最近、天袋の整理をしていたら、卒論が出てきたのでちょっと環境問題についてお話しましょう。地球環境の現状は皆さんもご存じでしょうから、現状や技術的な打開策については省略させてもらい、卒論の結論である最終章を要約し述べてみましょう。(全文120ページあるので、全文の掲載・要約は不可能なのであしからず)
地球環境問題では、森林破壊、砂漠化、海洋汚染、酸性雨、オゾン層破壊、地球温暖化、生態系破壊などがあげられる。これらの現状に対する技術的な打開策はあるが、思想的背景がないために進展しないのが現状である。この思想背景について考察してみよう。
人類の歴史を大きく遡ると、東洋・西洋を問わず人類は自然を畏怖し崇めていた。しかし、人類が農耕・牧畜を始め、人工的に食料生産が可能になった頃から自然破壊の思想が始まった。
人類は文明を発展しいく上で、自然界から天然資源を搾取しなければならず、自然を神と崇めていては不都合になる場合が多くなってきた。そのために、人間と動物・自然との間に明確な一線を引き、すべての生物の中で人間を上位に置くことで正当化しようとしてきた。そこで、登場してきたのが自然は人間のために作られ、動物や植物は人間に利用されるために生まれてくるという人間中心の思想・宗教が必要になってきた。
そのような風土の元で培われた宗教観では、人間は神の似姿で他の動物を殺して食べる権利が与えられ、人間と動物(自然)の間に完全な一線が引かれた。
そして、自然を搾取して文明を発展させていくにつれて、地動説や進化論といった科学が宗教と対立するようになってきた。科学の進展による利益享受の大きさから欲望を抑制していた宗教観から離れていった。
その後、産業革命以降の科学技術・工業技術・細菌学の急速な進歩により疫病を克服し、自然に対する優位性が増してきた上に、分子工学・遺伝分子学が生物にも適用されてから、生物学の分野にも生気論を越えた機械論が勢力を増した。
こうした科学技術の進歩によって、人間は自然を抑制できると錯覚して、地球上のすべての現象を数学的・統計的な基準に還元して、自然との密接な関係や命の慈しみといった絆が失われていった。 この感覚と絆を失った結果、人類は自然に対して、いや地球に対して、共同的な結合を断絶し回復を越えた開発を始め、地球規模の環境破壊を引き起こしてしまったのである。
つまり、地球環境問題とは地球の病である。
病は「治療よりも予防」、「病は気から」と言うように、治療する技術は持っているので、重要なのは「予防」である“教育”と「気」である“倫理・道徳”なのである。
教育について言うと、知識注入型の教育では知識は増えて環境問題の現状は把握できるが、改善するための新たな知恵がないために対応しきれないことが多い。
この教育下では、あらゆる事を数字や金銭的価値でしか判断することができなく、偏差値教育が示すように人間や生物の価値を数値でしか捉えることができない。
よって、人間の個性や生き物の命は年収や偏差値、金額などに置き換えられ、命の価値を数値で計り競争するために地球との絆や命の感覚を失って、自分さえ良ければいいというエゴイズムを増長させしまう。
これに対して、知識創造型の教育は変化を認識し、それに対応していく能力を養うことを目標としている。
変化の認識とは、現実という真実に近づくために理性・知性という合理的な面と直観・感性という非合理的な面との組み合わせが必要であり、対応する能力とは「How」・「What」の教育で様々な体験を通じて自分の頭で考え、判断し、行動することである。
この教育下では、知識を知恵に転換し、進展する科学文明と自然の恩恵との調和を図る新しい世界を創造(想像)することのできる人間を養うのである。
そのために、教室の中だけでなく、実際に見て触るというような自然との体験的な教育を通じて、創造力(想像力)や豊かな感性、思いやりと自立心を育成してゆかなければならない。
人間というホモ・サピエンスは何千万種という生物種の一種でしかなく、他の生物種なしでは生きられない地球上の生物の一種であり、他の共生者の生きる権利を尊重し、生物は単なる手段(道具的価値)ではなく、生命固有の価値を有している事を深く認識しなければならないのである。
そして、この教育を支えるためにも、人間と自然との関係を正しく位置づけ、地球の未来を保つための倫理・道徳を認識しなければならない。
この認識は人間の意識からしか生まれない。
他者という意識は、自然からの生産物を強欲なまでに強奪し、自然を従属物と見なし痛めつけてきた。それは自然だけではなく、人種・宗教・思想が異なるだけで、同じ人間であるにも関わらず差別・虐待し、奴隷制度や身分制度、侵略戦争のような支配と搾取により、自己存在の優位性を求めるあまり血塗られた歴史を歩んできた。
この意識が人間の残虐性を高め、悲惨なことに自己の生存すらも脅かすようになってきた。
地球環境の危機に際して、持続可能な生存のために必要な価値観とは、他者という意識と全く正反対のものである。
それは、地球上の他者を仲間と見なし、地球を、世界を、一つの共同体と考える共存・共生・共同・連帯というような価値観が道徳の中心になり、地球を支える柱になるのである。
他者という心の障壁をどこまで取り除けるかによって、世界の国境はなくなり、自然との境もなくなり、人類の存続・地球の存続も決まってくる。
今こそ、西洋的な知性と東洋的な感性を統合する一段階上のレベルで思考しなければならず、人間と自然、自己と他者、様々な共存を至高する心が必要なのである。
この世界は私たち人々の心の中にあり、人の心の創意(想像)が世界を現実にするのである。
私たちは環境問題を解決する手段を想像し、現実の手段として創造することができる能力を有しており、求められているのは現実的な手段ではなく、地球を想う気持ちである。
地球環境問題とは、私たち一人一人の心の問題であり、気持ち一つである。
『Think Globally Act Locally』
−地球規模で考え足元から行動する−
というのが卒論の結論(要約)です。
この第三章は「過去・現在・未来」と題し、28ページにわたるもので、西洋と東洋の自然に対する思想の潮流と両者を統合する未来の思想について、2節に分けて論じたものです。
しかし、第一章の地球環境破壊の現状と、第二章の現状と原因のパラドックス〜その対策について〜、は教授の評価は抜群でしたが、第三章は意味不明とされ評価はよくありませんでした。
私は第一、ニ章なんて本を読んだり、考えれば誰でもできることで、自分の意見のみの第三章を否定された私は当時すいぶんショックでした。
8年前に思想(卒論)していたことが、現在の源流になっており、さらに5年前に思想(卒業作文)していた反映であり、その原点はさらに10年前の「猫の死」からである。
この感性を失いかけている現代で、伴侶動物の存在は非常に高まっており、無垢な魂を持つペットたちは人間と動物、人間と自然、人間と地球、といった関係性を回復させるべく使わされた天使(天の使い)なのではなかろうか。
普段はとぼけているけど、実は重要な使命を帯びて舞い降りた天使なのです。
|