Column
 
みなさまの心に少しでも安らぎが訪れるように祈っております。
そして、ペットロスの癒しになればと想っております・・・
どれか一つでも心に響きますように。
   ペットの語源…
 人類と動物が一緒に暮らし始めて一万年以上になり、使役動物としての役割から解放されて、ペットは人間の生活に入り込んで種族を超えた愛情を得るようになってきました。
 そして今は、一緒の時代と共に生きるパートナーとして、人間や動物のちがいを超えた関係を築いています。
 このペットという呼び方も最近では、「上の立場から動物を見下している言葉で適切でない」とのことからコンパニオン・アニマル(伴侶動物)という呼び方に変わってきました。
 そして、環境破壊が進み人間と自然との関わりが自分たちに不利益をもたらすようになってきた1970年代頃から、学会においてもヒューマン・アニマル・ボンド(人間と動物の絆)が提唱さるようになり、ペットの地位はさらに向上することとなったのです。
 この使役動物からペット、ペットからコンパニオンアニマルとして地位向上を果たした「ペット」とは、どんな意味から来ているのでしょうか?
 
 ペットの語源は英語で、人間に飼われている犬や猫などの動物のことをペットといい、この言葉には二つの意味があります。
 一つは名詞として家で飼っている愛玩動物のことを意味し、もう一つは動詞として「なでる」という意味を持っています。その他の意味としては、お気に入り、大事なもの、特別、かわいがる、抱きしめる、などがあります。
 つまり、私たちが撫でたり、抱きしめたり、可愛がることができる動物のことをペットといい、その存在は語源が示すように特別で大事な存在であり、私たちの愛しているパートナーたちのことをペットと言います。
 このペットの語源は「撫でる」ということから来ているのですが、私たちはなぜペットを撫でたくなるのでしょうか?
 
 よく自分の飼っているペットを“うちの子”と言いますが、自分の子供であれば撫でたくなるのは当然のことですよね。
 私たちがなぜペットをなでるかというと、子供の代用とされているところがあります。これは、食事や排泄の世話をすることから表面的には子供の世話をしている様子から、ペットを子供の代用という思考がされてきたのであります。
 この傾向は心理学を専攻した人たちによく見られることで、ペットロス症候群についてもよく結論されることなのですが、私にはそれが感覚として理解することができないので、今回カウンセラーの資格を取ることで、納得し得ない何かを得られえるのではないかと思い勉強することにもなったのです。
 よく、カウンセラーなどは、「子供のいない夫婦にとってペットは子供の役割を演じており、そのペットは子供の代用である」と見なされたり、「子供が独立した母親の寂しさを紛らわす者としての存在がペットである」と診断されたりするように、何かペットのことを子供の代用品で、生命の尊厳がある存在と見なしていないような気がしてならない。
 このことが私の感性(直観)に引っかかり、納得し得ないこととなるのです。
 たまには感情的になって、「子供がいなくて何が悪い!」「自分の子供のように可愛がって何がいけない!」「人間以外のものと愛情を交わすことのどこが変なの?」「何だか見下しているようなその態度が気に入らない」と言ってやりたいこともあるのですが、言葉には出さずに穏やかな顔をしておりますけど・・・。
 まぁ、心理関係の人が結論付けたい落とし所を理解しているので、言いたいことは判るのですが、本当に子供の代用なのであろうかと疑ってしまう。
 このペットという語源などからも思うのだが、ペットは子供の代用なのではなく、ペットは私たちの母親なのではないかというのが私の結論である。
 
 赤ちゃんが母親から授乳を受けるとき、本能的に手をおっぱいの上に置いて飲みます。この胸に置いた手から伝わってくる温もりや感触から、無条件の愛情や親子の信頼関係という絆を築いていくのです。
 もちろん、目や言葉、態度などいろいろあり、それだけではありませんけど、それはペットが示してくれることと同じで、これらのことを通じて絆を深めていくのです。
 これらのことを通じて人間の本能的なものに、「やわらかくて温かみのあるもの」に触ると、血圧が下がり、心拍が安定することは医学的にも認められており、アニマルセラピーなどの分野ではペットに触れることから得られる心身の安定から医療の現場にペットを介在させることがあります。
 ペットの語源は「撫でる」ということなのですが、この撫でることから得られる安心感は乳幼児の時に感じた母親の温もりで、ペットが私たちに示す無条件の愛情は母親が子供に示す愛情と全く同じであります。
 この語源にあるような「抱きしめる、可愛がる、特別の、大事な、お気に入り」という意味は、母性愛の要件と偶然にも一致するのです。
 母親がいなければ私たちは生まれてこないし、哺乳類は他の種族とは育成が異なり、成長するまで乳を飲み、親と一緒に過していくことなどを考えると、ペットの示す無条件の愛情は母の愛情で、ペットは子供の代用というより母親の代用なのではないのかと思うのです。
 子供のいない人には心理学的考察が多少は当てはまっても、子供のいる人にはちょっと的外れになるのではないでしょうか。
 しかし、子供のいる人、いない人の違いはあっても、共通していることは母親なしで生まれてくる人はいないことです。
 言葉はよろしくないですが、代用という意味ではペットは母の代用なのではないのかと思うことがあるのです。
 私たちはペットを撫でることで、可愛がっているだけではなく、心の奥底では無条件に愛してくれる母性愛を求めており、対人関係ではなかなか得られない、そのままの自分を受け入れてくれる愛をパートナーに求めているのではないだろうか。
 撫でることによって得られる安心感から無意識に撫でることを求めていて、自ずと撫でるのではないでしょうか。
 人間の根源にある本能的な欲求から自然と可愛がり、無条件で自分を受け入れてくれる安心感を与えてくれるパートナーたちは、私たちにとって母親と同じ愛情を抱いてくれるまさに人生のパートナーなのです。
 
 さらに言葉を換えると、母親の代用というより、さらに大きな母なる地球から代わりに用事を遣わされた者であると言えます。
 私たちの母親は人ですが、動物全体、生命全体の生みの親、育ての親は地球であり、「母なる大地」と呼ばれる地球(ガイア)なのです。
 都会の喧騒を離れ、森林浴や川のせせらぎに身を委ねるときの安心感は地球という母が与えてくれる無条件の愛情であり、パートナーたちが備えている自然なしぐさや感情に接することで心癒されるのは、自然の持つ力を彼らが備えているからだと思うのです。
 私たちが失ってしまった自然との絆、地球との絆を回復してくれているパートナーは、まさに母の代用者(地球の代わりに用事を承った者)でもあり、地球という神から遣わせれた天使であるとも言えるのです。
 
 私たちはパートナーのことを「うちの子」と言っていますが、パートナーは私たちのことを「うちの子」と言っていることでしょうね。
 だって、子供が母親に甘えるように、パートナーに抱きつき、撫でたり、キスしたり、スキンシップをする私たちは、パートナーにとって「まったくしょうがない子(飼い主)ねぇ」と言う母心と同じ無条件の愛で包んでくれています。
 私たちがパートナーのことを「うちの子」と言って、我が子への無条件の愛情を示すと同時に、パートナーが与えてくれる無条件の愛情も「うちの子(飼い主)」への母なる愛なのです。
 
 いったい、パートナーは私たちの子供なの?私たちの母なの?どっちなの?
 
 答えは、両方です!
 
 常にお互いを必要とし、お互いを補い合うベストパートナー。
 お互いに役割を入れ替わり立ち代り成長を支え合うベストパートナー。
 それがソウルメイトなのです。
 
 
 ペットという名称は、愛情ある敬称から名付けた呼び名だったのですね。
 
更新日時:
2002/07/14
   供養祭
 今回はコラムではなく、ちょっとだけ感想を・・・
 本日、4月14日にペット霊園ソウルメイト(長福寺)に於きまして、初めての合同供養祭を行いました。
 その供養祭での最初のお経「般若心経」にて、
「ようやく、すべての生き物たちの為に供養できる立場になったのだなぁ」
「到るべき到達地にやっと辿り着き、歩み始めることができるのだなぁ」
と思ったら参詣者の涙よりも、私自身が目に涙を溜めながらお経を唱えることになり、お経が読みづらかったです。
 ずーと以前から「心からの供養がすべてと思いつつも、お経というものに力があり、動物たちの魂を供養できるのなら、お経が読めるに越したことはない、お経を読みたい」と考えていたことがついに実現し、日々の読経とは別に自分の行う法要として供養できることが嬉しくて涙してしまいました。
 そして、私の看取ってきたパートナーたち、無念にも亡くなった野生動物たち、全国からお寄せ頂いた『天国にいるパートナーへの手紙』を通じたパートナーたちのことを想ったら目がウルウルしてしまい、“しっかりしなくてどうする!”と自分に言い聞かし、ちゃんと供養を行いました。
 
 長福寺は小さなお寺で僧侶は2人(師匠の住職、副住職の私)も必要ない規模の寺院なので、私は僧侶としてだけでは生計を立てられないので深夜から朝まで他でアルバイトをしております。
 そんな状況なのにも関わらず、「動物たちのためにお経が読みたい」との思いから、無謀にも安定したサラリーマンから家族と別れ長く辛い修行をし、修行が終っても自分のお寺があるわけでもないのに僧侶になり、ペット(動物の)のお坊さんとしてお経を挙げている自分がようやく報われた気がしました。
 「動物たちの為にお経が読みたい」というのは、人間に虐待され殺されたミク(小学生の時に縁の下で飼っていた野良猫)が気づかせてくれたことで、彼女の死から
 
「すべての動物(人類も含む)たちに命の尊厳があり、私が交わした愛情と同じく、それ以上に皆さんのパートナーとの愛情が存在し、その子たちのためにも私と同じように最後を看取ってあげてね。生きている命は大切で、今を大事にね。」
 
と“最後の贈り物”を受け取ったからです。
 それを叶えさせてくれたソウルメイトで葬儀された方々、手紙を送っていただいた方々、みなさんをソウルメイトに導いてくれたパートナーたちに、心よりお礼を申し上げます。
 
 本日はどうもありがとうございました。
更新日時:
2002/07/14
   ソロモンの指輪…
 ソロモンの指輪とは、旧約聖書にある古代イスラエルの王ソロモンが持っていたある指輪のことで、この指輪をするとソロモンは人間以外の生き物と語ることができたとされる伝説の指輪のことです。
 いったいどんな指輪だったのか、動物好きの私にはとても興味のあるものです。
 
 さて、「ソロモンの指輪」と聞いて思い浮かぶことに、動物行動学の分野でノーベル賞を受賞した科学者であるコンラート・ローレンツの著書「ソロモンの指輪」があります。
 ひよこの“刷り込み”については知っている人も多いことでしょうが、この習性を発見したのがコンラート・ローレンツであることを知っている人は少ないことでしょう。
 ひよこの刷り込みとは、卵から孵化して初めに見た動くものを親として認識して、親の後に付いて行動することであります。著書では、多くの動物たちとのエピソードを深い洞察をもってユーモラスに書いています。
 このローレンツ博士は、動物たちのことを愛すべき隣人と評し、動物たちと仲良くするためには、まず相手を良く知ることだとも言っており、自分の知っている動物となら魔法の指輪などなくても話ができるとしています。
 
 私たちも同様に、愛すべきパートナーのことを良く知って、魔法の指輪などなくても少しずつ経験を重ねることで気持ちを理解することができたかと思います。
 でも、生きている時は理解できた気持ちも、亡くなってしまってからは繋がりを失ってしまったかのように考えている人が多く、天国にいるパートナーを感じていないのではないかと思います。
 生命はすべて輪のように繋がっており、それは死後も同じであり、その後もずっと続いていくのです。
 生前の繋がりは異なる個体を有していたのですが、死後の繋がりは精神を共にし、死は新たな生の始まりとなり輪のようにすべては循環して心の中で一緒に生きていくのです。
 この始まりも終わりのない無限の象徴を意味するメビウスの輪(帯を一回ひねって両端を併せた形:∽)は、表を辿っていくと裏になり、裏をたどっていくとまた表になる永遠を象徴するものです。
 まさに輪廻転生と同じで、生の後には死、死の後には生、となるように表裏一体をなし、命の循環を表しているのがメビウスリングなのです。
 このように心という魂はリングの上を常に歩み、その現れは生と死を意味する表裏で、パートナーとの関係も永遠に続く生命のリングを共にしています。
 このような表も裏もない、命のメビウスリングこそ、生命の環が織り成すソロモンの指輪であったのではなかろうかと思います。
 この世に生きているすべてが生命の環で繋がっているという真実を表した指輪が、ソロモンの指輪であり、この指輪には上下も裏表もなく、それは人間だけが他の生き物より上に立つ存在でもなく、他の生命によって生かされている命の循環を示し、すべての生命は同じ命を持っていることを表しているのです。
 それ故に、賢者ソロモンは、生命(魂)の繋がりから動物と話ができたり、自然との繋がりから神や使者(死者)とも話ができたりしたのではないでしょうか。
 私たち人間がみな、ソロモンのように「賢くて理解ある心」を備えていたら、動物や自然と仲良くすることも、自らの生存を脅かすほどに地球の環境を破壊することもなかったのかもしれないですね。
 人がみなソロモンの指輪を備えていたら…
と嘆きたくなるのは、私たちの内に秘めているソロモンの指輪に気がついていないからですね。
 
 賢者ソロモンに示される指輪の真意は智慧(理性と感性の統合された更なる知恵)であり、それを言い換えるとするなら、「理解ある心」となります。
 人はそれぞれの中に理性と感性を有しており、これを一体させることができたとき宗教などでは“悟り”とされるのですが、この悟りともされる智慧の輪こそ、私たちが内に秘めているメビウスリングであるのです。
 理性であり感性であり、それでいてどちらが優位でもなく、分かれているわけでもなく、すべては一つに織り成され、どちらが欠けてもいけないという智慧が、メビウスリングの形にあるのではないでしょうか。
 そして、この象徴が伝説にあるソロモンの指輪となるのです。
 人は理性と感性を異なるものと考えがちであるが、そうではなく、感性を辿って行くと理性に繋がり、理性を辿って行くと感性に繋がるように、裏も表もない始まりも終わりもないお互いを必要とした繋がりを有しているのです。
 それなのに、理性の一面である知識を追い求めて文明を発展させ、両輪であるはずの感性は重要視されることなく近代に至ってしまった。
 私たち現代人は理性と感性を融合しないで、分離させているために制約のある有限を感じ、それに囚われては苦しんでいるのです。
 それを感性豊かなパートナーたちが失い欠けた感性を取り戻してくれて、理性と感性のバランスが保たれるからこそ、彼らたちとの触れ合いには“癒し”と“安らぎ”が伴うのであり、お互いを必要とした繋がりがあったからこそ、失ったときの悲しみが大きいのです。
 
 私たち人間は理性を、彼らたちパートナーは感性を、それぞれに優位の性を共にすることで、二つのリングは一つになり無限の広がりを示すメビウスリングとなります。
 亡くなったパートナーたちは、死して精神を共にし、私たちの心の中で生き続けるのです。それにより、私たちが失い欠けている感性を蘇らせ、地上で共に歩む約束をした者同士が交わすエンゲージリングと同じく、いつの世も心の絆を交わす約束をしたメビウスリングを手にするのです。
 このメビウスリングには、終わりも始まりも、裏も表もないのです。
 パートナーとの関係も今に始まったわけでもなく、亡くなって途絶えたわけでもなく、ただ命の表と裏になったようにも感じますが、そうでもなく一体をなしているのです。
 
 私たちはけっして一人ではありません。
 パートナーとの繋がりだけではなく、その他の生命とも環をなしているのです。
 私たちは共に歩むパートナーとして、メビウスリングを交わしたある者に選ばれた者なのです。
 動物と心を通わせることができる心優しい存在であり、ペットロスによって人の心を察すること(理解ある心)のできるより優しい存在になります。
 
 私はある者が何者であるかを語りません。
 その者も自分が何者であるかを語りません。
 
 ただ、エンゲージリングを交わす場にいる神父のように、メビウスリングを交わす場に立会っていた者です。
 
 
 「生ある自然の真実はつねに愛すべき、畏敬に満ちた美しさをもっており、人がその個々の具体的なものを奥深くきわめればきわめるほど、その美はますます深まってゆくものだ。」−ソロモンの箴言−
 
 ソロモンのこの言葉は、私たちとパートナーとの関係において、いったい何を意味しているのでしょう。
 
 その答えは、あなたしか知らない。
 
 
 メビウスリングはソロモンの指輪
 ソロモンの指輪は動物と会話できる不思議な指輪
 指輪の真意は理解ある心
 理解ある心があれば動物と話ができると、
 動物学者コンラート・ローレンツも言っていましたよね。
 
 “理解ある心”を言い換えると
 “理性ある感性”となり、
 理性と感性は人それぞれに秘められているものです。
 私は賢者でも、
 悟り(差取り)を得た仏(目覚めた者)でもありませんが、
 私があの時もらった“ありがとう”という言葉は、
 彼らの気持ちを察する理解する心があったからだと思います。
更新日時:
2002/07/14
   月への想い…
 今回は、私が月に寄せる想いを話しましょう。
 もう17年以上も前からのことになります。
 
 それは、HPアルバムにいる“たま”が瀕死の状態で、餌も水も取らずに大好きなベランダで寝始めてから3日目の満月の夜のことでした。
 私はお月様に“たま”の回復を必死に祈りました。タダで祈りが叶うほど都合の良いことなどないと考えていた私は、お月様と失礼なことに取引をしたのです。
 「もし、一生に一度の願いがあり、それが叶うとしたら、今それを使います。だから、“たま”を元気にして下さい!タダでとは言いません。これからの人生でどんなに辛いことや苦しいことがあっても、それを他人のせいにせず自らの責任として甘んじて引き受けます。だからお願いです。あなたの優しい光で“たま”を癒して下さい。」
 そんなことをずっと必死になって祈っていました。
 そのとき電話が鳴り慌てて部屋に入ろうとしたら、足の小指をぶつけて爪が全部はがれて血がいっぱい出ました。
 反射で「あっ!痛った〜くない?」と、痛いと言いかけたのですが、それなのに何故か痛みは感じず、なにか心地よいものを感じたのです。
 うずくまって血を押さえていると、後ろから「ニャ〜」と元気な声で、「お腹が空いた!」とフラフラしながら、“たま”が歩いてきました。
 私は願いが叶ったと思って空を見上げると、お月さんが優しく微笑んでいるように見えたのです。
 電話と治療は後回しにして、大好きな缶詰を開けて、一生懸命に食べる姿を眺めていました。
 食べ終わるとすぐにベランダに戻り、何事もなかったかのように顔を拭いたりしてくつろいでいました。
 
 私はお月様に感謝して
「元気にしてくれてありがとうございました。この先、どんなことがあっても一生に一度のこの約束を忘れません。たまが死ぬことがあっても、その時はそれを受け入れます!約束ですから。本当にありがとう。この痛みも含めて、ありがとうございました。」
と感謝しました。
 この一件から私は、すべてを包むような優しい光を放つお月さんが大好きになり、どんなことがあってもこの時の約束だからと思うと辛いことにも耐えられるようになれました。
 あの時の約束した辛苦の引き換えがどれほどのものであるか知りませんが、人生において辛いことがあるといつもこのことを思い出します。
 あの時の、あの感情を、交わした約束を…
 それから月や星が輝く夜には、空を眺めながら個人的な対話をするようになりました。
 最後を看取ったみんなが天にいると思うから、人は昔から星と対話するのですかね。(詳しことは、いつかコラムにします)
 
 すべては何でもない偶然の出来事にも見えますが、その偶然にどのような意味を持たせるかは人それぞれに懸かっています。
 すべての出来事に意味があるというのは、その人がそれにどのような意味を見出すかであり、それにより何に気づいたのか、何に気づかされたのかという後付によるものです。
 その意味付けは、その後の出来事に影響を及ぼし、予め用意されていた運命も変更を余儀なくされます。
 どのような意味付けをするかは人それぞれにしても、人生において意義あるものとして前進的な受け止め方をできれば、いつの日にか感謝の気持ちに変わることでしょう。
 
PS:“たま”の最後はステレオデッキの下で、
   その時にラジオから流れていた音楽が
   チャイコフスキーのピアノ三重奏曲イ短調
   作品50「偉大な芸術家の思い出」
   という曲で、とても悲しい旋律なのですが、
   私の思い出に残る一番好きな曲です。
   常々、私の葬儀にはこの曲を流してくれと言っているのですが、
   僧侶になってしまったので、
   残された者たちが寺院の常識ではなく、
   個人の思いを優先できるかどうか疑問ではありますが…
 
更新日時:
2002/07/14
   星の王子さま…
 私の好きな本にサン・テグジュペリの『星の王子さま』があります。この本の中にはいろいろな想いがあり、大人になってから読むと人生の教訓が詰っていることに気が付きます。
 この物語の中では、星の王子さまとキツネが友達になるところが特に好きですね。
 
 星の王子様がキツネに「遊ばないか?」と言い、
 「おれ、あんたと遊べないよ。飼いならされちゃいないんだから」とキツネが言いました。
 王子「飼いならすって、それ、なんのことだい?」
 キツネ「よく忘れられることだがね。仲良くなるっていうことさ」
 王子「仲良くなる?」
 キツネ「うん、そうだとも。おれの目から見ると、あんたはまだ、今じゃ、他の十万もの男の子と別に変わりない男の子なのさ。だから、おれはあんたがいなくたっていいんだ。あんたもやっぱり、おれがいなくたっていいんだ。あんたの目から見ると、おれは十万ものキツネと同じなんだ。だけど、あんたがおれを飼いならすと、おれたちはもう、お互いに離れちゃいられなくなるよ。あんたはおれにとって、この世でたった一人の人になるし、おれはあんたにとって、かけがえのないものになるんだよ…」
 キツネ「おれと仲良くしてくれたら、おれはお日様にあたったような気持ちになって暮らしてゆけるんだ。あんたの足音がすると、おれは音楽でも聞いている気持ちになって穴から外へ這い出すだろうね。麦畑なんか見たところで、思い出すことって何にもありゃしないよ。だけど、あんだがおれと仲良くしてくれたら、そいつがすばらしいものに見えるだろう。金色の麦を見ると、あんたを思い出すだろうな」と話しているうちに仲良くなっていく。
 それから別れの時刻になって
 キツネ「もう一度、バラの花を見に行ってごらんよ。あんたの花が世の中に一つしかないことがわかるんだから。それから、あんたがおれにさよならを言いに、もう一度ここに戻ってきたら、おれはおみやげに、ひとつ、秘密を贈り物にするよ」
 戻ってきた星の王子様にキツネが言いました。
 「さっきの秘密を言おうかね。なに、なんでもないことだよ。心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」
  岩波書店 「星の王子さま」:サン・テグジュペリ
 
 この話の中にある、初めは十万ものキツネと同じなのに、友だちになってからは、この世にたった一匹しかいないキツネになるということを知るのですが、私たちのパートナーも他の人から見ると多くのペットとしてしか見えないのに、飼いならす=仲良くなると、この世にたた一匹しかいないかけがえのない存在になります。
 話の中でも出てくるのですが、人間はみんな違った目で同じものを見ているものです。
 パートナーとの愛情の経験がない人からは「たかがペットのことで…」とちっぽけなことと捉え、心理学者からは「ペットロスの心理的背景は〜」と難しいことと捉え、ビジネスサイドからは「お金」だと思っている人もいるのです。
 人によっては、動物が心のよりどころであるなんて淋しい人だと思ったり、動物を人間以下の存在であるかのように捉えている人も大勢います。
 心を通わせた私たちからしてみると、ただ一つのかけがえのない存在なのに、心無い多くの人はこの事について理解することができないのです。
 人間も動物も命には変わりはなく、通わせた愛情に何の違いがないことを…。
 「大切なことは、目には見えない。心で見なくちゃ!」
 
 また、キツネが星の王子様と別れるときに「泣いちゃう」と言いました。
 星の王子さまは「ぼくは、きみにちっとも悪いことをしようとは思わなかった。でも、泣いちゃうんだろ」「じゃ、何にもいいことはないじゃないか」
 キツネ「いや、ある。麦畑の色があるからね」と言っています。
 パートナーとの別れの際にも同様に、悲しくて泣いてしますよね。でも、パートナーたちは悪気もないし、私たちを悲しませようとか、苦しめようなんて考えていないのに…。わかってはいても、目の前からいなくなってしまい、先に逝ってしまったことでいっぱい泣いてしまいますよね。
 理性では納得しようと思っていても、感性がそれを受け入れることができないから、なおさら辛いのですよね。
 でも、麦畑の色と同じように、色褪せることのない楽しいひとときは思い出として心に残っています。それでも、楽しくて喜びに満ちた時間を共に過ごしたからこそ泣いてしまいますけど…。
 「大切なことは、目には見えない。心で見なくちゃ!」
 
 星の王子様は、星に残してきたバラのことについて、こんなことを言っています。
 「だれかが、何百万もの星のどれかに咲いている、たった一輪の花が好きだったら、その人はそのたくさんの星を眺めているだけで幸せになれるんだ」とね。
 私たちのパートナーはこの世にたった一匹のかけがえのない存在であるのですが、同時に、すべての動物たちも同じくかけがえのない存在なのです。
 私のパートナーたちも、みなさんのパートナーたちも、地球上に生きる動物たちも同じくかけがえのない尊い命なのです。
 私は僧侶としても個人としても、悲しいことでありますが、みなさんのパートナーとの愛情を知ると幸せになります。
 私が交わした愛情と同じ、いやそれ以上の愛を交わしたパートナーの気持ちを思うと、嬉しくて、優しい愛の広がりを感じ、幸せを分けてもらっているようです。
 本来、属性や所属による愛情の違いなんてないのです。
 「大切なことは、目に見えない。心で見なくちゃ!」
 
 パートナーを亡くされた人たちが、10万のキツネの中の一匹を大切にしたならば、その他の99,999匹のキツネたちも大切にできるような優しい人になっていただきたいと思っております。
 私たちが交わした一つの小さな絆から、より大きな仲間への絆へ、さらに大きな地球という絆を大切にしてくれることをパートナーたちも願っていることでしょう。
 同じ仲間を愛してくれることを誇りに思うことでしょう。
 
 私たちにとっての“星の王子様”はパートナーたちだったのでは…
 「大切なことは、目に見えない。心で見なくちゃ!」
 
 サヨナラのときに、秘密の贈り物をされたのでは…
 「大切なことは、目に見えない。心で見なくちゃ!」
 
 ひとつのものへの愛情が、すべてのものへの愛情に変わる。
 私の飼ってきた=仲良くなった子たちが教えてくれました。
 
 お釈迦さんやキリストさん、孔子さんやマホメッドさん、すべての聖人が伝えたかったことを、彼らは小さな体で精一杯伝えていたのですね。
 
 
  大切なことは、目に見えない。
 
   心で見ることの大切さを…
更新日時:
2002/07/14

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