つれづれなるままに

 
気まぐれなるままに綴る
感じたこと思ったことなどを書いています。
 
感じ方は人それぞれですから、
適当に(さらりと)考えて、
ご自分の気づきや学びにして下さい。
2004/01/30    時と金
「時は金なり」という言葉の意味は、時というものは貴重なものなので、お金と同じように無駄に浪費ぜすに有効に使いましょうということです。
私たちはお金を浪費しないで有効に使うことはできても、時間になるとついつい無駄に浪費していることがありますよね。
同じく有限で貴重なものなのに、どうしてなんでしょうね?
 
同じく貴重なもので、お金と時間は対等な価値を持っているとしても、その性質が異なるから同じくして使うと、異なる結果になるのでしょうね。
お金は使い過ぎれば底をつき、使わなければ貯めることができますが、時間は使わなければ失われ、使えば貯めることができるのです。
 
時間とお金は使うことで、何かを得るという意味では同じで、お金で物を買えばそれが手に入り、時間を使って習得すればそれが身に付きます。
 
でも、使わなければどうでしょう?
 
お金は使わなければ貯めることができますので、いつかのために取っておくことができます。
時間は使わなければ過ぎてゆくだけで、取っておくことができないのです。
 
となると、保存することができない時間というものは、お金よりも貴重なものなんですね。
そして、使えば残すことができ、使わなければ失われるのなら、時間を使わずにいるのは損というものですよ。
 
“使わな損。損。”
それも、ただ使うのではなく、
“積極的に、使わな損。損。”
ですよ。
 
このテーマは奥が深く、とても多義にわたるので、本日はこれまで。
 
2004/01/24    成長の機会
私のいけないところは、出かける時に子供達につい「早く」とか、「急いで」とか言ってしまうことなんですよ。
これが分っていても、急いでいるときや時間のない時などは、つい言ってしまうのですよね。
そして、言った後にいつも反省するのです。
早くと言っても、できないからなのに、理不尽なことを子供達に言ってしまったなぁと反省するし、急ぐために靴を履かせてしまうと、子供の成長する機会を奪ってしまい、結果として、次回も同じことになってしまうのです。
 
苛立ったり、不機嫌になったりするというのは、実は心の成長をするチャンスを逃した時に起こる反応なんですよ。
人生とは心の成長のために必要な出来事でもってチャンスを与えてくれ、様々な場面で心が魂が向上してゆけるようにしてくれているのです。
この成長のチャンスを活かして心の向上ができたときは、私たちはより多くの幸せを感じるようになり、このチャンスに向き合うことをせずにして避けようとすると、不機嫌になって幸せを逃してしまうのです。
 
日常の中にある小さなチャンスに正面から向き合うことをせずに、つい避けてしまい、不機嫌になっては幸せを逃してしまうのですよ。
できるだけ避けずに受け入れたなら、それは幸せになる。
 
小さな幸せでも、集めたり積み上げたりすると大きな幸せになりますよ。
 
2004/01/22    素敵な誕生日
今日の夕方、お食事会に招かれていたので行ってきました。
ワンちゃんの10歳の誕生祝で、友人などが集まり楽しく食事をして写真を見ながら思い出を語りました。
 
そう。去年亡くなった子の10歳のお祝いを、ペット同伴OKの思い出のレストランでしたのです。
この食事会に、葬儀・火葬で見送った私も一緒にとのことで、お言葉に甘えさせていただきました。
 
「人が大好きだった子だから、こうして楽しく過ごすことを、きっと喜んでいるでしょう。」
との思いやりのある優しい言葉に、嬉しくなりました。
なにより嬉しいのは、こうして想ってもらえる子ですよね。
ほんと幸せな子です。
 
みんなで、楽しく、美味しく、お話をし、
とっても素敵な誕生日のお祝いができました。
 
2004/01/20    続、訴訟問題
新聞社からの問い合わせだけではなく、寺院さんからも問い合わせがあるのです。
知らない寺から電話がきては、
「おたくではどのようにして処理していますか?」とね。
この訴訟によって急にあたふたしているようで、私からすると?いったい?今まで?どのようにして?お金を扱ってきたの?と聞きたくなりますね。
 
私のところは件数も少なく経費の方が掛っており、深夜にアルバイトをして補填しているような状況ですから、お金がないことに苦労しますが、ないから執着という囚われることなく、志に徹することができるのかもしれませんね。
 
僧侶達は執着から離れなさいと説教して、お金を寄進することで功徳があるなどと言ったり、布施といって手放すことが大事などと言っているにも関わらず、言っている本人が一番お金に執着しているんですからね。
エゴですね。
滑稽ですよね。
 
口で言うだけなら誰でもできるのです。
それを行動することが大切なのです。
それが生きる姿勢です。
(今年の私のテーマですね。)
 
その姿勢でもって、その身でもって、伝えようとすることを「現身説法」といい、言葉でもって説法するのではなく、その身でもって説法するのです。
 
今回の件が、宗教行為であるからという建前を使って納税を拒むことこそ、宗教者の偽善で、そういう行為こそ、宗教行為でないように思うのは私だけでしょうか?
 
2004/01/19    訴訟問題
あるお寺さんが運営しているペット霊園が税務署から指摘されたことから訴訟に発展していることがあります。
そのことについて新聞社などから意見を聞かせてくださいとの問い合わせがいくつかあったものですから、ちょっと私の意見を!!
 
ペットの供養ということで火葬や納骨をされているお寺さんが宗教法人で運営しているために税務署から納税するように勧告を受けたのですが、ペットも人と同じ命で宗教行為だから納得できないと訴訟に至ったのです。
税務署からすると、宗教行為ではなく営利行為だから納税しなさい。
寺院からすると、営利行為ではなく宗教行為だから認めるわけにはいかない。
ということなっておりまして、名目は綺麗なことを言っているのですが、要は税金を納めるか納めないかのことなのですよ。
 
今の法律では、動物たちの権利は認められておらず、ペットは飼い主の所有物としての物扱いになっているのです。そのため、人の場合は宗教法人法として扱うことでも、動物の場合は火葬は葬祭業、納骨は倉庫業として扱われているのです。
だから、税務署は納税するように勧告するのです。
それを今更、過去何年間に遡って納税しなさいと急に言われて納得できないので訴訟になったのでしょうね。
 
ちなみに私の場合は、新潟はペット霊園ソウルメイトという別会社として税務署に届けをだしており、東京は桂花庄苑という別会社に運営委託しているので、きちんと納税しております。
 
どうしてかというと、単純に言って税金を納めるのは国民の義務だからですし、お金絡みの些細なことで僧侶としての傷をつけたくないのと、後から言われるのは嫌なので、設立当初から税務署に赴き、様々なケースについてお金をどのように処理すればいいのか相談してから霊園を立ち上げましたので、私には関係のないと言ったら語弊がありますが、私のことではありません。
 
私も気持ちの上では動物を所有物扱いすることには反対なのですが、現在の法律上そのようになっているので帳簿上で従っているだけです。
動物の権利を認めるという根本的なことであれば訴訟に賛同しますが、根本問題を解決することなく、枝の末端であることについて訴訟しても始まらないと思うのです。
それに僧侶ですから、争うよりも、譲り合うことの方が生き方に沿いますので、お金という煩悩の囚われから離れ、お金は税法上は納税しても、その心は別意見で、動物の命も、人の命も同じであって宗教行為をしているという自尊心までは納めるつもりはありません。
それでいいではないでしょうか。
敢えて公の場ですることでもないように思えるのですが。
 
どう思われたっていいじゃないですかぁ。
自分が信念持ってしていれば、それでいいじゃないですか。
お寺に集う人たちだって、その心の在り方に惹かれるものがあって集ってくれるのですから。
それが宗教ってもんじゃないの。
 
心に生きる灯火を照らすのがお寺さんですよ。
そのようなことで、私は世間から脚光を浴びたくはない。
 
そうしないと、心の安らぎである憩いの場が、お金を納めなさい納めたくないという争い場に巻き込まれてしまい、そこに集う人や動物たちの心を踏むような行為になってしまうと思うから、思う所、言いたいことはあっても、私は現状の法律に従って、心では反して自らの歩む道を進んでゆきたいと想います。
 
 
2004/01/13    幸せの広がり
自分が誰かから幸せを与えられたら、その幸せを与えてくれた相手に、幸せを送り返すこともいいのですが、幸せのお礼は感謝で示せばいいのであって、それに見合う見返りを返していては、幸せの関係は両者の間にしかなく広がってゆきません。
だから、誰かから幸せを与えれたらのなら、その幸せに見合うものを他の誰かに与えることで、与えてくれた者に感謝してみてはいかがですか?
 
そうすれば、幸せは往復はしませんが、より広がってゆき、世の中は幸せになるでしょう。それに、いつかは巡り廻って還ってくることもあるでしょうから、自分の元に留めておかないで、与えた幸せがどんな幸せになって還ってくるか待つ楽しみもあるというものです。
よくないのは、与えられた幸せを自分で止めてしまうこと。
それは欲張りというものですし、自ら幸せの枠を狭くしてしまうのですから。
 
よく部活の後輩に奢るのですが、「ありがとうございました」と言われる度に、「そのお礼は、奢られた恩をいつかの後輩に返しなさい。」「それが恩返しなんだからね。」
「そういう気持ちを大切に思ってくれることが、先輩である私にとっての恩返しなんだよ」と言っているのです。
 
そう、世の中を良くするには、
いいことを受けたら誰かに与える。
嫌なことを受けたら自分で止める。
ですね!
 
2004/01/06    負債も資産?
題名から想像すると、借金のことかと思いますが、そうではなくて、雪のことです。
(もちろん、借金がないわけではないのですけど)
 
長福寺では毎年雪が積もって、参道が通れなくなることがよくあります。それでも、境内から参道にかけて山の水を流しているので、ある程度は雪が解けておりますが、雪が多いと積もってしまいます。
そうして、いつも雪に悩まされる訳ですが、一昨年から発想を変えて、境内に積もる雪を効率良く解かすことで、参道に流せる水の量を増やすようにしたのです。
今年で2回目の冬なので昨年の工夫に、さらに改善を重ね、雪が少ないこともあり、車が四駆になったこともあるのですが、順調に境内にあがることがでるようになりました。
(まだ、改善したいところがあるので、来年の課題となっていますが)
 
発想の転換なんですよね。今まで境内に積もる雪で困っていたのですが、積もる雪のお蔭で参道に流せる量が増えたので、今では資産になっております。
 
大人にとっては雪はやっかいな存在であっても、子供達にとっては雪は嬉しい存在で、私が汗をかいて雪かきしていると、一緒になって雪かきして遊んでいます。
 
発想や視点・立場が違うと、同じものも変わって見えるのですよね。
不思議です。
 
2004/01/01    お正月
明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。
 
昨年は両祖父が亡くなり喪中になるので、「おめでたい」を使わないのでしょうが、私は使いますよ。
“生きていることへ”“生かさせてくれていることへ”の感謝は感謝ですから、新年を迎えることができたことに、みんなで感謝する意味でも、「明けましておめでとう」でいいと思っております。
 
お正月とは、自らを修正する月という意味でもありますから、新年の抱負を語り、今年を生きることにしましょう。
そんなんで、私の今年の抱負は『姿勢を正してゆこう』です。
いろいろな意味で姿勢を正し精進をしてゆきたいと思っております。
歩いているとき、座っているとき、食べているとき、日常のあらゆる姿勢を正してゆくこと自分を律しててゆきたいと思います。
それと同時に心の姿勢も正すことを怠らず、心身共に姿勢を正してゆこうと思います。
(背筋を伸ばすと少しは背が高く見えるかなぁ?)
横田晴正という生き方を、背筋を伸ばして、姿勢を整え歩んでゆきたいのです。
 
これからも、いっぱい語ってゆきますが、語らずとも、その姿勢が物事を語るような僧侶を目指しているので、どうぞ今年も宜しくお願い致します。

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Last updated: 2005/2/1