つれづれなるままに

 
気まぐれなるままに綴る
感じたこと思ったことなどを書いています。
 
感じ方は人それぞれですから、
適当に(さらりと)考えて、
ご自分の気づきや学びにして下さい。
2004/05/26    ひび割れ
会社の帰りに天気がいいので、バスに乗らずに歩いていたら、道路のひび割れから小さな雑草(雑なんて無いのですが、名前を知らないから、ごめんね)が芽を出し花を咲かせていました。
 
それを見て、「インドの水汲み話」を思い出して、何だが幸せ感にひたっています。
 
昔、インドに水汲み男がおりました。
その男の仕事は、井戸から水をくみ上げ、二つの大きな水瓶に水を満たし、丘の上の館まで天秤に担いで運ぶことでした。
二つの水瓶のうち片方の水瓶はひびが入っていて、丘の上の館に着く頃には、水が半分になってしまうのです。
丘の上の館に着くと、完全の水瓶は水が満杯でいつも誇らしげにしており、ひびありの水瓶は水が半分で自分を役立たずと思っておりました。
ある日、ひびありの水瓶は男に、「私は役に立たないから、どうぞ取り替えて下さい」と言いましたが、男は黙ってひび割れた水瓶を使い水運びを続けました。
月日が流れ、たまりかねた水瓶は、「自分のような出来損ないでは、あなたの努力が無駄になってしまい、役立たずで申し訳ないから取り替えて下さい」と頼みました。
男は丘の上から道を振り返り、水瓶に道を見せてあげました。すると、道の片方だけに花が咲いておりました。
完全の水瓶は水を運ぶのには役に立ち、喉を潤すことができたが花を咲かせることはできず、ひびの水瓶は水を運ぶのには役に立たなかったが、花を咲かせることで人の心を潤すことができたのです。
 
私たちは完璧なことを望み、そうでない欠点のある自分を憂い、役に立たないと思ったりもしますが、それぞれには役割があり、自分にしかできないことがあるのですよ。
 
道路のひび割れから花を咲かしたり、ひび割れの水瓶から花を咲かしたりするように、私たちも心のひび割れから自分だけの華を咲かせるようになるといいですね。
 
心のひびや心の傷から、きっと華が咲きますよ。
ひびがあっても、傷があっても、華が咲いて満たしてくれますよ。
 
きっとね!!
2004/05/19    関係ない?
よく聞く言葉で気になるのがあるのですよ。
それは、『関係ない』という言葉にまつわるものです。
 
“この世の中のすべては関係性において成り立っている”
というのが私観ですから、関係ないということはどういうことになってしまうのかと思うのです。
 
本当に、関係のないことであれば、私たちは人生において出会うことすら、思うことすら、触れることすらないはずなのです。
出会うからには何か意味があるのであって、必要なことだから縁があるのであって、そこから、その関係性から何も見出そうとせずに、関係ないとしてしまうと、何もないことになってしまい、大事なものも見失ってしまいます。
 
その大事なものって何でしょね。
 
気づくこと。
 
優しさ。
 
幸せ。
 
愛。
 
 
あなたは関係ないと言って、大事なものを見失っていませんか?
 
2004/05/12    言葉よりも実践
最近の世情でもありますが、言葉ばかりが先行して行動が伴わないことがよくありますよね。
そうして、言っていることと行なっていることのあまりのギャップにより、言葉は信用を失い軽んじられ、行動はどこへやらとなってしまいます。
 
特に政治公約なんてものが、いい例なのかもしれませんね。
選挙の際には、最大公約数的な言葉を使い票を集めますが、行動は最小公約数的な私事についての行動ばかりですからね。
そうして、言葉と行動のギャップを作っているから、低投票率という結果を招くのです。
まぁ政治家はさておき。
 
よく有言実行ということを聞きますが、僧侶の場合は、これよりも不言実行が大事だと思います。
誰に言うでもなく、誰に見られるでなく、誰に見せるでなく、まず行動ありきということです。
だからといって、言葉がいらないというのではなく、行動の前には心の言葉があり、自らの魂において言行一致を果たせる人格を養うことが求められているので、言わず・語らずで、まずはじめに行動ありきとなるのです。
すべての行為は、自らの魂が見ていて目を背けることはできないし、目には見えない神仏も見ているであろうから、誰が見ていなくても、いかに自らの命の中にある魂に背かずに行動してゆけるかが問われるのでしょうね。
 
言葉よりも行動することですよ。
 
2004/05/05    見えない人に感謝の印
先日電車に乗って本を読んでいると、斜め前にお腹の大きなカップルを見つけたので、その妊婦さんに席を譲りました。
でも、その時に、ちょっとした違和感を感じたのです。
 
「どうぞ」と席を譲ると、若い夫婦は何も言わずに、当然のように奥さんが座りました。
十歩譲っても、奥さんは会釈をしたようにも見えますが、旦那さんからは何もありませんでした。
別に、感謝されることを求めているわけでもないので、不満になることも何もないのですが、感謝の気持ちを示さないというのが不思議に思えたのです。
その後、妊婦さんが座り、正面には旦那さんが立ち、その隣に私が立っている状況で、奥さんの隣が空いたんです。
すると、当然のように旦那が座り、二人でぺちゃくちゃとおしゃべりを始めました。
 
私は心の中で、
別に求めるわけではないけど…と前置きした上で、
なんだ、妊婦さん話せるんじゃん!それもいっぱい。
それに、席を譲った人を差し置いて、普通座るか?旦那さん。
と思いました。
 
そうそう、これはどうでもいいのです。
別に何も求めているのではないのですから。
それに、私の心の方向は、この夫婦には向いていないのです。
 
そう、私は、妊婦さんに席を譲ることを通じて、
いつぞやか妻が妊娠している時に、席を譲ってくれた方に感謝しているのです。
言葉ではなく、行動で示すことで、いつかの、誰かに、今、感謝の気持ちを伝えようとしているのですから。
 
その場に一緒にいれば、言葉と態度で席を譲ってくれたことに感謝しますが、私のいないところであっては、私は妻から話を聞き、その際に妻を通じて感謝を述べることはできますが、譲ってくれた方に直接には感謝を伝えることができません。
その方に感謝の意を示すには、同じ行為を通じてこそ、感謝の意になると思っているので、その方の為でもありながら、同時に、ある方に感謝する為でもあるのです。
 
与えられた幸せは、止めてはいけないのです。
与えられた幸せは、分け与えなければならないのです。
そうすることで、幸せはループになり、幸せがこの世に広がってゆくのですからね。

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Last updated: 2005/2/1