つれづれなるままに
気まぐれな日記ですから、日記ではないのかも。。。
思ったこと、感じたことを、さらりと書いてみます。
 
だから、さらりと読み流してください。
(特に誤字脱字をね!)



 4月23日   合同供養祭
今日は新潟の長福寺で合同供養祭を執り行いました。
 
お寺が小さいものありますが、年々ご参加の人があり、今回は午前と午後と分けるようにしましたが、それでもお寺は混雑してしまいますね。有難いことです。
 
参詣された方、読込みされた方、みなさんと共に心を一つにして想いを届けるようにお祈りさせていただきました。
 
みんな幸せな子たちですよ。
とっても幸せな子たちです。
 
亡くなって姿がないにも関わらず、大好きな想いは生前と変わらずに思われている子たちなのですからね。
 
そういうあなただから出逢うことになったのですよ。
 
そういうあなたと一緒に暮らせて幸せなはずですよ。
 
そんな優しいあなたになれたのは、みんなのお陰ですよ。
 
感謝しましょう。供養しましょう。
 
 
日時の都合がついて参詣してご供養された方々
日時の都合がつかなくて読込にてご供養された方々
みなさまの愛する者たちへの感謝のご供養と、
みなさまを愛する者たちからの幸せのご祈祷をさせていただきました。
 

 4月19日   あなたもしていませんか?
また、バスねたか?
 
そうなんです。
最近ね。特に出くわすので、もしかしたら、みんな気が付いていないのかなぁと思って記します。
 
高速バスって指定席で予約制なんですけどね。
隣の席が空いているからといって、よく自分の荷物を置いていることってありますよね。
隣の人が来たら、どかせばいいや程度のことなんですけどね。
 
でも、その後どこに置きますか?
だいたいの人が床に置くのですよね。
 
そうなんです。
床に置くような物を人の座席に置いているのですよ。
そして、そこに座りなさい!と言っているのですね。
 
バスに乗る前はきっと道路に置いておいた荷物なんですよ。
そして裏は汚れているにも関わらず、表に見える方ばかり見ていて、何も思わないのですよ。
 
私からすると、靴を置いてあるのと同じに見えるのですけどね。
 
もし、自分の座席に靴を置かれていて、人か来たからどかしてくれて、どうぞって言われたらどうしますか?
 
 
始発から乗る時も周囲を見ていると思うことはあるのです。
さっきまで道路に置いておいた荷物が座席に置いてあるのですよね。
 
何にも思わないのかなぁ。
人のことなら、どうでもいいのかなぁ。
 
この前なんか、ベンチがあるにも関わらず、ベンチの前の地べたに座って我が春を謳歌している子たちと一緒だったのですよ。
 
その子たちは、禁煙ご協力地域で、さっきまで吸っていたタバコをそこに捨てるのですよ。
そんなところに座って騒いでいるのですよ。
 
自分たちで汚しているところに座っていても平気なのかなぁ。
も〜理解不能です。
 
あの子たちの座った座席は土足と一緒だから清掃した方がいいと思うけど。。。
 
 
そんなことで、あなたが座席に気軽に置いている荷物って、あなたにとっては自分の座る場所でないからいいのかもしれませんが、靴を置かれているのと一緒なんですよ。
 

 4月12日   まねっこ
先日、自宅での供養の帰りにバス停でバスを待っていました。
そしてバスが来ると急に前の白髪の女性がしゃがむので、どうしたのかと思ったら、足元に落ちていたガムの包みのようなゴミを拾ってからバスに乗るのです。
 
その自然な仕草を見て、すごいなぁ〜、きれいだなぁ〜と思いました。
 
容姿ばかりの美しさに囚われて、化粧に、美肌パックに、美顔器に、整形して綺麗になっても、時と共に移ろってゆくので、いつも追いかけてゆかなければならないし、時を追うごとに追いつけなくなるもの。
そういうことが分からずに、容姿の綺麗さだけを追い求めても、単に綺麗なだけで魅力には欠けますよね。
 
心の美しさがあって、容姿を整えて、心が仕草や言葉を通じて自然と表われるところに人としての魅力があるのでしょう。
 
そういう魅力的な人になれたなら、あなたが振り向いて欲しいと思っている人も自然とあなたを見てくれることでしょう。
そうでないから、なかなか見てもらえないのに、それを容姿のことにして美を追い求めてばかりいても魅力的にはなりませんよ。
 
人は年を取るごとに美しくなるように、年を重ねてゆきたいものです。
 
 
その後、バスで座ると私の足元に丸まったティッシュが落ちていたので、まねっこさせてもらいました。
 
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 4月9日   床座施
仏教の修行法に布施行というものがあります。
よく言う「お布施」ってものも実は修行の一つでして、人に金品でもって施しを与えるという、優しくなるための修行なんですね。
 
金品って、とっても自我の執着の強い物だから、こういう執着から離れることができるようになると、人生の様々な場面で思いやりのできる行動ができるようになってくるので、執着から手放すための修行であり、ひいては思いやりのある優しい人間になるための行いでもあるのです。
 
今では、お坊さんへの謝礼という程度しか意味が伝わっておりませんけどね。
 
先日、高速バス(座席指定予約制)で移動していると、私の座席にすでに女性が座っているのですよ。しかも、その人の本来の席にも荷物がいっぱいあって、座席を一人で所有しては寝ているのですよね。
これでは座ることができませんので、すみませんって声を掛けると、起きて荷物をどかしてくれたんですけど。。。
 
どかしてくれても、そこは私の席ではなくて、あなたがいる席が私の席なんでけど。。。
 
私はチケットの座席を見て、今日は窓際の一番後ろだからゆっくりと寛ぎながら移動できるぞ!と楽しみにしていたのですが、すでにシートを倒し、レッグシートに、フットシートまで出して、上着を掛けてお休みモードに入っているので、そこは自分の席であること、あなたは間違って座っていることを伝えることを止めました。
 
ほんとは、私がそのようにしていたかったのですけどね。
 
みなさんならどうしますか?
 
そこ私の席なんですけど。と言って主張しますか?
それとも、言い出すことができなくて黙っておりますか?
 
私の答えは、主張もしないし、黙ってもいません!
なぜなら、これも修行ですから。
 
仏教の修行法の第一に「人に施しを与える」という修行の布施行があるわけですから、私はこの女性に施しをすることにしました。
席を譲るという施しをね。
寛ぎを妨げるのではなく、そのままでいいよと何も言わずに施しをしました。
 
だから、主張もせず、黙っているわけでもなく、自らの意思として席を譲り、今日の私の座席はここだったのだということにしたのです。
 
私たちってなかなかこれができないのですよね。
そこは自分の席だっていいたくなるし、譲るにしても自分席と言いつつ譲ったりしますし、言い出せなければ不満が溜まるしで、どちらかを選んでしまいがちですよね。
 
でもこれなら、主張しないでもいいし、譲られる方としても気持ちがいいし、不満は溜まりませんよね。
だって、最初からここだったのですから。
 
まぁそもそも、この女性の方がどうかしておりますけどね。
座席を間違って座っていることはよくあることですからいいとしても、荷物を座席に置くのはどうなんでしょうね。
バスに乗る前は道路に置いていたものを座席に置いて、座席を汚しておいて、人にそこに座らせるわけですよ。
こういうことが理解できない人は可哀想ですよ。
 
こういう場面にあって席を譲ることは、まさに修行ですねぇ〜
床座施(しょうざせ)といって、寝床や座席を譲ってあげるという修行が仏の教えの中にはあって、今日は床座施という修行ができた有難い日だなぁ〜と今日の出来事に感謝しようと思う小坊主でした。
 
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 4月6日   失敗は成功の素
そういえば、先週ひとりで子供たち3人を連れて東京の実家に来たのです。
その時の新幹線は春休みだから満席で、座れなかったんですよ。
 
私「そういえば、みんな春休みだから混んでいるんだよね。いつも空いているから、座れると思って自由席にしたのは失敗だったね」
私「でもさ、こうしているとみんなの顔が見れるし、遊ぶこともでき、なおかつ体が強くなるから、これでもいっか!」
と子供たちに言ったら、
一年生の次男が
次「しっぱいはせいこうのもと!だもんね」って言うのですよ。
 
ビックリ!感激!!
 
一番上の子がね、何かに失敗したりすると、「もうダメだ!」とか言うわけですよ。
すると私は、
「別にいいんじゃないの失敗したって、また、すればいいんだから」
「練習すれば誰でも練習した分だけ上手になるし、失敗したお陰でどういうことか分かって次に成功するんであって、最初から上手な人も、最初から出来る人もいないんだから、またすればいいんじゃないの」
って言うのです。
「失敗は失敗じゃなくて、失敗の後に成功があるんだから、失敗は成功の素って言うんだよ」
と言っていることを覚えていたのですね。
 
こうやって普段から、子供たちに難しいことであっても、易しく語ってきたことを覚えているのですね。
そう信じて、いろいろな道理を教えておりますけど、覚えていてくれると嬉しいものですね。
 
ということで、失敗は成功の素であることを実践で教えるためにも、帰りの新幹線は指定席を取りました。
 
帰りは始発駅だから並べば座れるんですけどね。
 
おかげで、お財布が軽くなりました。
教育にはお金がかかりますねぇ〜
 
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 4月4日   天の領分
いつも、今とここからですよ!って言っておりますが、今とここ以外は誰の領分なのでしょうね。
 
今とここからと人生を歩み、一生懸命に行っても失敗することもありますし、精一杯やってみてもダメなときもあります。
 
一生懸命にチャレンジして成功することもありましょう。
精一杯やってみて望みを叶えることもありましょう。
 
一生懸命にチャレンジして失敗するのは決して悪いことではありません。
精一杯やってみても望むものが手に入らないことも悪いことではありません。
 
あなたは自分の領分に対してベストを尽くしたのですから、それでいいではないですか。
 
成功したのも、望みを叶えたのも、失敗したのも、手に入らないのも、それはあなたのためですよ。
この先のために、経験しておいた方がいいから、そうなったのですよ。
 
天が、人生が、運命が、あなたのことを取り計らってくれたのですよ。
 
そういう天の領分があることも知っておいてね。
 

 4月3日   私の領分
いつも、私たちが人生から与えられた時と場所は、「いま」と「ここから」と言っております。
 
人生を変えることのできるのは、昨日でもなく、明日でもなく、今ですよ!今からですよ!!
そして、他人を変えようとするのではなく、周囲を変えようとするのではなく、ここからですよ!あなた自身からですよ!!
 
だって、そうですよね。
昨日は過ぎてしまっていて変えようにも変えることできませんからね。
明日はまだ到来していないのですからね。
目標や夢があっても、頭で考えていることと違うのですから、歩まないと始まらないし、歩んだ分だけ変化があって、より夢や目標に近づくのですからね。
 
なのに、みんな、楽に、早く、と望むのですよね。
まぁ、私だってそう思うまでは一緒ですけどね。
でも、歩んだ分だけ先に進んで、行った分だけしか変化しないのですよ。
それが分かっているから、思いはするけど、それを望みはしませんよ。
 
人生はエレベーターのように一気に目的地には到達しないし、エスカレーターのようにつっ立っているだけで運んでもくれません。
自分で歩まなければ、あなたは誰を生きているのですか?
 
自分の領分はとっても小さいのですよ。
地に足を付け、手を伸ばせる範囲しか許されていないのですよ。
その先にあるものを望むなら、一歩踏み出さないとですよ。
 
そしたら、踏み出したところから手の届く範囲が自分の領分で、今までいた一歩後ろは、もうあなたの領分ではありませんよ。
 

 4月2日   報告忘れてた
皆様のお陰様で、妻の体調もほぼ元通りになり、いつもの日常を過ごしております。
 
ありがとうございました。
感謝。感謝。感謝です。
 
元気になった報告を忘れてしまいました。
すみません。
 
人間って、どうでもいいことや忘れてもいいことを憶えていて、大事なことを忘れやすい生き物なのですよね。
と、そんな話を仏教講座でしていながら、私も忘れていました!
 
いったん回復して日常生活ができるようになったから、もう大丈夫と思い、いつもの東京と新潟の往復生活に戻したら、やっぱり無理だったのですよね。
四日目に振り出しに戻ってしまいました。
 
でも、一度通った道だから今度は近く感じるもので、どのようにして回復してゆくのか、どれくらいの期間がかかるのか、次はどのようにしたらいいかが分かるので、今回は時間を多めにとって事にあたることにしたのです。
 
その甲斐あって、調子も良くなって、無理はしないものの、適度に休みつつも、日常生活ができるようになって一安心です。
 
いや、けっこう大丈夫なので、もう安心かな。
 


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