つれづれなるままに

 
気まぐれなるままに綴る
感じたこと思ったことなどを書いています。
 
感じ方は人それぞれですから、
適当に(さらりと)考えて、
ご自分の気づきや学びにして下さい。
2003/12/31    大晦日
2003/12/29    無理は禁物
境内に村道整備のための残土がそのまま残っており、ただでさえ狭い境内地がより狭くなっているので、時を見ては移行しているのですが一輪車が壊れてしまいそのままになっておりました。
先日、新しい一輪車を購入して、さっそく残土の移行をしたのですが、買ってきたばかりの一輪車が半日でダメになってしまったのです。雨で湿った土を私が押せる限界まで積んでは移行していたので、タイヤがペチャンコになってしまいました。
 
いくら新しいからといっても、物には限度というものがあり、無理をすれば損なわれるのですよね。
この教訓がこの時期にもたらされたのには、きっと何かあると思いきや!思い当たる節が…
 
風邪をひくようになったのは去年からですが、今度は長引くようになったのです。
“スーパーサイヤ人”(疲れを知らない無限のスタミナと回復力の早さから、ドラゴンボールの孫悟空にちなみ呼ばれていた)と呼ばれていた頃の20代とは異なり、30代になって、人並み以上にバイタリティーはあるものの、人並みに風邪をこじらせるようになったので気をつけなさいという暗示なんだなぁと思い、少しは体を労わろうと思うようになりました。
 
気持ちはどんなに若くても、それなりに歳を重ねているのですね。
無理は禁物という教えを乞いました。
 
2003/12/24    クリスマスイブ
我が家はクリスマスありです。仏教だからということは関係ありません。
それは大人のことであって、子供達には無関係のことですから、一般的なクリスマスを我が家も過ごします。
 
昨日は次男の幼稚園でクリスマス祭があり、カトリックの幼稚園ならではの聖劇などを見てきました。
その最後に、サンタさんがやってきて園児たちにプレゼントを渡すのですが、長男は小学生のためにプレゼントがもらえずにがっかりしておりました。
なので、「サンタさんが帰る時に直接お願いしておいたら」と言ったら、待ち構えていたかのように言いに行きました。
それで「ガンダム」をお願いしたら、「はい」と言われたそうで、目を輝かせ喜んでいました。
 
「そんな素直な気持ちを、子供たちがずっと持っていてほしいです」と、
私はサンタさんにお願いしようかな。
 
2003/12/22    校正は大事!
深夜のアルバイトで、求人広告の製作会社で校正の仕事をしているのですが、校正はとっても大事なことと実感しました。
 
今回発売の週刊ポストにお坊さんとして載っているのですが、ライターさんを信頼してお任せしてしまい、原稿を校正していないので、発売日を楽しみにしておりました。
でも、校正していないので、いろいろなところが異なるものになっており、伝えたいことが伝わらず、事実でないことが書かれてしまい、「芸能人のスクープ記事で、事実と異なることばかりです」という気持ちが分りました。
 
どうも、前後の文脈を抜きにして、一部ずつをつなげていくから、結果として書いてある文章は異なるものになってしまうのですね。
 
困ったもんだ!?
 
2003/12/19    外にあるものは中にある
私たちの周囲にはいろいろなことがありますが、そのいろいろは外にだけなのでしょうか?
 
優しさに触れて感謝するとしたら、あなたの中に優しさと感謝を知る心があるからでしょう。
 
イライラすることに出くわしたら、あなたの中にその要素が含まれているからでしょう。
 
同じ出来事であっても、人によって許してくれる人もいれば、許してくれない人もいます。
さて、その出来事は外にだけあることなのでしょうか?
それとも、内側にあるものが繁栄された出来事なのでしょうか?
そもそも、その出来事ははじめから存在したのでしょうか?
 
いつも外の世界ばかりを目にしていませんか?
 
2003/12/17    光と闇
光と暗闇はどちらが優位か?と考えたことありますか?
 
私はよくあります。
僧侶になる前は、闇に包まれると光も届かないとか、闇という存在を認めていたのですが、今はより鮮明になっていることがあります。
 
それは心の闇は存在しているのではなく、自らが作り出していることであって、本来は光しかないはずなのです。
でも、囚われや欲望や煩悩という壁を自ら心に作り出すから光が届かない部分を作っているだけで、それが闇と呼ばれるだけなのです。
 
自らが心の障壁を取り除くか、より透明なものにしてゆくことで、光は遮られることなく届くようになりますから、自らを省みる必要がありますね。
 
そうそう、どっちが優位かって話なんですが、電球を光に例え、その周りを箱で囲むとします。
すると、明るく照らされていた周囲は闇に包まれるようになりますが、箱の中の光は消えることなく、箱の中は同じく光に包まれているのです。
だから、闇では光を消すことはできなく、闇は障壁がなければ消えてしまうものだから、光の方が優位なのだと思います。
 
さて、このことから、あなたの心は自ら命の輝きを持っているはずですが、あなたはあなた自身で障壁や覆いを作って暗い部分を作ってはいませんか?
 
2003/12/13    みんな善い子
昨日の続きになるのですが、私の誕生日プレゼントがないことを、子供達がしきりに気にするので買ってもらうことにしました。
 
おもちゃ屋さんでね。
(まるで子供です)
 
その後は私の好きなお店で外食してお祝いしました。
 
親馬鹿ですが、みんな善い子です。
 
最近の子供達はもらうことに慣れてしまい、与えるということができなくなってきています。そういう中で、「誰かに何かをしたい」という気持ちは、とても大切なことだと思うからです。
 
2003/12/12    気障なんです
昨日は東京にいたので今日に誕生日のお祝いをすることになっていました。
先日、妻に「何か欲しいものある?」と聞かれたので、いろいろ言ったのですが、すべて却下されました。無理なものばかり言って遊んでいましたから当然のことで、妻には自分でプレゼント買うからと言って、何も買わないようにと念を押しておきました。
なので、以前から思っていたことを実行することにしました。
 
新潟の家に着くと早々に鞄を開けて、私はプレゼントを取り出し妻に渡しました。
私:「ちょっと開けて見て見て」
包みを開けると私用の物ではなく、むしろ妻向けの物なので首をかしげておりました。
妻:「これ、かわいいね。でも、なんでこれが誕生日プレゼントなの?」
私:「これあげます。絵里に買ってきたものだから」
妻:「???」
私:「だって、自分の買っても何だから。それに、いつもキッチンで一人でいろいろしてくれて偉いなぁと思って、これが流しの前にあったら嬉しいかなぁ、頑張れるかなぁと思い、気持ちだけですけどを買ってきました。」
妻:「何にもしてないのに、いいの?」
私:「はい。いいのですよ」
妻:「え〜ありがとう!」
私:「その笑顔が私の何よりの贈物ですから」
私:「ね!私のプレゼントだったでしょ!」
妻:「うわ〜、気障なことしれくれちゃって!」
 
と、こんな様子を見ていた長男が不思議そうに
「何でお父さんの誕生日なのに、お母さんにプレゼントを買ったの?」
私:「みんなの笑顔とか、みんなの嬉しいことが、お父さんの嬉しいことだからだよ」
長男:「ふう〜ん。。」
私:「大きくなれば分るさ。覚えていればね。だから、いっぱい食べて大きくなってね。」
と頭を撫ぜながら言いました。
 
その後、長男は理解したのか?
「じゃぁ、俺のは?」だって。
 
2003/12/11    報告
過去の自分に人生の経過報告をする日になりました。
 
独立という道は歩んでいても、その力はまだまだ弱く、思い描いていた人生の成功図とは随分と隔たりがあるような気がしすが、とりあえず道を定めただけでも大きな進歩とも思います。
そんなで、「まぁ良しとしよう」と合格点をあげることはできると思います。
もちろん、ボーダーラインに近いので、もっと精進しなくてはなりませんけど。
 
でも、人生という意味においては満点をあげることができます。
 
それは10数年前には描いていなかった家族がいることです。
この日の朝いちばんに電話があり、電話の向こうで家族みんなが「おめでとう」と祝ってくれている声が、私の人生の満点を教えてくれました。
 
さて、次なる期限は35歳。
何事も最低5年くらい集中しないと、見えない事柄が見えてこないと思っているので、あと3年は僧侶としての自分を磨くための投資期間として人生を捧げる所存で参ります。
 
2003/12/10    タイムリミット
時が経つのは早いもので、私も明日で32歳になります。
私にとって、この32歳という年齢は重要なものであって、私が独立を果たすための自己投資のタイムリミットがこの歳なのです。大学入学前に志していた、「社会人になってからトータル10年間の人生を自分に投資して、夢の実現のために勉強する期間としよう!そして得たもので独立しよう!」という自分への約束の日を明日迎えます。
 
さて、
人生に何て報告すればいいのでしょう?
 
2003/12/09    器のつづき
出会いや気づきや学びなどから与えられた雫を心の器に入れようとしても、いつも満ち溢れている状態だと心に納まらなくなってしまうので、こんどは器の大きさを変えるようにしています。
そうして、いいと感じたら自分も真似してみよう、いいと思ったら自分もしてみよう、いいものを感じたら自分の中に取り込んでみようとなり、少しずつですが心の器の許容量を変える様に努力してゆきます。
すると心の器はさらに大きくもなれば、深くもなり、出会いの数だけ、学びの量だけ、感動のたびに心の器は豊かなものを蓄えられるようになってゆくのです。
それから、また心の底から湧き上がってくる雫が満たされると、より広いものたちに見返りを求めることなく、溢れる雫を与えることができるようになってきます。
 
そうして器の大きさや深さを変えられるようになってきたら、この心の器をより素敵なものに変えてゆくようにします。
私自身そうですが、より綺麗な方がいいですし、より素敵な方がいいので、心の器の質を高め、心の器の姿を整えてゆくようにします。また、貰うほうだって、綺麗で素敵な器から溢れ出た雫の方がいいでしょうから、私のためにも他のためにも器の質を高め磨いてゆくことはいいことなのです。
 
さて、器の質を高めたり、器の姿を整えたりするにはどうしたらいいのでしょうね。
 
心を見つめるしかありません。
そのままの自分を。
あるがままの自分を。
 
人それぞれに個性があるように、心の器も人それぞれであり、その形、その質も異なるのであって、まず心の形質を知らなければなりません。
その形質を知らずに、合わぬものを着けてみてもて剥がれるだけで、よく見せようと塗ってみても剥げたり、悪趣味になったりしてしまいます。
だから、心の器の個性を知り、どうなりたいのか、何が必要なのか、何をすればいいのか、どのようにすればいいのか、と思考し行動してゆくうちに、器は磨かれ素敵な輝きを得るのです。
どの器も、それぞれに個性があり、形も質も大きさもいろいろで、その形質に性質が生かされている心の器のことを、“個性溢れる豊かさ”というのであって、そういうものに心惹かれるのであって、それが綺麗なのであり、それが素敵なのです。
 
私は素敵な器に、みんなからもらった雫を溜めておきたい。
そして、素敵な器から溢れる想いの雫を分けてあげたい。
 
2003/12/08    心の器
心が広いとか深いとか、狭いとか小さいとか、心が綺麗とか器が多きなどと言うことがありますように、心には器のようなものがあるのでしょうかね。
そのように器に喩えたとしたら、みなさんの心はどんな器なんでしょうね。
器の姿、色合い、深さや大きさなど、どんなものなのでしょうね。
 
心に器があるわけではないのでしょうが、私も器があるとも思っているのですよ。
この心の器が満たされているときは幸せそのもので、この器の雫は人に分けることもできるように思います。
私はこの器の中にある雫を分けることもありますが、基本的には器から滴る雫を分けるようにしております。
そうすれば、自分のしたことの見返りを求めることなく、素直にすることができるからです。
自分以上に無理をすると心の器の雫を減らすことになり、自ら満たすことができないと、それを外に求めはじめ、分けた相手などから減った分の見返りを求めて、その減った分が得られないと不満を心に抱き、雫は蒸発してしまい、さらに器を満たすはずの雫が失われていくのでしょう。
だから、基本は器の中の雫を分けるのではなく、溢れた分の雫を分けるようにするといいのでしょうね。
 
ちなみに、私は器の底からも雫が涌き出してきて満たされますし、いい出会いによっても雫を分けてもらいまた満たしますし、気づきや学びなどからもまた満たされますので、いつも器から溢れ出ているような感じがありますね。
 
2003/12/02    まったく
最近、多いのですよねぇ営業の電話。
それもフリーダイヤルでかけてくるのが…
 
私の妻は人が善いので話を断ろうにも聞いてしまうのですが、そうすると意味のない営業で料金はこちらが負担することになるんですよね。
私は、ひと言なしにフリーダイヤルから営業しようものなら、
「営業のお電話ですか?それであれば、一言もなしにフリーダイヤルで電話をするのは失礼かと思いますので切らせていただきます。」
と、その旨を述べて切ってしまいますけどね。
 
お客様からの問い合わせはいいのですが、営業はどうなのかと思ってしまいますね。心の尽くし方というものを教えてあげたくなりますね。
 
だって、問い合わせしてくる人は、悲しみの中にあってなお悲しみを抑えて電話していたり、亡くなった子のために何かしてあげたくて緊張しながらも電話しているのですよ。それを知っているからこそ、そういう人のためになりたいと思うのであって、そのためにある電話回線を営業に使われたくないという想いもあるのですが、営業の心得がなっていない者たちが多いことに、元広告代理店の営業マンとしてはレクチャーしてあげたくなりますね。
まったく、かわいそうに。
 
怒っているのではなく、哀れんでいるのです。
 
2003/12/01    大阪のご報告つづき
大阪では、とても素敵な一日を過ごすことができました。皆様に感謝しております。
HPを立ち上げてまもない頃にメールで話をする機会があり、その後ペットカウンセラーの資格を取ることにもなった先生ともようやく会うことができました。
朝から夕方まで話をしていたのですが、あっという間に時が経つほど、私にとってはいい時間を与えてもらいました。
そして、夕方は6人の方々と共に夕食をいだたき、また素敵な出会いになりました。
みんな愛する伴侶を失い悲しみを心に抱いている人たちで、メールを交わした人、初めての人、手紙供養した人、東京で会ったことのある人などで、「久しぶりに会えましたね」であったり、「ようやく会うことになりましたね」であったり、「はじめまして」であったりと、素敵な出会いがいっぱいありました。
 
和食のお店で一緒に食事をし、自己紹介を兼ねて愛する子の話をすれば涙が出るし、その話を聴けば涙が出るしで、私たちのいる場所はみんなで涙していたので、配膳してくれた方は「いったい何の集まりなの?」と思ったことでしょうね。
 
みなさんの話を聴かせてもらい涙の中にも幸せがいっぱいあり嬉しくなりました。
そうして愛された子がいたことを。
今なお愛せる子がいることを。
そうして心を共にし絆を深めた優しい人がいることを。
そういう子たちが導いてくれた出会いであることを。
愛情をいっぱい感じさせていただき、心豊かになって帰ることになりました。
 
一人で会っても、みんなで会っても、あっという間に時が経ち、素敵な時間を過ごすことができました。
皆様ありがとうございました。
そして、この縁を天国から導いてくれてたみんな、ありがとう。

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Last updated: 2005/2/1