つれづれなるままに

 
気まぐれなるままに綴る
感じたこと思ったことなどを書いています。
 
感じ方は人それぞれですから、
適当に(さらりと)考えて、
ご自分の気づきや学びにして下さい。
2004/11/24    体感は人ぞれぞれ
この時期もそうですが、屋外と室中との温度差があるから着る服を選んで外出しなければなりませんよね。
私の働いている会社でもエアコンが完備されているのですが、人によって、場所よって、温度差があるのか、調節パネルをそれぞれの人が上げたり下げたりしています。
 
ちょうどパネルの近くにデスクがあるので、誰かが来て温度を上げると、次には他の人が来て温度を下げ、さらに異なる人が温度を上げにくるのです。
そうやって、エアコンの温度を上げ下げしている割には、天井付近の小窓が開きっぱなしになっていますし、タバコを吸う人がベランダの窓を閉め忘れています。
 
そして、いつも思うのです。
 
上げ下げしていることもイタチごっこで意味がないですが、そもそも根本からなっていないですね。
無駄です!!
暑いなら脱げばいいのに、寒いなら着ればいいのにね。
気持ちは分かりますが、わがままだなぁ〜といつも思うのです。
 
確かに外に出れば寒いですから厚着してきますので、会社にいると適温になっていても暑く感じて温度を下げるのでしょう。
寒がりの人は室内が適温であっても、デスクワークで歩いているわけではないので、寒くなってきて温度を上げるのでしょう。
 
人の体感や感覚というものは、人それぞれですから、こう感じなさいとか、こういうものですということを強制することはしませんが、ちょっとは考えて対応すれば済むことなんですけど、私たちは、そのちょっとのことをするのが嫌だったり、苦手だったりするのですよね。
 
でも、この些細なことは、実は重要なことであって、いつも自己中心的で周囲の環境を変えよう支配しようとしていると、変わらないことから大きなストレスを抱えることになるのですよね。そして、それが気になってしまい、自己中心的なようでいて、実は周囲の環境というものに振り回されているのです。
 
それとは反対に、着て来る服装を考え工夫することができる人は、周囲の環境によって自分を変えることができる人です。aにはAを、bにはBを、と対応しているのは、環境に振り回されているのではなく、自己実現のできる主体的な人ですよ。
 
このことは些細なこと(地球環境から言えば些細なことでは済みませんが)ですが、この両者の間には、生き方において大きな差が出てくるのですよね。
 
この感覚のちょっとした差が、幸福感や安定感など人生を占める大きなものへの繋がってゆくのですよ。
 
あなたはどちらの人ですか?
2004/11/23    1ヵ月
先月の大地震から今日でちょうど1ヶ月になります。
 
子供たちには地震の仕組みはよく分からないようで、地震は台風のように過ぎてゆくものだと思っているようです。
だから「もう地震来ない?」「地震どっかいっちゃった?」と聞いてきます。
(こういう感性ってすごいなと思いますね。)
 
こんなとき、地震のことを少し話してあげるのですが、私も幼き時に思っていたように、地面の下に大きなナマズがいて揺らしていると思っているようで、イマイチ話をしてもわかりません。
 
そんな時に私は子供たちに、
「そうだねえ〜地震は大きなナマズが暴れているのかもしれないね。地面の下にマントル(多少事実を踏まえて)という大きなナマズがいるのかもしれないねえ〜。そのマントルはたま〜に、怪獣みたいに火を噴くこと(噴火のこと)もあるんだよ。」なんて、
いろいろ話したり、質問に答えたりしています。
そして、「地震さん、もう来ない?」と聞くので、「地震もう嫌だ?」と聞き返しました。「うん!どうやったら地震来ないの?」と聞かれ、
「地震さんはさぁ、忘れた頃にやってくるんだよ。みんなが地震のことを忘れると、思い出してほしくなって揺れるんじゃないの?」
「地震で命があっただけでもよかったって思うでしょ、ご飯が普通に食べられることっていいことでしょ、お家があって、お風呂に入れていいでしょ、こういういつもの生活のいいことを忘れて、物を大事にしなかったり、あれ買ってこれ買ってばかり言っていると、地震さんは、あの子はいつもの生活の幸せを忘れちゃったのかな?揺れてあげないと思い出さないかあ?と思って、揺れちゃうのかもよ。」
と言って聞かせます。
 
「みんながいつも仲良く楽しくしていれば、来ないと思うよ」
「もし、来たとしても、もう小さいのしか来ないんじゃないの?」
などとね。
 
 
一ヶ月が過ぎで地震は少なくなってきましたし、揺れも小さく短時間のものになってきましたので、警戒はしながらも安定してきたようです。
子供たちの心(妻もかな)には大きな恐怖としての傷を残し、ちょっとのことでも心配になり、不安で眠れないこともあり、かわいそうになります。
 
地震の恐怖を忘れることも一つですが、それを知るのも一つです。
2004/11/17    内緒の話は内緒にできない
先日、「ここだけの話だけど・・・」と、ある話を耳にしました。
話してくれた人も内緒の話として聞いたはずなのでしょうが、私に内緒の話をしてくれました。(おかしな話ですよね。)
 
なぜ内緒にできないのでしょうね?
 
私なら話すことはないであろうと信用されてお話されるので、私は内緒のままで終わってしまい、私の中で完結してしまうから、話が発展してゆきません。
 
でも、どうして内緒にならないのかと考えました!
 
自然の法則からすると、『異質のものは交わらず排斥する』という原理があります。
水と油が交わらないように、磁石のS極とN極が反発するように、体に悪い病原体は免疫によって排除されるように、性格の合わない者通しは相容れないように、異質のものは排除しようとするのが自然の理なのですよね。
そうすると、内緒の話というものの性質上、意外な事柄であったりしますから、自分の思考とそれが異なるものであれば、排斥しようということになり、私たちは誰かに話すのでしょうね。
そして、排斥するだけではなく、同じ情報を共有するという安心の作用も働くことでしょうから、尚更、内緒の話というのは内緒にすることができないのですよね。
 
そういう状況下にあっても、内緒の話を内緒にすることができる人がおります。
そういう人を私たちは信用のできる人といいますね。
 
このような人は、信条としての律儀さもあるでしょうが、その事柄が意外なことであっても理性で受け止め解釈することができる人であったり、その事柄が意外なことであっても感性でもって同情し許せるような寛容な人であれば、その内容が相容れないものであっても、相容れないものとして保管することができるのでしょう。
 
信用とは信仰に通じることでもあって、信用できるような人の理性・感性にあるように、信仰できるような者にも同じことが言えるかと思います。
信仰の対象とされる神や仏は、その豊かな智慧で起こった事柄だけではなく、その背景にある思考を理解して、“そういうこともある”と解って下さり、その広い心でもって奥に秘めたる思いに慈悲をめぐらし、“そんなことがあったのか”と許してくださるのです。
 
いわば、信用できる人とは、小さな仏さまなのでしょうね。
 
 
なかなか内緒の話というものは、噂話と同じように、話に尾びれが付いていて、とかく人の間を行き交うものかもしれませんが、話をするなら、利害関係のない第三者にするか、信用できる人にするか、神仏の前にて語るのが宜しいのでしょう。
 
 
そうそう、内緒の話や心に秘めている事柄などは、「大様の耳はロバの耳」の童話にあるように、話すことができると心がスッキリしますよ。
 
話してみてください。
2004/11/11    いけないんだぁ〜
今日、会社に出勤するときに、ファミリーレストランから出てくる家族の光景を見かけてガックリしてしました。
 
父親がレストランからタバコを吸いながら出てきて、その灰を駐車場に落としていると、
子供「だめだよ〜ゴミになるよ。」って素直に言いました。
父親「これくらい、何でもないんだよ」と、タバコの灰くらいは捨てていいのだと言って聞かせています。
その後、吸い終わったのか、車に乗るからかは分かりませんが、タバコを排水溝に捨てたのです。
すると、子供が
「いーけないんだ♪いけないんだ♪ご〜み捨てちゃいけないんだ♪」と歌いながら父親を注意しておりました。
そして父親は開き直ったかのように、
「いいんだよ。これくらい。ここに捨てる分にはいいんだよ。」
子供に言っていました。
 
私は一連の様子を見聞きしながら、最初の子供の一言に心で、「そう、そう!」と、父親の返答には「いけません!」と、そして、2度目の歌の後には、「か〜み様に言ってやろ」と続き、父親の返答には「そこに捨ててもいけません!!車に灰皿あるでしょが!」と心の中で言って過ぎ去ってしまいました。
 
なかなか注意することなんてできませんね。
 
 
子供は素直だからゴミを捨てる様子をみて自分なりに注意したのですが、父親は分かっていても、子供に注意されたことと面子からか、それに取り合わず、「これぐらいいいんだよ」と、うるさい虫を払うように子供に言っていました。
さて?これくらいって、どれくらい?なんでしょうね。
 
タバコの灰ちょっとと、下水溝への吸殻1本のことなのでしょうが、みんながそうしていたら、どれくらいのことになるんでしょうということが話の終わりにくると思っていませんか?
それでもいいのですが、私はゴミを捨てる行為そのものによる現在の害よりも、そういう親を見て育つ子供の道徳と将来に対して物申したいですね。
 
これでは、せっかく学校で教わったことも無駄になってしまいますよね。
 
あなたにとってのこれくらいは現在ではこれくらいのことでしょうが、この世界を引き継ぐ者たちにとっては、これくらい*時間の積み重ねになり、これくらいは大きなことになってしまいます。
これが地球環境問題の根本的な原因になるんです。
 
また、素直な子供の道徳心を曲げるでない!
いい素質を摘んでしまうから、社会が狂っていくのですよ。
あなたを手本にして育つ子供たちにとっては、それが普通になり、さらにこれくらいということを平気でする大人になってしまうのですよ。
あなたがしたことは、あなたが普段思っている
『最近の若い者は…』
という種です。
 
あなた自身が撒いているのですよ。
何時ぞやかに撒いた、「これくらい」の種があちこちで育ち、社会を形成するのですよ。
 
これくらいは、これくらいでは済みません!
 
小さなことからコツコツと。
by西川きよし
2004/11/10    心配
先週から平日は東京に出てきて働いているのですが、こちらにいるときに大きな地震があると心配でなりませんね。
だから、妻には地震があったらとにかく携帯にメールをするようにと約束をしており、安否や状況、震度などを伝えてもらうようにしております。
昨日もそうですが、深夜会社で働いていても、メールが鳴るんですよ。
ドッキッ!!としますよね!
すると、
「いまのは震度2かな」
「今度は大きくて、3か4」
「あっ、またきた。2だね。」
「今のは大きいよ。4以上だよ」
というように、毎晩のように地震があり、おちおち寝れないようで、かわいそうになります。
寝ていても見る夢が、後片付けや修復している夢では、夢から醒めても気分が重たく疲れたような感じですからね。
 
この晩の地震は、震度5弱だったということを後から聞いて、生活のためとはいえ、離れていることが切なくなります。
 
昨夜の地震では、子供も起きてしまい、怯えていたようなので、会社から携帯に電話して話をして落ち着かせるようにしましたが、大震災となると電話は不通になってしまいますから心配になりますね。
 
もう、こうなってくると、心配とか、可哀想とかよりも、地震そのものに腹が立ってきますよ。
妻を不安にし、子供たちを怖がらせおってからに(−_−メ)
 
 
昨日までに震度4以上の地震が55回、うち15回は震度5以上のものですからね。
体に感じる小さな余震も含めると何百回ですからね。
これでも余震?
いったい?どうなっているのでしょうか?
2004/11/08    またまた地震
毎日のように小さな余震(震度3くらい)はありますが、今日の午前中に震度5が立て続けにあり、この地震の余震なども含めると、1時間近く体に感じる揺れがありました。
いったい、いつになったら地震終わるのでしょう?
 
今日もラッキーなことに家族一緒にいる時にありましたので、みんなを抱えて護ることができました(次男は風邪で幼稚園を休んでいましたので)。長男は学校で、校庭で2時間避難していたそうです。地震の度に子供たちは怖がっていますので、可哀想でなりません。大きめな地震の後は、居間から離れる際は許可を得てから移動しており、子供たちがどこにいるかを確認しながらの生活で、私たちの元を少し離れることすら怖がっていますからね。
家にいる時は一緒ですからいいのですが(どっちかいいかは本当のところわかりませんが)、登下校時や東京に行っている時では、この身では護りようがないので心配です。
これだけ地震が多いと、どこにいても安全な所はなく、震源の位置と大きさ、居る場所と時間によって、何が起こるかわかりませんからね。
子供たちの友達でも、地震によって怪我をした子たちは、地震が怖くて学校や幼稚園に行きたがりませんからね。可哀想でなりませんよ。
 
テレビなどの報道では、強靭なスタジオからですし、震源からも離れているので、あまり怖く感じないのでしょうが、家にいると震度5になると棚のものは落ちてきますし、音や揺れが大きいから怖いですよ。
 
この地震を報道では余震と言っておりますが、揺れている私たちからすれば、地震ですよ!
もう、毎日のように地震を肌で感じていますから、余震なら最初から横揺れですから分りますよ。
でも、今回といい、前回といい、最初は地面から突き上げるような縦揺れから始まり、その後横揺れになりますから、地震と余震を区別してほしいですね。
時や場所、頻度が異なれば、余震とは言わないのですから、頻繁にあるからといって、すべてが最初の余震ではないように思います。
また、日々の地震で震源地も少しずつ北上しているように震度などを見ていると感じますし、日に日に家の揺れや音が同じ震度でも酷くなっているので、何度も何度も大きな地震があると、不安になってきますね。
(私は楽観主義者なので、家族の命さえ無事であれば、ほとんどのことは気にしませんけどね)
 
いったいどうなっているんでしょうね?
気象庁の推測くらいでしたら、誰でもできますよ。
 
この地震で、本堂のものはいろいろ倒れ、これでは直しても直してもイタチゴッコです。
さらに、壁は落ちるし、ひび割れたり、隙間ができたりで、屋根裏の荷物は降ろし2階以下に掛る重さを軽減させたものの、これですからね。
多くの家庭がそうでしょうが、大雪が降ったらどうなってしまうのでしょう?

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Last updated: 2005/2/1