つれづれなるままに

 
気まぐれなるままに綴る
感じたこと思ったことなどを書いています。
 
感じ方は人それぞれですから、
適当に(さらりと)考えて、
ご自分の気づきや学びにして下さい。
2004/12/30    年末
合掌。
 
ついに年末になってしまいましたね。
まだまだと思っていても、いつのまにか月日が流れ、今日になってしまいました。
 
皆様の今年はどうでしたか?
 
 
私はいろいろと経験した年になりました。
水害・台風・地震と、災害の年と言ってもいいような年でありましたが、そのおかげで多くのことを体験し、多くのことに気がつき、多くのことを学びました。
 
同じように、今年はどうでしたか?と聞かれたら、これだけ災害続きだと、災難な年と言いたくもなりますが、どうでしたかと聞かれたら、『有り難い、感謝の年でした』と答えましょう。
 
多くの皆様に支え励まされ、見えない者たちからも御加護をいただき、「有り難い」ということがどれほど素晴らしいものであるかということを確認させていただき、皆様に感謝、感謝、感謝の年でありました。
 
皆様、仏様、今年はいろいろと支えていただきまして、ありがとうございました。
心よりお礼申し上げます。
 
 
皆様、仏様の来年が良い年でありますように、感謝の心でお祈りいたします。
 
まだまだハナタレ小僧で、なかなか悟り(差取り)の域に安住しない私ですが、これからもどうぞ宜しくお願いいたします。
 
九拝。
 
 
2004/12/26    信じる
クリスマスのことなんですが、お寺だからといっても関係なく、私はしてあげたい・したいことをしますので、我が家はクリスマスありです。
子供たちには関係ないし、信じるということはいいことだし、夢や目標・目的があることはいいことだし、宗教に囚われることは必要ないし、楽しいことはいいことだし、いいことはいいし、してあげたいこと・したいことを心に遵ってするまでです。
 
ちなみに、サンタさんを信じられなくなったら、その時から私たちからの贈り物はなしで、みんなでプレゼント交換して、パーティーして楽しく過ごすことになるでしょう。
 
それにしても、うちの子のクラスの半数以上の子たちが、サンタさんは存在していなく、プレゼントは親がくれるものだと思っているそうで、なんだか寂しいことですね。
 
信じることって、とても大事なことなのに、小さな頃から何者かを信じるということが少なくなっていって、感じることが少なくなってゆき、目に見えるものだけが世界になってゆき、世界を小さくしてしまうのでしょうね。
 
世界は、目に見えるものと、目に見えないものの相関性で成り立っているものなのでしょうに、その半分が信じられないのですから、世界は狭いでしょうし、一つのことから多くを学ぶということも少なく、気づくということも少なくなっていってしまうのでしょうね。
 
そうなってゆくと、人間関係もずいぶんと変わってくるでしょうね。
相手の心を思いやるということは、できないことになってしまいますし、相手の言うことすら信じられなくなってしまうのですからね。
 
「信」という字は「人の言うこと」という構成になっていて、仏教でも儒教でも重んじられる教えの一つであるように、“嘘をついてはいけない”という教えの一つです。
 
この前提がないと、私たちは社会生活が成り立たなくなり、他者との関係を保つことができませんから、一人で生きることのできない人間にとっては、「信」が失われることは、死につながると言っていいほど大事なことなのです。
 
信じる心を失うということは、信心を失うことであり、目に見える見えないを問わずに疑心が伴い、信頼することができずに不安が付きまとい、見えるものまでも見えなくなり、信を失うことで、一緒に心をも失いかねません。
そうして世界が曇ってしまっては、幸せが薄くなってしまいます。
 
目に見える者でもそうですが、期待や信頼されると、それに応えようと思うように、目に見えない者も同じで、信じてくれている者の期待に応えようとするものですから、目に見える見えないは、この際問いませんから、信じることをはじめましょう。
 
そう、まずは、自分を信じてみましょう。
 
あなたに期待され、あなたに信頼されたら、あなたの信心は期待と信頼に応えようと、あなたに力を与えてくれることでしょう。
 
自分を信じることが、自分に力を与えてくれるのですよ。
 
さあ、今からできることですよ。
2004/12/25    サンタさん。
我が家にサンタさんがやってきました!
 
子供たちが朝起きると、枕元になにやら贈り物がありました。
長男と長女はプレゼントを持って大喜びしていますが、一人、大泣きしてやけくそになっている子がいます。
先日のクリスマス祭にやってきたサンタさんにお手紙を書いてプレゼントをお願いしたのですが、それとは大きさが違うようで、包みを開けずに大粒の涙を流しております。
 
その後、長男が代わりに包みを開けて見ると、図鑑と英語で書かれた一通のカードが入っておりました。
 
流暢な英語で書かれているカードを妻が訳してみると、
「一昨日お手紙をもらった時には、最初にお願いされた贈り物を持ってフィンランドを出てきましたから、新たにお願いしてくれた物を持ってくることができませんでした。
お父さんとお母さんに私(サンタ)からお願いがあります。
私の代わりに、願いを叶えてください。」
と記してあるではありませんか。
 
(後日、サンタさんのお願い通り、おもちゃ屋さんで買ってあげました)
 
みんなが欲しがっていた図鑑(昔の生き物・爬虫類両生類・動物)で、さっきまで泣いていたのはどこへやらで、みんな興奮して見せ合っておりました。
 
ちなみに、妻はディズニーのボードゲームセットで、みんなでお正月楽しめるような物をお願いしますという、願いが叶って、私は、みんなに素敵な贈り物をお願いしますという願いが叶って、みんなにプレゼントがありました。
よかった〜!
 
私が何故このようなお願いをしたかというと、長男は小学2年生ということもあり、学校でサンタなんていなくて、プレゼントをくれるのはお父さんだと疑っているのです。
本心からではなく、自分ではいると思っているのに、友達がそういうもんだから、無理してそう言っているのですけどね。
それで、「信じていない人にはプレゼントなんでないんだよ」と言うと、「信じていないからいらない」というのです。
だから、今年からは長男はクリスマスプレゼントなしにしよう(信じることの大切さを教えるためにも)と思っていたのです。
 
でも、当日の朝にきっと平気とは言っていてもショックだろうから、私のお願いをこのようにすることで、信じたいのに、周りの友達に影響されて無理している長男にも、同じくプレゼントがあるようにしたのです。
 
かくして、サンタさんは、私たちに、子供たちの笑顔と素直さを与えてくれました。
 
これが、私たちの願ったことで、ちゃんと叶ったので、サンタが誰であっても、願いは願いは叶いましたね。
 
 
ちなみに、当日私は東京に居りましたし、お母さんにもプレゼントがあったので、サンタさんからの贈り物と信じているようです。
2004/12/23    クリスマス祭
今日は次男の幼稚園のクリスマス祭でした。
でも、私は東京で行くことができませんでした。
前日の夜勤が明けて新幹線で向かえば間に合うのですが、震災の影響で新幹線は一部代行輸送のため、朝一で乗っても間に合いません。
 
次男の聖劇の勇姿(ヨゼフ様役)を直接見ることができないのが残念でしたが、さらに残念なことがありました!
私はこちらの方が見たかったかも!!
 
それは。
 
クリスマス祭の終わりに幼稚園にサンタさんがやって、園児たちにプレゼントを渡すイベントがあるのです。
このイベントに来るサンタさんに次男はお手紙を渡すべく、前の日に手紙を書いていて、そっとポケットに忍ばせており、いつの間にか手渡していたようで、妻もまったく知りません。
 
サンタさんが入場してきてから、園児たちに挨拶するときに、先生から、
「今日はサンタさんにお手紙が届いております」
と一言あり、外国人の扮するサンタさん読もうとすると、
「おいらは・・・」
妻は“おいら”と聞いて、うちの子だ!とすぐに分かり、面白いやら恥ずかしいやら愛しいやらで聞いていたそうです。
 
内容は、
「おいらは、ガンダムシードの???の3体セットが欲しいです。 仁より。」
この手紙を読み上げると会場は大爆笑だったそうです。
 
いやー、ヨゼフ役よりも、この光景を見たかったー!
この場面は予想していなかったようでビデオに撮っていません。
残念!
 
さて、次男の請願はサンタさんに届くのでしょうか?
2004/12/21    順番待ち
今日はクリスマスプレゼントを探し回るついでに、新幹線の回数券を買いにチケット屋さんに寄りました。
そのとき、前にお客さんがいて店員さんと話をしていたので、終わるまで待とうと後ろで待っておりました。
 
そのお客さんが長くて、私の後にも、その後にも、お客さんが来てカウンターを覗いたりして待っておりました。
 
前のお客さんの用事が終わったので、「あの・・」と話しかけると、同時に後ろの人も店員さんに声を掛けました。
すると、店員さんは「お先にお待ちのお客様からどうぞ」と言うので、私かと思って話しかけようとしたら、ちょっと先に後ろの人が話しかけて私は後回しになってしまったのです。
 
その時に、“おい、チョッと!”と思ったのですが、“まぁ次でもいいや”と待っていると、後ろの後ろの人は次は自分の番と思ったのか、後ろの人が話し終わるとすかざず店員に話しかけて私は最後になってしまい、思わず笑ってしまいました。
 
おかしいのもさることながら、おかしな修行させてもらえて、ありがたい人たちだなぁと思えたら笑みがこもれました。
 
修行というのは、布施行のことです。
私に順番を譲るという、布施行をさせてくれたのです。
だから、順番を越されたことに怒るのではなく、順番を譲ることができたことに感謝するのです。
べつに誰かから感謝されるわけでなし、その見返りがあるわけでないのですが、なかなかできないことができたことと、そういう縁を与えてくれたことに感謝するのです。
 
今回は、順番待ちという我先という煩悩を手放すことができたという布施行でした。
 
 
ちなみに、お布施というのは僧侶が頂くお金や物のように思われていますが、本来は修行のことで、お金や物を手放すことができない執着という煩悩から、この機会に手放すことができたという感謝の印として、今手放せる分を手放すことから、いくらというような決まりがないのです。
 
2004/12/18    視点
先日、子供たちに見せようと思って、蜘蛛の生態についてのテレビを録画しておいて、子供たちに見せてあげました。
すると、いろいろな蜘蛛の種類や生態、不思議な能力に驚いておりました。
なんで、そんなビデオを見せるかって?
 
それは、お寺には蜘蛛の巣が多くあり、子供たちと掃除していると、子供たちは「蜘蛛なんていなければいいのに。」というのです。
そんなときはいつも、
私「蜘蛛いない方がいい?」
子「そうりゃそうだよ。掃除しないで済むし、蜘蛛の巣着かないで済むし、気持ち悪いし、蝶が可愛そうだから」
私「そうだよね。それならいいよね〜。でもさ〜いなくなったらどうなっちゃうと思う?」
私「もし、蜘蛛さんがいなかったら、目開けていられないよ。蜘蛛がいるから、多くの小さな虫を捕まえてくれるんだよ。そうでないと、ご飯食べていても虫だらけだし、テレビ見ようにも虫だらけだし、歩けば目に入るし、話せば口に入っちゃうんだよ。それでもいいの?」
子「いやーそんなのやだ〜。じゃぁ、○○なら△△、□□なら◇◇になっちゃうよぉ〜!」
私「でしょぉ〜」
子「じゃぁ、掃除しちゃぁ駄目なんじゃないの?」
私「そりゃそうだ。あはは。」
などと話をします。
(さらに続きはありますが、ここまでにして)
 
そんな経緯があって、蜘蛛の立場で編集されているテレビを見せてあげて、蜘蛛の視点を見せてあげようと思ったのです。
まだまだ、理解するには難しいことなのですが、すべての命には役割があること、いらない命のないこと、見る立場によって物事が異なって見えることなどを伝えたかったのです。
 
この話にもあるように、視点によって物事は異なって見えるのですよね。
来客という視点で見ると、一生懸命に作った巣をみっともないからといって一払いしてしまい、必要という視点で見ると、迷惑なところにあっても巣を払うことができなくなってしまいます。
視点や立場によって、同じ出来事が全く異なってしまうのですよね。
 
私たち思っていることって?
私たちが見ている世界って?
 
よくあることですが、綺麗な蝶が蜘蛛の巣に掛かってもがいていて蜘蛛が近寄ってくる姿を見れば、私たちが思うのは、“蝶が可哀相”だったりで、人によっては助けてしまったりして、事実を歪めていますし、子供たちにも刷り込まれてしまいます。
 
ある一面からだけではなく、相手の立場や視点になって物事を見られるようにと、蜘蛛を見ながらちょっと自然の不思議でお勉強をしました。
 
あなたの視点、いつも自分で変えることなく、蜘蛛の巣張っていませんか?
2004/12/15    偉い!
先日、妻の体調が悪く朝から寝込んでおりましたので、次男を幼稚園に送り届けた後、長女(3歳)とスーパーでお買い物をしてきました。
 
私と長女で買い物となると、娘にはとっても弱いので、いろいろと好きなものを買ってあげてしまいます。(こういうとき妻とは反対ですね)
それを本人も知っており、お父さんと二人で買い物をすれば好きなものを買ってもらえるとニッコリ顔です。
そんなですから、入り口で小さな子供用のカゴを持って真っ先に行こうとします。
 
そのときに、
「ねぇ、お母さんが早く良くなるようにさぁーお花買っていこうよー」と持ちかけると、「しょーだね。どれにしよ〜かな〜」とお花を選んでくれました。
でも、、その後はすぐに、「おとーしゃん、これ持ってて」と花を渡され、さっさとお菓子コーナーに手を引っ張られました。
 
その後、お花とお菓子の袋を玄関の置いて車を止めてから戻ると、お菓子の袋だけが置き去りになっておりました。
するとお花をお母さんのところに持っていこうとして階段を上がっていたので一緒にゆくと、お花を妻に渡し、
「おか〜しゃん」“チュッ”として抱きしめていました。
 
もー!!親バカながら、偉い!!かわいい!!嬉し〜い!!
2004/12/11    そう言えば
そういえば、33歳になりました。
 
人生に経過報告する日がやってきましたね。
 
この日の早朝4時、本堂の真ん中で座禅をして、この一年の報告と、これからの一年のことを思いながら座っておりました。
 
冷たく澄んだ空気は気持ちのいいもので、澄んだ空気を体に取り込み、外にある自分でないものを自分の内にし、自分のものとした内なる空気を外に出して、内なる自分を他である外のものと一つにし、呼吸という動作を通じて、外と内、自と他、これらを一つにしてゆくと、外も内も、自分も他者もない、不思議な一つになってゆきます。
 
そうしたら、いや〜この一年もよく生きた、これからの一年もよく生きようとなり、報告なのか、目標なのか、何なのかということになりました。
その心境たるや、あるでもない、ないでもない、あるようで囚われず、ないようであって確かにある。
 
そう、生きるということをしよう!
それでよい!
 
生きているんだ。
なんとかなるさ。
 
自らの生き方を通じて見えない者たちに感謝を示すべく僧侶になったのだから、自分らしく生きているってことで、とってもいいことなんだ。
 
水害あっても生きている
台風あっても生きている
地震あっても生きている
 
そう!生きていることを、生かされていることを感謝するのが誕生日ですからね。
そういうことを五感で感じることができたことが、人生からの誕生日プレゼントですね。
 
この先、どうなってゆく存在なのかを楽しみに、自分という者を味わって行こうと思います。
 
まだまだ、はなたれ小僧ですが、これからも宜しくお願いします。
 
さて、この後は、家族と共に、誕生日を楽しみますか!!
2004/12/08    喫茶去
「きっさこ」と読みますが、聞いたことのある言葉かもしれませんね。
よくお茶の道で耳にする「お茶でもお召し上がれ」という意味になっていったのですが、本来は禅宗の有名な禅語で意味合いはちょっと異なります。
 
この喫茶去の由来は、中国の有名な禅師の言葉からで、この禅師を訪ねてきた二人の修行僧との会話からのものです。
 
ある僧が禅師を訪ねてきて、
禅師:「前にもここに来たことがあるのか?」
僧:「いいえ、来たことはありません。」
師:「喫茶去(お茶でも飲みなされ)」
 
他の僧が訪ねてきても、
師:「前にもここに来たことがあるのか?」
僧:「はい、来たことがあります。」
師:「喫茶去(お茶でも飲みなされ)」
 
そうした同じ会話を聞いて、付き人の僧が禅師に聞きました。
僧:「どうして禅師は、来たことのある者にも、来たことのない者にも、『喫茶去』というのですか?」
師:「喫茶去(お茶でも飲みなされ)」
 
これだけでは、なんのことやらでしょうが、禅宗とはこういうものなのですよ。
このままでは、お茶でも飲んで去りなさい、と誤解されてしまいそうですね。
 
これは禅の境地を指し示しているのであって、お茶を飲むことに、新参者も古参者も区別があるのではなく、どの道も真実に至る入り口は皆同じで、特別な入り口があるものではないのだから、皆に同じく『喫茶去』と言って、分け隔てをしない仏道の境地を示すものでした。
 
また、お茶を飲むときは、ただお茶を飲むことに専念し、他の事を思い煩うのではなく自分に向き合い、自分と差し出されたお茶と対峙して、自他同じという同時の心境と修行の心境を示す励ましの意味もあるのです。
 
これが中国に渡った僧から日本に持ち込まれ、武士道に通じ、茶道に通じ、いつの間にか「お茶でも召し上がれ」という意味になってきました。
 
まぁ、どっちの意味でも私は好きなので、よくいろんな人に「お茶でも飲みませんか?」と言います。
相談事や不安や悩みがあると辛いですからね。
お茶でも飲みながら、心にある思いを話してもらい、聞かせてもらうことで、その一時を過ごすこともできれば、その会話の中から何かが心に残り、その後を過ごすことができるかもしれませんからね。
 
初めて会う人にも、何度か会っている人にも、同じく分け隔てなく、真実に至る道を開いて、お茶を飲みながら、自分に向き合ってもらい、気持ちを分かち合い、自分のためにも、人のためにも、自他一如で言います。
 
私に何ができるということは分かりませんが、皆さんに言うことはできます。
 
「お茶でも飲みませんか?『喫茶去』」
2004/12/01    男って!?
一昨日のことです。
電車に乗っていると席が空いたので、座って読もうと空いた席に座りました。
座ってから少しすると、部活帰りのような隣の女子高生がウトウトしながら寄りかかってきました。
最初はちょっと気が付くように体を動かし、無言で“寄りかかっていますよ”を伝えていましたが、それに気が付き2度は恥ずかしそうに戻るも、疲れているのかまた寄りかかってきました。
今度は、疲れているんだなぁ〜と思い、肩を貸してあげて寄りかからせてあげました。
 
これが男性だったら、私は迷惑そうにして何度でも気が付くようにするだろうなぁぁと思ったら、密かに笑えてきました。
まったく!男って生き物は。いやいや、私という生き物は、お馬鹿だなぁと!
 
その後はどうしたかって?
 
あまりの寄りかかりようもあり、少しでも楽に寝かせてあげようと(ちょっと立派な言い訳にしていますね(笑))、本来降りる駅ではなく二つ先の駅まで肩を貸してしまいました。
(各駅停車でその駅でもバスがあることもありましたが)
 
それで席を立つときに、そっと「ごめんなさいね」と言って立ち上がると、女子高生は照れくさそうにしており、なんだかかわいいなぁと思いました。
 
 
本来降りようと思っていた駅ではなく、二つ先になってしまい清算しなげればならず、私という男は仕方のない生き物だなぁと思いました。
お馬鹿ですよねー
 

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Last updated: 2005/2/1