仏教の修行法に布施行というものがあります。
よく言う「お布施」ってものも実は修行の一つでして、人に金品でもって施しを与えるという、優しくなるための修行なんですね。
金品って、とっても自我の執着の強い物だから、こういう執着から離れることができるようになると、人生の様々な場面で思いやりのできる行動ができるようになってくるので、執着から手放すための修行であり、ひいては思いやりのある優しい人間になるための行いでもあるのです。
今では、お坊さんへの謝礼という程度しか意味が伝わっておりませんけどね。
先日、高速バス(座席指定予約制)で移動していると、私の座席にすでに女性が座っているのですよ。しかも、その人の本来の席にも荷物がいっぱいあって、座席を一人で所有しては寝ているのですよね。
これでは座ることができませんので、すみませんって声を掛けると、起きて荷物をどかしてくれたんですけど。。。
どかしてくれても、そこは私の席ではなくて、あなたがいる席が私の席なんでけど。。。
私はチケットの座席を見て、今日は窓際の一番後ろだからゆっくりと寛ぎながら移動できるぞ!と楽しみにしていたのですが、すでにシートを倒し、レッグシートに、フットシートまで出して、上着を掛けてお休みモードに入っているので、そこは自分の席であること、あなたは間違って座っていることを伝えることを止めました。
ほんとは、私がそのようにしていたかったのですけどね。
みなさんならどうしますか?
そこ私の席なんですけど。と言って主張しますか?
それとも、言い出すことができなくて黙っておりますか?
私の答えは、主張もしないし、黙ってもいません!
なぜなら、これも修行ですから。
仏教の修行法の第一に「人に施しを与える」という修行の布施行があるわけですから、私はこの女性に施しをすることにしました。
席を譲るという施しをね。
寛ぎを妨げるのではなく、そのままでいいよと何も言わずに施しをしました。
だから、主張もせず、黙っているわけでもなく、自らの意思として席を譲り、今日の私の座席はここだったのだということにしたのです。
私たちってなかなかこれができないのですよね。
そこは自分の席だっていいたくなるし、譲るにしても自分席と言いつつ譲ったりしますし、言い出せなければ不満が溜まるしで、どちらかを選んでしまいがちですよね。
でもこれなら、主張しないでもいいし、譲られる方としても気持ちがいいし、不満は溜まりませんよね。
だって、最初からここだったのですから。
まぁそもそも、この女性の方がどうかしておりますけどね。
座席を間違って座っていることはよくあることですからいいとしても、荷物を座席に置くのはどうなんでしょうね。
バスに乗る前は道路に置いていたものを座席に置いて、座席を汚しておいて、人にそこに座らせるわけですよ。
こういうことが理解できない人は可哀想ですよ。
こういう場面にあって席を譲ることは、まさに修行ですねぇ〜
床座施(しょうざせ)といって、寝床や座席を譲ってあげるという修行が仏の教えの中にはあって、今日は床座施という修行ができた有難い日だなぁ〜と今日の出来事に感謝しようと思う小坊主でした。
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