄れるからで、暦との関連性はないようなものです。
 
暦が縁を担ぐものなれば、友引であっても、皆さんが集まり見送ってあげられる方が、それこそお互いの幸せであって、そういうことが縁になりますから、暦ではなく相手の幸せを思って決めて下さい。
更新日時:
2005/03/01
11
分骨すると欠けたり足りなくなったりしますか?
そんなことはありません。
 
たまに人に言われることがあるのですよね。お骨を分骨すると、天国でその部分が足りないとか、来世においてその部分が欠けてしまうなどということを耳にします。
 
でも、そんなことはありません。
それが事実なら、すべての生命はとっくに絶滅しています。
それに火葬技術者として言わせていただくと、人も動物も火葬炉で火葬すれば、砕けてしまったり、粉になってしまったりするように、生前のそのままのすべてを残すことは不可能なことなのです。ですから、分骨する以前のことを考えたら、欠けて足りない者ばかりになってしまい、この世に生命は存続できないことになってしまうのです。
 
それに、この世に生きるにも、骨だけでは生きることができません。
体がすべてでもありません。
魂は魂ですよ。
 
お骨についての見解として、部分ではなく、総体で考えていただけたら分りやすいと思います。
お骨というのは、地球という命の星から生きるために借りてきたものであって、いつかは借りたものを素に還し、さらなる命が生まれてこれるように循環しているものなのです。
それは、その体そのものが循環されるのではなく、みんなすべてが元素になって集まり、次の瞬間にとれだけの生命が誕生できる総量かどうかのことなのです。
 
例えば、ゴールデンレトリバーのお骨を一部分骨するとします。そして、一部は手元に残し、あとは自然に還したとしましょう。
そうすると、次にはゴールデンとして必要なお骨は足りないので、ゴールデンという大きな生体としては生まれてこれないので、猫ちゃん2体、柴犬1体、チワワ1体、ハムスター1体、小鳥1体というように多くになることもあるでしょう。また、ゴールデン3体分くらいが自然に還元されたなら、人ひとりとして生まれてくることができるということです。
 
そういうことが地球全体の総量として還元されて自然に還っているのであり、その総量が次なる命を生み出せるのであって、一部分は一部としてでなく、母なる地球すべてになっているのです。そうして、地球は同じ者を同じ者にではなく、みんなを一つにして必要な命を振り分けるようにしているのです。
 
つまり、「人類みな兄弟」ということだって、まさにその通りであって、人類だけでなく、地球上に存在する命のすべては兄弟であり、もとは一つであったのです。
 
ですから、迷い事に惑わされることなく、素直な気持ちで、してあげたいこと、したいと思うことをしていいのですよ。
更新日時:
2005/03/01
12
永代供養できますか?
できますよ。
永代供養を申し込みされれば、毎日の読経の中で名前を読み上げて供養するようにいたします。
 
日々に読経の中では、一般的に広く浅く供養と祈りを捧げていますが、個別の名前を読み込んでいるわけではありません。
ただ、永代供養を申し込みされている方々の名前は、お経の後の回向の中で個別に名前を読み込み幸せを祈っております。
それが人の場合の永代供養の仕方で、動物たちも何ら変わりありません。
実際には毎日お参りに来るわけではないのですが、こうして永代供養するということは、毎日お寺にお参りしてお賽銭を喜捨し、手合わせているのと同じことになります。
 
動物たちの場合も一緒ですね。「○○家○○ちゃん」と回向の中で、名前を読み込んで日々供養することが出来ます。
 
永代供養をすることで、自宅で手を合わせるだけでなく、きちんと寺院においてもお経を読んでもらえるわけですから、愛されているという想いは、より募るでしょうね。
再会できるその日まで、いつも幸せを願い、感謝を伝えるのですから、とても素敵な供養の仕方でもあります。
 
そうして日々幸せを祈ってもらえたら嬉しいでしょうし誇りに思うことでしょう。
その喜びと感謝から、さらに愛情の絆は強くなるでしょうね。
 
お寺によっても料金といいますか、永代供養料として納める金額は異なりましょうが、長福寺では人が拾萬円で、動物は伍萬円となります。ご参考までに。
永代供養料というのは、一度に納める金額で見ると高いように思われますが、毎日参詣して10円のお賽銭を喜捨したとします。すると、一ヶ月で約300円、一年で約3,600円、10年で36,000円というようになり、毎日喜捨するお賽銭の額によって変動してくることでしょうが、このように考えていただくと、永代供養として喜捨する金額が納得いくかと思います。
 
永代供養というのは、それだけ、これから先も『ずっと大好きだよ!ずっと想っているよ!!』ということの、心の想いを行為にして伝えようとする意思の現れで、それだけ想いが深いということを伝える供養なのです。
 
更新日時:
2005/07/05
13
読み込みって何?
読み込みというのはお経の後にある回向という文言の中に、供養する者の名前を読み込んであげることをいいます。
 
そうすることで、「先に読んだお経はあなたに捧げられたものですよ」と声明文として伝えるのです。
そうでないと、読んだお経が何の目的のもので、誰宛のものなのかが分らなくなってしまいますからね。
 
郵便に例えると分り易いのかな?
書かれている内容が気持ちやお経を通じて、「伝えたい想い」としてあるのに、宛先がないのではせっかくの気持ちも届きませんからね。
だから、お経の後に誰宛のものであるかを読み込んで伝えるのです。
更新日時:
2005/03/01
14
供養の節目になる日は?
供養の節目として一般的なものは、命日、初七日〜四十九日、月命日、百か日、一周忌、三回忌…といろいろあります。
 
その数え方について
亡くなったその日:命日
命日を含めて数え7日目:初七日
翌週:二七日
翌週:三七日
翌週:四七日
翌週:五七日(三十五日)
翌週:六七日
翌週:七七日(四十九日)
毎月の命日の日:月命日
百日目:百か日
1年後:一周忌
2年後:三回忌
 
分りづらいのは、四十九日と三回忌でしょうね。
四十九日の法要は命日を1日として数えて49日目が四十九日の法要になります。
三回忌というのは亡くなった命日その日を一回忌として数えますので、1年後の一周忌は二回忌となり、2年後の命日が三回忌となります。
 
このような節目に当たる日には、いつもよりも少し豪華にしてみてはいかがですか?
日々の供養はもちろんですが、このような日は、ご褒美をあげるつもりで供養してあげるといいと思います。
(ここでは詳しく記しませんが宗教では意味ある日となっています。この日に供養してあげると天国での幸せ度がアップするとでも言えるのかな)
 
大切なのは節目だけではなく、日々の想いが大事ですね。
その毎日が積み重なって永遠になるのですから!
更新日時:
2005/03/01

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