このタイトルからイソップ物語にある「キツネと葡萄の房」というお話を連想される方がと多いかと思います。
この話の大筋は、こんな感じです。
お腹を空かしたきつねが、美味しそうな葡萄が実った葡萄の木を見つけました。その美味しそう葡萄を取って食べようと、飛び上がりましたがうまくいきませんでした。何度も繰り返したのですが、どうしても葡萄には手がとどきませんでした。
そこでキツネは立ち去るときに、こう独り言をいいました。
「まだ、この葡萄は熟れていない。この葡萄はすっぱいんだ」
今回はこのキツネと葡萄についてのコラムです。
その後の話として、確かにこの葡萄はすっぱかったそうです。
でも、この葡萄も時が来ればやがては熟して美味しい葡萄になると思いますが、期が熟していない時はどんな果実もすっぱいことでしょう。
ちょうどパートナーを亡くして死を受け入れていない状況や、自責の念から辛い思いをしている方、パートナーのいない喪失感に苛まれている方にとって、葡萄は確かに熟れていないのでとてもすっぱいものだと思います。
この葡萄と同じように、パートナーの死も時間が経過すれば人生を彩る豊かな思い出となることでしょうが、悲しみは完全に消えることはないでしょうから甘酸っぱい葡萄となるのでしょうね。
ペットロスは誰しも通る道ですが、何とか脱しようと試みてもうまくいかないこともあると思います。ちょうどキツネがジャンプするように…。
例えジャンプして得ることができても、それはまだ熟していない酸っぱい葡萄であると思います。
葡萄が熟するのに時間が必要なように、悲しみや寂しさ、辛さなどが癒えるのにも時間が必要で、必要だからこそ時間が与えられているのです。
努力することはいいことですが、無理をする必要はありません。
寂しいからといって無理に新たなパートナーを迎えてもすっぱい想いを経験することになります。
まだ熟していない葡萄のように…。
寂しさや辛さと向き合わずに逃げしまっては、時間が経ってもすっぱい想いをすることになります。
それは熟していない葡萄を収穫しただけだから…。
泣くことを恥ずかしいことだと思い、泣くことを抑え、悲しみを表現しないでいることは、見栄を張ってやせ我慢しているのと同じです。
「あの葡萄はすっぱい」と言っているキツネのように…。
だからと言って、何にもしないでただ時間が過ぎるのを待っていては、葡萄は熟するでしょうが芳醇な葡萄にはなりません。
この実った果実を芳醇な葡萄にするためには手をかけてあげなければなりません。
芳醇な葡萄を育むには、太陽の光と新鮮な水、豊かな大地と爽やかな空気が必要です。
心にも、いつかは再会できる希望の光といつも愛しているという新鮮な水、楽しさや苦しみなどいっぱい経験してきた豊かな心と、その心の扉を開いて新鮮な空気を送ってあげることが必要です。
さまざまな愛の表現の仕方があると思います。いっぱい愛情を表現してあげて下さい。
そして、この想いを自分だけの心に閉じ込めず扉を開いてみんなに語って下さい。同じような想いをする方たちからの優しい言葉が心に爽やかな風をもたらすこともあるでしょう。
さまざまな愛情の表現をしてあげて芳醇な葡萄になったら、その葡萄に自然と手が届くでしょうし、口にしてみても辛い涙のようにすっぱいものではないと思います。
口にすると思い出が広がり、その味わいからの涙がでるような、豊かな思い出に感謝できる涙になることと思います。
いったいこの葡萄は何でしょうね。なぜ葡萄が栄えているのでしょうね。
私たちの心は畑と同じで、パートナーと出会う前から様々な経験により心を耕してきました。いろんな種を植えては花が咲き、実が成り、自分で蒔いた種は自分で刈り取らなければならないことを学びながら心を耕してきました。
この心の土地を耕して豊かにしてきたからこそ、出会いというパートナーとのすばらしい葡萄の苗を植えることができたのです。
この苗に喜びや優しさという愛情の水を共に注ぎ、共に支え合いながら時間をかけて大きな樹に育て、何度もこの樹に実った葡萄を食べては芳醇な時間を共に過ごしてきたはずです。
そして最後に実ったこの葡萄はどんな葡萄となるのでしょうか。
それを、後悔で土地を痩せさせ、辛い涙で葡萄をダメにしてしまうのですか。
何もせずに葡萄をそのままにしておくのですか。
最高の葡萄になるはずなのに…。
葡萄の苗を植えて共に育ててきたのに、死を境に葡萄を腐らせてしまうのですか。
それとも、イソップ物語に出てくるキツネのように、ジャンプしても届かないからといって、「まだ、この葡萄は熟れていないのだ」と言うのですか。
亡くなってしまって触れることができないから、天国は遠く手の届くところではないから、今の心境から、「この葡萄はすっぱい」と言うのですか。
この一緒に育ててきたこの葡萄を…
どんなに愛情を表現して注いでも、この葡萄を一人で味わうとしたら、きっと甘酸っぱい半面のすっぱさだけが感じるのでしょうね。
でも、みんなで持ち寄って分かち合ったら、どんなに美味しい葡萄となることでしょう。
ちなみに、私は欲張りなのでこの葡萄の一部をしっかりと摘み取って、思い出として心で熟成させてワインにしますよ。
いつかパートナーに再会した時のお祝いに乾杯できるワインとして一緒に味わえるようにします。
天国に地位や財産は持っていけないけど、心は持って行けますからね。
あっ、そうそう!
ワインを熟成するには貯蔵庫で温度を一定に保ちしっかりと管理しなくてはなりません。
同じように人生において優しさでしっかりと管理しなくてはいいワインにはなりませんよ。
心の温度は肉体的な影響も受けますから、貯蔵庫である身体もしっかりと保たなくてはなりませんし、温度である心も常に一定に保たなければなりません。
ワインの貯蔵庫である自分を修め整え、パートナーの分まで精一杯生き、風雨や災難から守らなければなりません。
一定の温度と湿度を保たなければならないように、心を愛情と感謝で一定に保つよう努力することがいいワインを作る秘訣でしょうかね。
こうして共に育てた愛情という果実を取って、心で熟成させて、芳醇あるワインにすると、その透き通ったワインは輝く水晶のようになり、どんなに離れていてもひと目で分かる光を放ち始めます。
たとえ天国が遠くにあろうともパートナーにとってひと目で判る輝く光となるでしょう。
ここで、ちょっとだけギリシャ神話の逸話を要約して紹介しますね。
神々に叱られて機嫌の悪かったディオニュソスは、月の女神アルテミスの神殿に向かおうとしていた少女アメジストに虎をけしかけて憂さ晴らしをしようとしました。
そのことに気付いたアルテミスは、アメジストを透明な水晶に変えてしまいました。
ディオニュソスは自分の行為を恥じて、この水晶に葡萄酒を注いで罪を詫びたそうです。
すると透明な水晶は美しい紫色の宝石に変わったのです。
それからディオニュソスにずっと愛されたこの石は、ワインストーン、バッカスストーン等とも呼ばれ、縁結び・護身等の効果があるとされています。
再会の祝福酒として心に抱く透き通ったワインは、水晶のようになって縁結びと護身の効果があるとされるワインストーンになることでしょうね!
ずっと愛することで…。
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