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つれづれなるままに

気まぐれに思ったことを綴ってゆくので、
いつ更新するかは気まぐれです。
 
今年も気まぐれは続き
3年目になります。
適当に読み流してくださいね。
気楽に書いているので、
誤字脱字は当たり前?
 
「気づいて囚われず」 これ大事なことよ!
Monday, 29 October,2007
蘭丸くん1歳の誕生日
今日は蘭丸(ミニチュア?ダックスフンド)の1歳の誕生日です。
 
ミニチュアというものの体格がいいのでミニチュア?な蘭丸くんがお寺にきてから初めての誕生日となりました。
これで1歳なので、「え!まだ1歳になっていないのに!!こんなに大きいの〜!!!」と驚かれることも少なくなることでしょう。
 
一時期よりは少し痩せて5.5キロと腰のくびれもちゃんとある蘭丸くんです。
 
そんな蘭丸の誕生日だからということでお祝いをすることになりましたが、ここで問題です。
お祝いをしても当の本人は何のことだか理解しないことだろうから、犬用のケーキなどを買ってしまっては食が変わってしまうのではないかということになり、人だけがお祝いをするというおかしな状況になっております。
 
贈り物にと折り紙で首輪を作ってあげたものに、首に掛ける前にかじってしまい、製作者の意図はもろくも崩れました。
写真を撮ることもできません。。。
 
当の蘭丸はと言えば
折り紙はかじっても美味しくない…
においはするのに食べられない…
という感じです。
 
せめて今日の食事は蘭丸の好物でお皿に盛り付けてあげることにしました。
トマトのぶつ切り、サツマイモとカボチャのおふかしを盛ってあげると、もう大興奮です!
 
ご飯の前の、「お座り、お手、おかわり」なんて言う前から自分ですべてしてしまうほどのありように、みんな大爆笑です。
 
いつもなら、“言われたからするか〜”ぐらいなのに、今日は“もうしたから早くちょうだい〜”という感じです。
 
ビデオに撮影するものの、あっという間に食べてしまったので、食べる様子よりも前置きの歌が長く収録されております。。。
 
そんな蘭丸くんが1歳となりましたが、もうずっと一緒にいるような感じかしていて、とても1歳とは思えないような家族の一人としての存在感があります。
 
さて、明日からいつものメニューに戻りますが、今日のご馳走から明日はあんまり食べずにおねだりするだろうなぁ〜
 
 
そんな蘭丸の誕生日に吉報がありました。
出版社から連絡があり本の出版が来春の4月となるそうです。
まだ先ですが、ゆっくりと待つことにしましょう。
Thursday, 25 October,2007
瑞世ふたたび
先日は大本山永平寺にてお勤めをして参りましたが、本日はもう一つの本山である神奈川県の総持寺にて一夜住職を務めるべく上山です。
 
今日のスケジュールは充実したもので、朝からご自宅にて猫ちゃんの供養、その後は急いで分院に戻り兎ちゃんの供養、その後は急いで総持寺へという流れでしたので、朝から何も食べずに活動しておりましたから、お寺のお膳が美味しかったですね。
もともと美味しいものでしょうが、尚更美味しく感じました。
 
前回、永平寺にて一夜住職を務めているとはいえ、作法や動きなどが異なるために覚えることが多くて、今宵も寝ずに布団の中でイメージトレーニングです。
その甲斐と皆様のご加護あって、無事に一夜住職を務めることができました。
 
この法要最中には何度か部屋を移動し異なる法要などをするのですが、その移動中に案内をしてくれる方に何度か「そんなに緊張しないでいいですよ。肩を楽にしてゆっくりしてください」と言われました。
 
私は緊張しているのはもちろんですが、敢えて緊張させているのです!
人が見ていない移動の最中だからといって肩を楽にするのではなく、きちんと合掌手の姿をしていたいのであって、その姿を保っているから、何度か「そんなに緊張しなくても…」というように言われてしまうのでしょうね。
あの言われようからして、「この人はずいぶんと緊張する人だなぁ」と思われていたことでしょう。
その緊張をほぐすために言ってくれる一言は有難いものですが、心だけ受け取って、後は私が信じる道に随っていくだけで、私が言葉にしないのもありますが、そんなかんなで法要場所を移動する度に言われましたが、それだけしっかりとできたということですね。
 
人の見ている見ていいないではなく、自分はいつも同じですからね。
人は見ていないところで手を抜いても、自分には嘘をつくことはできませんので、人が見ていないところでもきんちと行なって、人が見ている前で失敗したら、それはそれです。
体が緊張に支配されるのと、体を緊張で支配するのとでは、同じく緊張しているように見えても事が違います。
失敗しない人はおりませんし、何事も最初から上手くいくとは限りません。
どうなるかはその時々です。
 
気にしない。気にしない。
焦らずに。焦らずに。
 
Sunday, 21 October,2007
瑞世(ずいせ)
先日、曹洞宗の大本山である福井県の永平寺に一夜住職を務めるべく上山しました。
 
曹洞宗では、お袈裟の色が変わる頃に両本山に詣で住職の代わりをする儀式があります。
それが瑞世というもので、歴代の祖師の方々にお拝するのです。
 
法要の作法や進退、順序などいろいろあり、お経のどこで動く・動かない、右足から・左足から、右回り・左回り、一回・三回、手は合掌なのか・そうでないのか・・・etc、と事細かく決まりがあるので、前の晩は布団に入ってもほとんど寝ることなく、ずっと頭の中でイメージトレーニングしておりました。
 
その甲斐もありましょうが、その甲斐を見護ってくれた者たちのお陰さまで無事に大役を果たすことができました。
 
最初はすごく緊張しましたが、最初の法要が終わってから気持ちを切り替え、一生に一度の機会だから、これを味わうことにしました。
 
次の法要場所に向かう時は、見える景色を眺め、“歴代の祖師もこの空を見上げたことだろう”“この風は何百年も同じなのだろう”などと様々なことを想いながら、階段を上がる時には、日々雲水さんたちが掃除している姿を想い一歩一歩、“ありがとうございます。上がらせてもらいますね。ご苦労様です”などと感謝とねぎらいの気持ちで足の裏で歴史を感じながら、法要場所では仏様の顔をしっかりと拝み見ながら、“どうぞ宜しくお願いします”“今度とも精進してゆきますので、見守ってください”などと思いながら参拝してきました。
 
そうして、緊張を味わうようにしましたので、気持ちが楽になって自然とすべてが行えました。
 
とっても清々しい法要を行うことができました。
すべての方がに感謝申し上げます。
 
そして、御山を下りる時には、すれ違う雲水さんたちすべてに「ご苦労さまです」と声を掛けて、気持ちの良い法要を陰で支えてくれたことに感謝しながら後にしました。
 
出版は先送りなりましたが、お坊さんとしてはちょっと先に進みました!
Wednesday, 10 October,2007
出版延期
再度の出版延期です。
 
ん〜出版社にも事情があり、前回は良い方向での延期になりましたが、今回は悪い方向での延期です。
 
出版社の台所事情もありまして、出版延期となってしまいました。
 
ず〜と待っている方々には申し訳ありませんが、いつになるのか私もわかりません。
 
私としては待つことも大事なので、気長に待ってもいいと思っているのですが、なんせ人に会う度に「いつですか?」「まだですか?」と言われるものですから、皆さんの期待に応えて出版社の変更も視野に入れて再度検討してみますので、大変申し訳ありませんが、お待ちください。
Sunday, 7 October,2007
供養祭
今日は長福寺にて合同供養祭を行いました。
 
お寺にお集まりしていただいた方々、都合で参加することはできないけど読み込みという心でお集まりしていただいた方々、お手紙という気持ちを届けて参加された方々と共にご供養・ご祈祷させていただきました。
 
皆様の気持ちがとても嬉しく思います。
仏に仕える者として、仏さまからの感謝を代わりに申し上げます。
 
ありがとうございました。
 
 
生という姿があるときには人は見返りが分り易いから手厚くしますが、死という生の姿が見えにくいときには人は見返りが分りづらいのもあって薄くなるものです。
 
ご先祖に対する供養というのも同じです。
 
そういうことが多くある中において、供養してあげたいという感謝の想いが続いている方々がいらっしゃることに頭が下がります。
そんな人々と関係を結べたペットたちを幸せ者だと思います。
 
今の自分があるのは誰のお陰かと思えば、生んでくれた祖先あるお陰だし、支えてくれたペットたちのお陰なのですから、その恩に報いるのが感謝報恩の供養というものです。
 
それができるかできないのかは、相手の姿があるかないかではありません。
 
相手が目には見えづらいけれども、この身がある私たちの思いとして表明することが大事なことなのです。
 
そのような気持ちがある上で日々を生きる者と、そのような気持ちがないで日々を生きるのとでは、人生は大きくことなる歩みとなります。
 
見えない者への想いがある人は、人が見ていないところでも良き行いをしているものです。自らが主体となって心に随って生きている人の姿です。
 
見えない者への想いがない人は、人が見ていなければどうでもよく、人の前では良き行いをするものです。自我が主体となって相手の心が気になって生きている矛盾した人の姿です。
 
ご先祖やペットたちへの供養の仕方は心の在り方でもあり、相手の姿があるなしではなく、自分の心があるのかないのかというとても大きな意味合いを持つのです。
 
供養という感謝の気持ちをもらう仏さまや守護者だって、想いある人を護るのと、想い薄い人を護るのとでは、多少の異なりがあっても致し方ありません。
 
世の中の道理というものは、ちょっと不思議な作用をするようで、目に見えない者へ施せる者には目に見える形での施しが与えられ、目に見える者へしか施さない者には目に見える施しが与えられないものです。
 
供養するという感謝の気持ちは、供養祭や供養の節目だけではなく、いつでもできるものですからね。
 
日々の心がけが日常となります。
 
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Last updated: 2008/8/22