今年もいよいよ終わりですね。
年越しをすべく大型ホームセンターに買出しに行きました。
ある程度の必需品を購入し、これから食材を買う頃になって、下の子2人が長い買い物に飽きてきましたので、私は店内にあるマクドナルドで子供たちと過ごし、妻は買い物することになりました。
あ〜ぁ、せっかく何か買ってもらおうかと思って一緒に来たのになぁー。
仕方がないですね。
とまぁ、がっかりしながら両手に子供たちの手を握りマックへとやってきました。
案の定、混んでいます。
みんな同じ考えなのですよね!
長蛇の列をならびポテトを2つ買って、座って食べさせようにも座席が空いて居りません。
正確には座席は空いているのですが、人が座っているのではなくて、物が置いてあるのです。
上着やら買い物品やらね。
ちょっと人を思いやり、みんなで詰めれば、けっこう座れるのですけどね。
とまぁ、落胆しながら相席にて子供たちだけ座らせてポテトを食べました。
その後は、隣に併設されているマックの遊具へとなりました。
靴を脱ぐ場所がメチャクチャです。
うちの子たちがしようものなら、私のピンタが飛ぶことでしょうし、遊ぶ資格なしとなり許されません。
そこから教育が始まるのですが、「それくらいのことで」なんて言われてしまうのかもしれません。
子供たちの遊んでいる姿を見て、いろいろな子供がいるなぁと思いましたが、子供たちはいろいろいるのですが、親の数が不釣合いのような気がします。
店内にあるマックで遊具施設が併設してあるから、子供たちを遊ばせている間に親は買い物をしているのでしょう。
だから、靴を脱ぐ場所もメチャクチャなら、遊びのルールもメチャクチャで、注意書きて書いてあることなど守ってもおりません。
別に子供が元気に遊ぶことは善いことなので、注意書きにあるようなことなど無視して大いに遊んで構いませんし、それくらいするくらいでないと子供とは呼べません。
矛盾しているようですが、そんな子供を注意して諭して、ルールを教えることが親の務めでもあるのです。
その親が不在です!(たぶん買い物しております)
気持ちは分かります。(私も買い物したかったから)
うちの子達は私が見ておりますから、何かあると私に手を振りますし、私の方を見ていたり、遊びの合間に寄ってきます。
ですが、そんな気持ちがありつつ誰からも見てもらえない子がおります。
そんな子達はたいてい、注意書きにあるようなことをしております。
注意する親がいないのですから、子供に罪はありません。
ちょっと特異なことをして周囲にいる大人なら誰でもいいのです。
誰かに見て欲しくてアピールしております。
だから、私は見てあげます。
その気持ちがビンビン伝わってきますし、何かあっては良くないし、危ないことがあるようなら駆け込めるような体制にて見ております。
そんな中ちょっと目を離している隙に、次男が頬を押さえてやってきました。
「どうしたの?」
「踏み潰された」
「なんで踏み潰されなきゃならないのさ?」
「オイラが下にいたのに、上からジャンプしてきたから」
ということでした。
うちの子は他の子供たちが散らかしたカラーボール(ネットの外に出さないで!と注意書きがある)をネットの中に片付ける遊びをしていたのですが、そのネットを支えるフレーム(危険だから登らないで!と注意書きがある)からジャンプした子の下敷きになったようです。
フレームに登る子やループ滑り台を逆走する子を見ておりました。
他の子達と衝突して怪我しないようにね。
それなのに、ちょっと目を離した隙に、うちの子が被害者になってしまったのです。
理不尽です。
でも幸い怪我という程でもないので、
「大丈夫。それくらいなら。遊んでおいで!」
その子もいけないけど、見ていない親がいけないよねぇ」
と言って送り出しました。
好奇心や見てもらいたくてしてしまうことは自然なことですから子供を咎めませんが、私から“可哀想な子だなぁ”とか、“危なっかしい子だなぁ”とか、“がさつな子だなぁ”なんて、その子たちは見られたいのではありません。
そんな風にして見てもらうのではなく、家族の誰かに見てもらいたいのです。
可哀想に。
恵まれているお宅に居りながら恵まれていないのです。
不自由しないお宅に暮らしながら不自由なのです。
物には恵まれているのですが、心は寂しいと訴えています。
不自由なことはありませんが、自由に遊ぶことに集中しておりません。
買い物品よりも、子供たちを見てあげて!
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