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つれづれなるままに

気まぐれに思ったことを綴ってゆくので、
いつ更新するかは気まぐれです。
 
今年も気まぐれは続き
3年目になります。
適当に読み流してくださいね。
気楽に書いているので、
誤字脱字は当たり前?
 
「気づいて囚われず」 これ大事なことよ!
Monday, 26 February,2007
木陰
木の陰と書いて「こかげ」と言いますが、とっても響きの良い言葉のような気がします。
木陰のイメージもいいですよね。
 
木陰で子供たちが絵本を読んでいる様子
木陰で恋人たちが愛を語らう様子
木陰で家族がランチを囲う様子
木陰で動物たちが休んでいる様子
 
そんな様子を思い浮かべます。
 
こういう時の木陰は大きな木の下での木陰を思い浮かべますが、長福寺の寺猫たちにとっては大きくなくてもいいみたいです。
 
今年は暖冬で晴れの日がとても多くて、例年であればどんよりと曇っていることが晴れのようなのに、今年はきちんと晴れる日が多くあります。
そんな天気の良い日は寺猫たちも境内のあちこちで、気持ち良さそうに寝ています。
 
ん?境内のあちこちもあるけど、そういえば、なんだか寺猫たちはそこが好きで集まってまどろんでいます。
 
どこかって?
合同供養碑の隣にサクラを植えてあるのですが、そのサクラの木陰がいいみたいです。
春から夏にかけては木陰も大きくなりますから、よくそこで寝ていることを見かけますし、木陰に沿って寝ているのが面白くて、写真もありますが、今の時期は枝の分しか影がありません。
それでも、このサクラの枝の陰で寺猫たちが寝そべっております。
 
ちょうどいいのでしょうね。
日陰に行けば寒いですし、日向にいれば眩しく熱くなりましょうが、枝だけのサクラの木陰は眩しくなく温かくてちょうどいいみたいです。
 
それに、そこからならご飯の用意をする確認もできますからね!
 
 
大きいからいいという訳でもなく、小さいからダメという訳でもなく、木陰は木陰でいいものなのですね。
比較するこもとなく、そのままでいいのです。
ん〜猫たちが寝ている様子から仏教を学んでおります。
 
そうそう、学ぶといえば、
「木陰に臥す者は枝を折らず」という言葉があるように、恩を受けた者に対して危害を加えないというような意味ですが、猫たちはこのサクラに危害を加えません。
それに加え、ライラックの木は危害ばかりで爪とぎばかりして枯れてしまいました。
 
ちゃんと猫たちも恩を受けた者には危害を加えないのですね!
 
それに加えて、人という生き物は、恩を受けても忘れてしまうし、恩を受けても迷惑かけるし、恩を受けていながら仇で返すことがあり、不届き者ですね。
自然については、今生きているというだけで、あらゆる恩恵を受けているのに、普段感謝もしなければ、まったく気が付きもせず、あげくに破壊や汚染で仇で返すばかりで、ちょっとは学ばなくてはなりません。
 
自然の中には教えがたくさんあります。
あなたの側にも教えがありますよ。
 
Saturday, 24 February,2007
まいう〜
私も子供の頃はそうだったのですが、よく親に叱られたものです。
先日も夕食の時に、子供に注意したばかりです。
 
私はいつも料理を作ってくれることに感謝しておりますので、いただきますだけではなく、料理を作ってくれたことにも感謝しております。
それは、外食した時も同じで、お店の人にきちんと「ごちそうさまでした」と言っておりますし、子供たちが言わないものなら私の激に触れることでしょう。
だから、子供たちはきちんとお店の人たちに挨拶しますから、レジなどでは定員さんに褒められますが、別に褒めたことではないのです。
当たり前なことであって、これで普通なのです。
 
そうそう、先日の夕食の時に商店街のお肉屋さんで売っている肉団子が食卓にあって、私の好物だけに美味しい美味しい言いながら食べていたら、子供が「そういうときは、まいう〜って言うんだよ」と言うのです。
その一言で私は不機嫌になりますね〜。
ん〜ん?って言うんだぁ〜?
美味しいときは美味しいというのが本来であって、まいう〜なんてものは普通じゃないということを説教することになりました。
 
困りますよね。テレビが正しくて、普通が違っちゃね。
 
あれはテレビでタレントが人気を得るために言っている言葉であって、人に喜んでもらえるように一生懸命に料理をしてくれた人に言う言葉ではないわけですよ。
私から言えば、食べさせてもらっておいてふざけるな!という言葉ですよ。
 
テレビだから何とも思わずに聞き流して相手しませんが、うちの子がそんなこと言おうものなら、私に叱られるのは当然です。
作ってもらったものを美味しく食べさせてもらう側の人間が、お店の人がいないところであっても、そのような言葉を使うのはよくありません。まして、子供ですから尚更です。教育ということもありましょうし、自分でお金を得たわけでもありませんからね。
だからといって、自分でお金を得たからいいということでもありません。
 
私たちは何をするにしても一人では成り立たなく、お互いに支え合いながら生かされているのですから、相手を敬い、自分を卑下せず、お互い様という気持ちでもって接しなければなりません。
見ていようと、見ていまいと、それは変りません。
 
べつに他のお家の子には注意しないですけどね。
私たちのもとに生まれてきたからには、私の持っている心を子供たちにあげたいので仕方のないことです。
 
一緒になってふざけて言うのも楽しいことですが、それなら他にもいくらでもふざけておりますので、これは譲れませんね。
 
他のおふざけですか?
言えません。妻と子供たちしか知りません。
私の威厳(威厳なんてないですけど)に関わりますので内緒です。
 
Thursday, 22 February,2007
1/2成人式
今、小学校では2分の1成人式ということをするんですって!
 
10歳を半分の成人だからということで、人生について夢や希望を語り、両親に感謝する言葉を述べたりするそうですよ。
いいことですね。
また、両親の小さい頃の夢なども聞かれましたね。
 
人生に夢と希望は大切ですからね。
私はそういえば、小学校を卒業する時に先生から小さな色紙になんて書いてほしいか聞かれたので、『希望』という字を書いてほしいと頼みましたね。
 
この頃の子供たちは夢や希望があっていいですよね。
それに比べて20歳の成人式では、きとんとした目指すべき夢や希望はあるのでしょうかね。
 
さらに、2倍成人式なんてあったら、40歳の方でどれだけの人が夢や希望を熱く語れるでしょうか?
 
ちなみに、私の小さい頃の夢は、生物学者か昆虫博士でしたね。
その意味では私は幸せ者です。
小さい頃の夢のように、職業は違いますが命に携わっておりますからね。
 
大学選びだって動物園の近い大学が志望の理由だったし、卒業後はペット用品販売だったし、転職後は広告代理店でペットのPRを目指していたし、独立後はペット霊園ですからね。
 
ペットや動物たちから、生きるという大事なことをいっぱい教わったので、恩返しすべく動物たちと共にあるようしておりますから、小さい頃の夢は叶ってもおります。
まして、お経という意味でも望んだ姿になっておりますからね。
 
人生は不思議です。
 
Wednesday, 21 February,2007
執筆活動中
なかなか進まなかった本の原稿も、書き始めたらどんどん書けるもので、新規に全部書き下ろして200ページに達しましたので、これからは文章を修正したり、構成したりする作業に入ります。
 
仕上げる期日まで、あと1ヶ月以上ありますが油断は禁物ですよ。
学生の時のように前日に徹夜でというわけにはいきませんので、よいものに仕上げるようします。
Thursday, 15 February,2007
園鏡
今日は園鏡調認式というものをして参りました。
これは去年に行った法戦式の終わりに当たるもので、法戦式以降は特別な修行期間でもあって、その修行が無事に終わり立派な僧侶として認められたという儀式です。
法戦式の時に御世話になった役職ある御寺院方が集まり、署名と捺印をしていただきました。
最近では形式だけが残り、式自体は行わないことも多いのですが、きちんと式も行っていただきました。
 
もともと筆は苦手なのですが、緊張して手が震えていることもあり、私の署名は波打ってしまいました。
それをお寺に帰ってから妻に見せて聞かせたら、可愛い字だよと笑われました。
 
園鏡の園は円でもあり、円の周りに名前を連ねることで地位ある者たちが集まっても序列などがなく皆が平等となるからということだそうです。なんか中世ヨーロッパの円卓の騎士の話を思い出しながら話を聞いておりました。
 
あ〜ようやく方の荷が下りたという感じで、一安心です。
とはいっても、終わりではありませんで、まだこの先にも式があり、僧侶の段階を上げる道は続きます。
 
Wednesday, 7 February,2007
小雪です。
東京にてお客様と会いますと、新潟の方は雪はどうなのですか?とよく聞かれますが、今年は暖冬でまったく雪がありません。
 
たまに雪は降りますが、日中が晴れの日が多くて温かいので積もることなく解けてしまいます。
1月の初め頃は、「今年は雪がなくていいね」などと話をしていたのですが、ニュースなどでも異常と言われるようになってきて、人の意識が変化してきたのか、「こんなに雪が降らないと、何かあるではないかと心配になるね」などと会話が変ってきました。
 
その通りですよね。暖冬ということは周期的にもありましょうが、温暖化となると話は別問題です。
私は大学のゼミで地球環境問題を研究しており、入学時の面接でも経済活動と環境問題を連動させることで環境保護活動がしたいので…などと話をしていたくらいですから、今年に入ってから妻には温暖化の懸念について話をしておりました。
 
私が環境問題に興味を持ったきっかけについて話しましょう。
高校に入った頃のことですが、長年愛用してきたタンスを処分することになったのです。
このタンスは私が小さい頃から使っていたもので、タンスの内側には当時のお菓子のおまけシールなどが貼ってあり懐かしいもので、成長するにつれ衣服よりも私の場合はおもちゃ箱のようになっており、古くなって部屋換えするにも大きくて場所を取るから、これを気に処分して新しい物にしようとなったのです。
この愛着あるタンスを一枚板に分解しながら思ったのです。
 
このタンスを土に植えたら芽が出るのか?
大きな木になるまでどこかで生きていたのに、人に利用されるために切り倒され、母の代から使わせてもらったので十分なのかもしれませんが、それでも使えない訳ではないのです。
古くなっただけで、ちょっと引き出しにくいだけで、使えないのではないのですが、捨ててしまうのですよ。
それでも土に返せば台地の栄養になるかもしれませんが、処理施設で燃やしてしまうのですよね。そうなると、命は循環しないことになるなぁと思ったのがきっかけで、環境問題に興味が湧き勉強するようになっていったのです。
 
その高校生の時に本を読んで知っていたことが、今起きているのですよね。
あの時は、100年後の話として書いてあって、論文を書いていた時は、50年後の話として書いてあって、ここ近年に起きている地球規模の問題は予測よりもずっと早く進行しているのですよ。
 
地球という環境は、いつも一つ前の世代から受け継がれるもので、今の地球環境は私たち世代のものではなく、次の世代からの借り物であるというのが、考え方になります。
その借り物を壊して汚して返していいのでしょうか?
自分たちの世代だけが良ければそれでいいのでしょうか?
 
国や自治体の借金にしても同じです。
その世代の人たちがお金や名誉という自分だけの利権から、どんどん債権を発行して私利私欲を肥やして、その付けはいつも次の世代です。
裏金の返済だって、当時の人たちの分は免除して取り上げず、昔の付けを現職の人が返すのですよ。
会社で問題が発覚してもトップや経営陣は退陣していて、新しくなった人たちがその後の問題発覚などについて陳謝しているのです。
とっても滑稽な感じがします。
 
いつだってそうです。
自分さえよければ、それでいい。
 
そんなつまらない発想を、もう終わりにしたいですね。
 
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Last updated: 2008/8/22