つれづれなるままに

 
気まぐれなるままに綴る
感じたこと思ったことなどを書いています。
 
感じ方は人それぞれですから、
適当に(さらりと)考えて、
ご自分の気づきや学びにして下さい。
2004/06/27    道徳
今日は子供の授業参観がありましたので、寺院での大法要と霊園の合間に見にゆきました。
ちょうど、5時間目で道徳の授業をしておりました。
テーマは「心はどこにあるのか」ですよ。ちょっとビックリ!
小学2年生が、難しいことをテーマに授業をしておりました。
 
その中で、心はどこにあるかと聞くと、心臓、胸、頭、体の中にあると意見しておりました。
それを聞きながら、心の中で、小学生に“心は人と人の間にある”なんて言っても理解できないよなぁ〜、だって、大人だって、この心のありかを知らないだろうし、なかなか理解できないからなぁ〜と思っていたのです。
 
授業も終盤にさしかかると、なんと、『心は人と人の間にある見えないもので、自分一人のものではないんだよ!』と、詩を題材にして結論しておりました。
すごい!すごい!!素晴らし〜い!!!
 
子供たちは「え〜」と言っていたけど、そうなんですよ。
 
人間という字は、人の間と書くように、一人では生きてはゆけないので、相手を思いやる心が必要なのです。その思いやる心というものは、私とあなたの間に生まれる優しさであって、対象がいなければ生じないのです。
私たち自身においても、自分で自分を見つめるから、その間に心が生まれ、自らの身体の中にあるように思えるのです。
そして、この心は、人だけではなく、動物や自然、物などの間にもあるものです。
 
生物は関係性の生き物とも言い換えられるように、誰かとの関係性において、私たちは存在していると言えるのです。
また、私たちがこの世に居て、先立った子を想う時、相手は存在するのです。
そして、その間に心が生ませるのです。
 
心については、日記では書ききれないなぁ〜。
そうだ!カルチャーセンターの講師の時に生徒さんたちにお話しよっと!!
と、ちょっと宣伝なのですが、来年、都内でカルチャースクールの講師をする予定です。
私の「生活に生きる仏教の教え」を受講したい方は、どうぞ参加下さいね。
 
2004/06/23    人格の作り方
「花を見ている。花も見ている」
これができるようになれば、人格は陶冶されることでしょう。
 
ただこれだけでは、何のことやらさっぱりわかりませんよね。
 
だから、ちょっとだけ記しますね。
 
「花を見ている」のは自分ですよね。
そして、見ている花は対象となっております。
その対象にも心を置き、対象が自己と同じくこちらを見ているという、自と他が一体となったとき、私に多くの事を語りかけてくるでしょう。
対象と心を重ね合わせ、一体化を行なうことで心が通じ合い、その対象の心を自分の中に移し、自らとなすこと自らになるのです。
そうして、出逢った人や書物の人物、または動物や自然などから、自らが感心することを自分に取り込んでいくのです。
 
すると、今までは外側からの対象であったものが、内側から心に響く言葉であなたに語りかけてきてくれることでしょう。
 
自他が一つになると、私以外の、悲しみが分り、苦しみが分り、優しさがわかり、楽しさがわかり、・・・と、いろいろな心があることを知るでしょう。
その心を対象として捉えるのではなく、同時に自分になってみるのです。
そうして多くの物事を自分の心にするのです。
また、誰が見ていなくても、「花は見ている」というように、何者かに見られているので、いつも自分が自分を見ていることになり精進しなくてはなりません。
 
人の心、動物の心、自然の心、物のこころ、多くの心を感じられるような心には「格」が宿りますよ。
 
2004/06/20    運動会
今日は次男の幼稚園の運動会でした。
 
今年は年長さんなので、最後の運動会ということもあり、ものすごく張りきっておりました。
 
体こそ小さいものの、行進や入場の時など、一生懸命に手を振り上げ、足を上げていました。その勇姿に親バカですが、子供の成長を見て感動で涙です。
今日は子供たちから、「一生懸命」ということを改めて学びました。
だから、子供と並んで一緒に入場する時に、私も手を肩まで水平に大きく振り上げ、しっかりと足を上げて、“いい大人が”という心を抑え、子供たちと同じ素直な心で、次男と共に歩みました。
他の方々は、恥ずかしいのか、面倒なのか、適当に歩いておりましたが、私は子供たちの勇姿に対して、一生懸命な心に対して申し訳ないし、親が子供に寄り添ってあげずして何たるものかと思い、二人で元気に行進しました。
その後のオセロゲームに勝って喜ぶ次男の素直な心に、自然と涙が出てきて、愛しくてたまりませんでした。
こうなると、親バカですね。次も勝って連勝してあげようと思い、頭脳プレーを活かし真剣にゲームしちゃいました。
 
でも、最近の運動会には、集団競技には勝敗があるのに、個人競技には順序のある勝敗がないのですよね。
大人が考える配慮なんでしょうが、子供たちは本当にいいものなのでしょうか?
 
子供たちは真剣になって勝負しているのです。
なのに、勝敗がないのでは、努力した喜びを知ることなく、負ける悔しさを知ることなくで、事なかれ主義は心を育む大事な要素を、子供の成長から取り上げてしまいます。
 
それが如実に表れたのは、卒園生によるリレーでした。
赤と白に分かれた1年生から6年生の混成チームで、勝負は引き分けとなったのです。
大人は、事なかれ主義で、平等である引き分けで終わらそうとするのですが、子供たちは真剣で、勝つか負けるかの勝負に意義を見出しており、走ったからといって何もないのに、勝負をつけたいと言って、「もう1回コール」で、大人に要求しています。
その熱意に押され、再度リレーが行なわれました。
 
またも、私は子供たちから「一生懸命」を学びました。
 
私たちは子供たちよりも偉い大人でおりますが、つい損得勘定で物事を計りがちです。そんな大人のどこが偉いのか?と、子供たちの真剣さと一生懸命さの前では、恥ずかしくなります。
 
それを褒め称えたくて、私は恥ずかしさを捨て、子供と共に、大手を振って、一生懸命に、真剣に、そして親として温かく子供を見守りながら行進しました。
 
ちなみに、私は親のリレーで、今年もアンカーを走ることになりました。
あ〜、膝とアキレス腱が痛い…
 
2004/06/16    生まれる
星の王子様でお馴染みのサン・テグジュペリの言葉に触れて感動しています。
 
「生きるとは、徐々に生まれることである」
 
なんて素敵な言葉なんでしょう!
 
様々なことを学び、
いろいろなことに気がつき、
毎日が日々新鮮で、
私たちは日々に生まれているのです。
 
私はこの言葉に出会って、
今日新たに生まれました。
 
2004/06/11    情報
先週の献血の結果が届きました。
いたって健康のようです。
(妻が見てそう言っておりました)
なんで自分で見ていないかって?
漠然とですが自分の状態を信じているので、数値には関係ないと興味がなかったからです。
 
私たちの日常では、情報というと数字や文字の羅列のように思われており、よく世の中には情報が氾濫しているなどと言われますよね。
あなたは情報ということについて、上手に説明を求められたら、きちんとできますか?
私も自信はありませんが、ちょっとだけ思いを記してみますね。
 
そうそう、情報という字は、情(じょう)に報いる(むくいる)とあり、「情」は心を表すと書きますので、情報とは、生きている心を伝えるということでもあると思います。
もののあわれを知る心、相手を思いやる心、そういう心を伝えるのが情報であって、情報が生きていると言うのは、相手を生かそうとする情けがあるからなんでしょうね。
 
心のこもった情報を伝えてくれる相手がいること、
そういう情報に出会えたこと、
受け取ることができる心があること、
いろんなことに感謝です。
 
2004/06/04    献血
今日は東京に滞在したまま予定がないので、たまの休日となりました。家族と一緒であればいいのですが、単身なので昔からのお庭である吉祥寺を探索しておりました。
 
いろいろとお店を見たり、買い物したり、人間考察をしたりと、ぶらぶらしていると、献血のお願いをしていたので、久しぶりに献血することにしたのです。
受付票を記入し終わると、なんと5年ぶりの献血ということでした。
そうなんですよね。
学生の時は武道に格闘技をしておりましたので、血を流すことも多いですが、血気盛んなので、ことあるごとに献血して血を抜いて調整していたくらい献血し、サラリーマンになってからも献血日を過ぎると献血していたのに。
 
それが出家してからは、生活にゆとりがなくなり、献血どころではなくなっていたのです。
献血をしながら、いろいろなことを振り返ることができ、愉快な献血時間を過ごすことができました。
 
そして大発見!
私は昔から血があまり出ない体質で、献血しても人の2倍くらい時間がかかっていたのに、今回は人並みに血が出るではありませんか!?
看護師さんに毎度の「いつも時間がかかるので気にしないで下さい」というセリフを言わず終い。
 
さて、この体質の変化は人生における何なのでしょうかね。
 
皆さんもたまには献血しましょうね。
誰かの命が救われます。
 
2004/06/02    やわらかい心
前回の軟らかい心を受けて、もうちょっと書きますね。
 
いろいろな社会問題が起きている背景には、心の問題があると評論家などは言いますよね。
心の問題って何なんでしょうね。
そして、問題があるのなら、答えがあるのですよね。
回答があるのであれば、見せてほしいですよね。
 
おっと、これが心の問題です。
 
答えがあるのなら見たい気になるのは、すでに心が硬直化している表れでしょうね。
心の問題というのは、心の柔軟さに欠けていることなんでしょうね。
だから、いろいろなことに応対することができなく問題になるのでしょう。
物事を感じるやわらかい心をもっていれば、それぞれのことに柔軟に対応できて、問題を解決すること、問題を保留すること、問題を回避すること、問題にならないことができるのでしょうね。
 
私たちは、赤ちゃんの頃、やわらかい体と心をもって生まれてきました。
それが時と共に、体は硬くなり、心も硬くなってしまいました。
そして、さらに硬くなると、命を終えます。
すなわち、死です。
肉体の硬直は肉体の死、心の硬直は心の死。
心身が硬直して、物事に対応できなくなることは死を意味します。
 
体が硬くなると怪我をしがちです。
心が硬くなると問題にあいがちです。
 
体を動かし、心を動かし、いつでも事に応じられるように、心身の柔軟体操しておきましょうね。
 
2004/06/01    諍い
先日会社で諍いがあり、その仲裁に入ったのですよ。
男同士の言い争いから、「ちょっと表に出ろよ」ということになってしまったので、武道派としては仲裁に入ろうと思い身を挺しゆきました。
 
まぁ、内容については記載しませんが、お互いの主張の違いから起こった出来事でした。
 
そう、私たちは主張したいことがある時には、その想いから思想が硬直化せざるおえないのですよね。
普段は心が柔軟であっても、そういう時は心が硬くなってしまうので、お互いの心が硬い時はぶつかり合ってしまうものです。
 
そういう時でも、どちらかが柔らかい心であったら、諍いにはならずに済むのですよね。
だから、私がお互いの硬くなってしまった心の緩衝体となるように、柔らかい心で素直に間に入ることで、お互いの硬くなってしまった心を受け止めようとしたのです。
もし、事が争いになっても護身術で制止しようと、心身の両面からの二人の間に入りました。
 
心に角があると、何事にもぶつかることがあるでしょう。
心が丸かったら、何事にもスムーズであることでしょう。
 
心が硬いと、ぶつかり合って壊れることもあります。
心が軟らかければ、受け止めることができるのです。
 
丸くて軟らかい心を持ちたいですね。
 

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Last updated: 2005/2/1