つれづれなるままに

 
気まぐれなるままに綴る
感じたこと思ったことなどを書いています。
 
感じ方は人それぞれですから、
適当に(さらりと)考えて、
ご自分の気づきや学びにして下さい。
2004/09/30    コンパス
今日は分院で取材を受けておりました。
この書籍の正式名が決まりましたら、infoにて紹介するようにしますね。
 
今回は僧侶ということでの取材でもありましたし、ここに至るまでの経緯や、心にある想いについて熱く語っておりました。
この語り方(僧侶らしく穏やかに?)について、帰りの車内で自己反省しながら、今までの道のりについて考えました。
 
人生には、いろいろな分岐があり、様々な選択肢の中から、私たちはあちらこちらに進みますよね。
その進み方もまちまちで、時勢に応じて進む者あり、慎重に考えて進む者あり、インスピレーションで進む者あり、何も考えずに流される者あり、いろいろです。
そんな様々な選択肢の中から、夢を持つ者や、目標がある者たちは、心に目指すべき方向性を備えているので、道に迷うことが少ないかと思います。
たとえ道に迷ったとしても、コンパスの指し示す方向に道がないだけで、どの道を行けば目的地により近づくことができるのかという迷うのであって、どちらに行きたいのかも分らない迷いではないのです。
心にコンパスを持つ者は、道を遠回りしつつも、引き返したりしつつも、行くべき方向に向けて歩みを進めるのです。
そうして歩み続けるからこそ、行くべき道に辿り着くのだし、行くべき道が開けるのです。
 
心にコンパスを持っていても道に迷い歩みを止める者がいます。
頭で考え悩み、歩みを止めています。
 
あなたのことです。
 
止まっていてもコンパスの示す方向は変りませんよ。
 
歩みなさい。
 
いくら考えても道は変りませんよ。
 
道は歩まねば変らないのですよ。
 
歩んだ先が違っていたとしても、その先に道があるなら、進んでみるのも善し。
歩んだ先が違っていると思ったら、一つ前の選択肢まで戻る善し。
 
とにかく歩みなさい。
 
 
 
ちなみに、私のコンパスは実は二つあります。
 
「動物と人がより良く暮らす」
「人格の形成」
 
この自らの望む人物像と社会が私のコンパスです。
動物たちと一緒に暮らすことの幸せのお手伝いをしたくてペット用品の販売に勤め、企画やイベント・広告・メディアを通じて、人の動物や自然に対する人の心のあり方を変えるべく広告代理店に勤めてきました。
今は僧侶として、悲しみという死を越え、“出逢えてよかった”というより良く暮らすための道を示すべく歩んでいます。
 
2004/09/19    記念日
先日、学生の頃に行なっていた空手(異種格闘技戦)の試合の前日の写真を見ました。そしたら、筋肉の鎧で覆われていて素晴らしいBodyをしているではありませんか。今はともかく…
月日の流れるのは早いもので、そんな頃の肉体も変化してきて、過ぎた歳月を実感するしだいであります。
 
でも、変っていなものもあります。
(まぁ、題名からして、おわかりですよね。)
 
この写真の頃には、もう妻と付き合っておりまして、今日は付き合って13年目の記念日にあたります。
 
そこで、私からの贈物についてです。
 
 
お寺の作りは古く、あちこちにボロがでてきており、前々から直そうと思っていた台所の天井全体を直し、記念日に贈る妻への感謝として“より快適なキッチン”をと思っておりました。
もちろん、お金が無いので大掛かりなことはしてあげられませんから、システムキッチンなどは用意してあげられませんし、業者に頼んでリフォームというわけにもいきません。
そこで、前日から天井の改修を自分で行なっておりました。
 
村の班長ということもあり妻は神社の行事で今日は家を留守にしており、私は自宅供養でお寺を留守にするので、子供たちは義父のお寺に預けておりましたから、今回の計画は、供養の帰りにあちこち寄り道をしていろいろ買い揃え、みんなのいない間に台所を完成させて驚かそうというものです。
 
夕方になって妻が帰ってきたのですが、まだ準備が整っていないので、子供たちと一緒に見て欲しいから、子供たちを迎えに行くように頼み準備を整えました。
 
やっと、掃除に至るまでのすべてが終わり、疲れ果ててソファーで休んでいるとみんなが帰ってきました。
 
そうしたら、子供たちが一人ずつ、私の好きなものをくれるではありませんか。
「今日は記念日だから、はい、お父さん」と言って、
一番上の子はグリコのプッチンプリン
二番目の子はグリコのカフェオレゼリー
三番目の子はグリコのカフェオレアイス
を一人一人からもらいました。
 
私の大好物ばかりです!
 
 
そして、次は私の番です。
扉を開けると「うわ〜きれい」と感嘆の声に続き、子供たちが、
「あーテーブルにケーキがあるぅ!」
「あっ、綺麗なお花もあるよ!」
それにつづき、
「あ〜このマットきもちい〜」と、キッチンマットの存在に気づき、
「お母さん、これかわいい〜!」と、カントリー調のコーヒーケースを見つけ、
まだある違いを「あとはど〜こだ?」と“発見ごっこ”をして遊びながら、サプライズな贈物をしました。
 
夕食時に、妻が私の贈物に対して、自分の贈物が不釣合いと言っているので、お互いに想っていることをしたのだから、お互いが正しいことであって、比べることではないと考えを正していると長男が一言。
「いろいろプレゼントもらえて、お父さんはお母さんのこと大好きなんじゃないの!」
と言うので私は、
「そうだよ!お父さんはお母さんのこと会った時からずっと大好きなんだよ!!」
 
ということで、肉付きは変りましたが、心は変っておりません。
 
2004/09/11    大人心と子供心
先日、子供3人を連れて電車に乗った時のことです。
車内は空いていたので、子供たちとみんなで座っていたのですが、都心に向かうにつれ混みあってきましたので、長男を立たせて席を空け、老婦人に席を譲るために次男を立たせて声を掛けました。
 
すると、次男に
「まだ、お婆さんでないから、どうぞ座っていていいのよ」
と言うのです。
 
次男はキョトン?としていました。
それなので、私も一言添えて
「2つ先で降りますから、どうぞお座り下さい」
こう言ったのですが、
「まだ健康なので子供を座らせてあげて」
と言われたのです。
 
そう言われたので、
「すみません。ありがとうございます」
と言って次男を座らせました。
 
 
さて、ここで問題となった心をちょっとのぞいてみましょう。
 
次男は5歳ですが、お婆婦人に席を譲ろうとしました。(私に言われたにしても)
お婆さんは、年に見られたくないのか、子供に譲ってくれたのかは判断できませんから、行為だけを見ることにします。
でも、善いことをしようとして断られた次男にしては、何のことやらチンプンカンプンですよね。
私からは「立ちなさい」、老婦人からは「座りなさい」では、何をしていいのか迷ってしまいます。
だから、私が一言添えるのですが、それでも譲られたので、私は「席を譲ること」という行為を、相手から譲り受けることにしました。
 
これで会話と行為は成立しますが、私が善意の押し売りをしていたら、「譲るvs譲る」という大人心が更にぶつかり合い、行為が成立しなかったのでしょうね。
 
若く見られたかったのか、子供に座らせてあげたかったのかは、判断に困るところですが、行為だけを見ると、譲られたことを、断ったことになります。
このままだと、行為が完結しませんから、私は断られたのではなく、さらに譲られたこととして、感謝を述べて受け入れることで行為を成立させたのです。
 
 
何か忘れてはいませんか?
大切な何かを?
 
 
この時の「譲る(与える)」という行為は、誰かに何かをするという大人の心です。
そして、「受ける(もらう)」という行為は、誰かから何かを受け取るという子供の心です。
 
若く見られたかったという前者の場合はともかく、大人は大人のように振舞うもので、子供は子供のように振舞うものと囚われ、何かを与えるという行為は強者から弱者へ、大人から子供へ、という囚われがあります。
 
大人であれば、大人のように振舞うのですから、本来であれば、譲られた善意を受け入れてあげることが、子供に対する大人の在り方なのではないでしょうか。
子供であっても、大人の心を示しているのですから、それを大きな心で受け止めて、「若く見られたい・譲ってあげたい」ではなく、大人であっても素直に子供心で受け入れてあげるということが、真の大人心というものです。
 
 
今回は、このような場面でしたが、みなさんも日常で、このようなことしておりませんか?
相手に大人心を示されたら、素直に子供心で受け入れ返すことです。
それを、変に大人心で返してしまい、ぶつかることありませんか?
 
素直という、子供たちが持っている心を、忘れてきていませんか?
2004/09/06    グッドガールコンプレックス
女性の陥りやすい問題として、アメリカの心理学者が記した本にグッドガールコンプレックスというものがあります。
これは、女性の多くが小さい頃からの躾で、親の言いつけを守ることや、周囲の期待に沿うことを求められる習慣の中で、自分の意見や感情を抑えてしまい、周りの目を気にして行動するようになるというものです。
 
いわゆる、いい子を演じてしまうのですよね。
 
その結果として、いい子としての評価から大事にされ、自分のしたいことを抑えて、周囲の意見に沿って行動するので、自分に自身が持てず、人がどのように自分のことを思っているかで自分を評価するので、周囲の視線が気になって仕方ありません。
 
そして、自分の意見と異なっていても、いい子(いい女性)というイメージを傷つけたくないので、ついいい子(いい女性)を演じてしまい、心に反した、どこか嘘のような生き方をしてしまうというのです。
 
いつも他人の評価を気にしてばかりの自分が嫌であるにもかかわらず、変えられない自分との間で、どうしたらよいのか分らなくなってしまうことないですか?
 
そんなあなたは、グッドガールコンプレックスですよ。
 
そろそろ、他人の期待に応えて疲れる人生から卒業して、自分を生きてみてはいかがですか?
 

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Last updated: 2005/2/1