『ありがとう。また逢えるよね。ペットロス心の相談室』四季社より1,480円にて発売中!

つれづれなるままに

気まぐれに思ったことを綴ってゆくので、
いつ更新するかは気まぐれです。
 
今年も気まぐれは続き
3年目になります。
適当に読み流してくださいね。
気楽に書いているので、
誤字脱字は当たり前?
 
「気づいて囚われず」 これ大事なことよ!
Tuesday, 20 May,2008
時の導き
今朝、寺猫キックが亡くなっておりました。
 
昨日、不思議なことがあったので心配になってキックを捜すも見つかりませんでした。
変なところで亡くなっていなければいいのだけどと思いつつ、一昨日寝かせていたジュータンを火葬炉の脇に置いておきました。
 
一昨日はそこが温かくて寝ておりましたから、今日も火葬があったのでキックの好きな火葬炉脇にジュータンを置いておいたのです。
 
先ほど、雨脚も止みましたので、キックを捜しにまずは本堂前の猫ハウスを確認し、誰も居ないのを見て安心しました。
その後、家の前を過ぎると縁台上に猫がいるので、キックかどうか確認すると兄弟のパンチでした。
そして、火葬炉に近づくと炉の下でキックが倒れておりました。
 
足を伸ばしていたので、温かくて寝ていてくれればと思ったのですが、その表情から亡くなっておりました。
 
抱っこされないキックが、一昨日抱っこされて、可愛い小さな声で鳴いていたのは、お別れの挨拶だったのですね。
そして、子供に撫でさせてくれたのも、娘が可愛がっていたからなのでしょう。
 
一昨日、娘が「キック死んじゃうの?」と妻に聞くので、妻が「お父さんが言うにはもうそろそろらしいよ」と伝えると、娘が「可愛い子ばかりいなくなって寂しいね」というのです。
 
確かにそうですね。
チャコビーが慣れてきたところで行方不明になり、慣れているクロちゃんが亡くなり、性格のいい可愛いキックが逝ってしまいましたので、可愛い子ばかりですね。
 
他にいる寺猫が可愛くない訳でもないのですが、キックは格段可愛かったですからね。
 
窓際で日向ぼっこしながら食事していれば、ガラス越しに可愛くすましているので何かあげたくなるし、手を出さないので掌でご飯食べるし、紐のおもちゃでも遊びますし、私が何か外で作業してれば何しているの?という顔でこちらを伺っているし、私が草いじりしていると側に来ては草むらで日向ぼっこし、供養碑の墓守りとしてよく石の上で手足伸ばして寝ているし、夏になるとセミを捕まえてはみんなから拍手をもらい、クロちゃんが亡くなった時には側にいてくれた、とっても可愛いスマートな美男子でした。
 
他の猫が居なくなっても帰ってくるでしょと捜しに行きませんが、キックがいないと心配になるくらいですから、同じ寺猫でも格別なのですよ。
 
まずは綺麗に拭いてあげて、寝姿を整えて棺に納めてあげました。
 
今は本堂にてゆっくりしております。
みんなが揃ったら、お経を挙げてお葬式をしてあげようと思います。
 
キック、ありがとね。
クロちゃんと共にお寺を護ってくださいね。
 
Monday, 19 May,2008
出戻り
去年の8月に玄関からいなくなった干支の置物が帰ってきました!
 
午前中のお葬式から帰ってきて、境内の掃除と次のお客さまの準備を終えて玄関を入ると、見慣れない位置に今年の干支のねずみちゃんがいるので、元の位置に直そうとしたら、いつものところにいるじゃないですか?
 
思わず手にしている鼠と置いてある鼠をまじまじと見てしまいましたよ。
 
こういう時って、一瞬自分の目を疑いますよね。
 
いなくなったはずの鼠と馬と兎のみんなが帰ってきたのです。
去年の8月に玄関にあるお気に入りの干支の置物のうち、鼠と馬と兎が盗まれてお寺で盗みをする人がいるものかとショックを受けたことがありました。
 
その後、同じ干支の置物を見つけたので、買い直して十二支揃えて玄関に置いていたのです。
そのいなくなったはずの干支たちが帰ってきました。
 
もしかしたら、妻が事情を知っているのかと思い聞いてみると、知るはずもないので驚いておりました。
 
そして、私がこういう不思議なことがあるということは、寺猫のキックがそろそろ亡くなるということのメッセージだね。と話をしていたのです。
 
寺猫のキックはお寺から離れることのない性格の穏やかな雄猫なのですが、3週間くらい前に数日居なくなったことがあるので、帰りを心配していたのです。
 
その後、1週間して帰ってきたものの、慣れている私からも距離を保ち離れてしまうし、ご飯をあげても近づきません。
人に怯え、猫に怯え、痩せてしまってまるで別人になって帰ってきたのです。
 
昨日は私に抱っこされるし、子供にも触らせてくれるので、ガリガリになってしまっていてもうそろそろということが伺えました。
あと、2,3日というところだろうけど、捕まえることができるのだから、病院に連れて行ってあげたら少しは良くなるだろうかと妻と相談していたのです。
 
そんなこんながあっての、不思議な干支の出戻りがあったものですから、先日の抱っこといい、可愛く鳴くようになったことといい、子供に触らせてくれることなどからしてインスピレーションを感じていました。
 
さらに、不思議なことに、玄関の干支が戻ってきたと思ったら、今度はお寺の流しにあるお気に入りのバラの造花がグラスごと無くなっているのです。
 
妻に聞くと知らないとのことで、これはキックが時を迎えているんだということだと思いました。
Thursday, 15 May,2008
お説教
この前のお説教でこんな喩を聴きました。
 
7人家族でみんなの分のリンゴを買って帰ってきたところ、袋には6つしかリンゴが入っておりません。
さて、どうしますか?
 
どこかで落としのか、それとも入っていなかったのかと思いますよね。もしかしたら、お店で間違われたのではないかと思い、問い合わせたりすることもありましょう。
 
この行いは「自分が」ということからなるもので、自分のお金で買ったのだから、お店で1個間違っていようものなら文句も言いましょう。
 
では、同じく7人家族でご近所からリンゴをお裾分けしてもらい家族みんなの分をいただきました。
袋を開けてみたら6個しかありません。
さて、どうしますか?
 
1つ少ないと文句を言いますか?
1つ少ないから貰いに行きますか?
 
頂いきものですから、そんなことしないですよね。
1個少なくたってそれについてとやかく言わず、有難くいただきますよね。
少なければ分ければいいのですからね。
文句を言うものではありません。
 
自分で買ったとなると文句を言い、頂き物だと文句はない。同じく一つ足りないのに、受け止め方が違うのですよね。
ここで問題なのが「自分が」ということですよね。
 
自分で買ったものだから人と分け合えば少なくなったり、減ってしまうように思うものです。
でも、人から貰ったものであれば、素直に分け合うことができたりするのに、おかしなはなしですよね。
 
では、命はどうでしょう?
天から授かった与えられた命はどうでしょう?
 
命が自分で買った物であれば、ペットが自分で買った物であれば、その命の長さに文句も言いましょう。
でも、命は物なのですかね。
さらに、自分が買ったのですかね。
ついでに、本当に自分のものなのですかね。
 
そんな説法を聴きながら、いろいろなことを考えさせられます。
 
命が物でないのなら、交換もできませんし、不良品ということでもないので修理することもできません。
企業で生産された物でないから基準などというものは何もないのです。
ペットは自分の物かと言われれば、飼い主という世間一般向けのレッテルを貼っているだけで、ペットの命は私のものではありません。
ペットショップなでで出会いがあれば買ったものと思ってしまうこともありましょうが、出会いの場に対して費用を支払っただけで、命を買ったわけではないのですから、何歳まで生きるということに囚われるのはいかがなものか・・・などと思考がフル稼働して肝心な話を聴き損ねてしまいました。
 
肝心なことは、天から頂いたこの命、この姿、この環境なのですから、これらに文句を言わず、不平を抱かず、有難く頂戴して、美味しく味わうべく幸せになればいいということですよね。
 
今はすべてに感謝しておりますが、昔は自分の容姿や家柄など気になったり、人の家が羨ましく思えたりしましたね。
こんな容姿であれば女の子にモテるのにとかね。
もう少し背が高ければ…などね!
 
今は背が低いお陰で、容姿がこの程度で、生立ちがこれでよかったとすべてに感謝していますから、不思議なものですね。
 
「自分が」という囚われかた離れると、自然と「お陰様」という言葉に変わるものです。
 
「おかげさま」という言葉が自然と言える人になれるといいですよね。
 
Thursday, 8 May,2008
お説教
お説教といいますと、大人が子供に説教をしていることをイメージしてしまいますが、法要の後のお坊さんのお話のことです。
 
先日、お寺の法要後のお説教で「人は何故無限に幸せを求めるのか?」というお話がありました。
なぜかなぁ〜人の欲は際限がありませんことは知っていても、なんでなのか言われると、どうしてなのかと考えました。
 
すると、人は無限の存在とひとつであるから、無限の幸せを願うものなのだということでした。
仏というのか、万物というのか、言い方はともかくとして、人とは無限の存在とひとつであって、区切られたものではないのできりがないのです。
だから、神仏という存在は無限の幸せ、すべての未来永劫の幸せを願う存在でもあるのです。
 
その神仏は無限の幸せを願っているので願い方に間違いはありませんが、私たちはどうかと言いますと、限られたそれも自分だけの願いを求めるものだから、願いが叶わないのだとのことでした。
 
そうなのですよね。
ごく個人的な欲からの願いごとなんて叶うものではなく、邪まな想いから離れた願いが叶うものでしょうから、限られた願いごとをするのではなく、同じく願うなら無限の願い事をすることにして、すべてをお任せする祈り方が善いとのことでした。
 
「どうぞお願いします」
「宜しくお願いします」
 
というようなお願いの仕方でいいそうです。
 
無限の存在と一つであるのに、自我の境で区切られた願いばかりしているから、人の欲にはきりがないのですね。
目には見えない大いなるものに生かされているのが私たちなのですから、自分というちっぽけな願いを捨てて、周囲の幸せを願える人になりたいものですね。
 
そうそう、お賽銭の少ない人ほど願い事だそうですよ!
だから叶わないとも言っておりました。
うふふ。
 
Monday, 5 May,2008
廃止
この度、掲示板を廃止することになりました。
 
ご覧頂いていた皆様には大変申し訳ありませんが、突然の閉鎖をお許しください。
 
少し前から掲示板にアダルトサイトの書き込みなどが続き、いつも同じメールが書き込まれてしまって、削除していてもいつもPCをみているわけでもないので、ちょっと忙しくてHPを見ないと不埒なメールがたまってしまうのですよね。
 
その都度、掲示板をご覧の方々からメールを頂くのですよね。不快な文章が掲示板にありますってね。
ペットロスの掲示板なのに、アダルトサイトへの案内のようなものがあれば嫌な思いをしますよね。
そうなると、本来の掲示板の意味が失われることになりますので、不埒な者たちのために、善いものが失われるのは良くありませんが、こまめに管理することはできないので廃止することにしました。
 
再開するかどうかは未定です。
 
無料の掲示板やそういった書き込みを排除できるものなどもあるそうですが、今のところ再開することは考えておりません。
 
prev. index next
| ホーム | プロフィール | エピソード | 長福寺 | 東京分院 | 新潟:火葬料金 | 東京:火葬料金 | 新潟:料金表2 | 東京:料金表2 | ペット用メモリアル用品 |
| 供養&カウンセリング | 合同供養祭 | 祈り場 | 新潟:連絡先 | 東京:連絡先 | 講座・講演について | ペットロス | ペットロスと教育 | やすらぎへの道 | アルバム |
| コラム:T | コラム:U | 言葉の贈物 | Q&A | 日記:2007〜 | 日記 | 日記 | リンク集1 | リンク集2 | お知らせ |

Last updated: 2008/8/22