つれづれなるままに
気まぐれな日記ですから、日記ではないのかも。。。
思ったこと、感じたことを、さらりと書いてみます。
 
だから、さらりと読み流してください。
(特に誤字脱字をね!)



 2月24日   凧上げ
今日、実家の近所の原っぱ公園(遊具のない、原っぱだけの大きな公園)で、小学生たちが授業で作った凧をあげておりました。
 
2クラス分くらいの生徒がいる中、2人の子の凧が一際大空高く舞い上がっており、半分の子たちがそこそこ上がっていて、半分は上がらずに苦戦しているようでした。
 
その凧の上がる様子を見て、人生を感じましたね。
 
 
凧は風を受けて空高く舞い上がります。
追い風もそうでしょうが、向かい風を正面から受けては、さらに高く上がります。
風を選ばず、風を上手に利用していて、すごいなぁと思いました。
 
この子たちが作った凧が高く上がるかは、骨格を作る際に決まります。
風を選ばずに受けとめるように作られていると、大空高く舞い上がる凧になり、
風を選んで受けとめるように作られていると、そこそこ上がる凧になり、
風を受けとめず避けてしまうように作られていると、上がりません。
 
人生も同じですね。
 
人生の追い風である幸福や幸運を素直に受け、人生の向かい風である苦労や失敗のようなものをも正面から受け止めるような、骨格である生きる姿勢があれば、その人生は空高く舞い上がり、その精神はより高いところに行くでしょう。
 
人生の追い風というものは、できれば避けたいのが人の心情というものですから、苦労や失敗はしたくないものです。
そうして、苦労を避け、失敗しないようにするために避けがちな骨格の生きる姿勢は、そこそこ上がるものの不安定ですから、いつも不安が付きまといます。
 
善い風も、悪い風も、素直に受け止められない骨格の生きる姿勢では、どんなにいい風があっても、より多くを望み、いつも不満で、公平に訪れる風でも、自分だけが不幸で、素直になれず不平・不満ばかりでは、人生も上がることがありません。
 
これらの生きる姿勢という骨格は、自分で選び決めて作り上げたものです。
他の誰でもなく、自分で作った凧と同じですから、風を受け止める骨格が曲がっていては上がりません。
風を責めても仕方ありません。
 
曲がっていたら正しなさい。
間違っていたら直しなさい。
 
子供たちはしていましたよ!
 
人生で吹く風はいろいろなものであって、追い風もあれば、向かい風もあります。
どの風を選ぶかは自分次第ですが、凧は風を選ばずに、上手に利用して空高く舞い上がります。
 
凧から見習わなくてはならないことがありますね。
いい光景を見せてもらいました。
 
感謝。
 
 

 2月22日   ラッキー?
昨日夕方、東京に行く予定でいたのですが、時間がずれ込んで遅れたので、慌てて家を出たら、途中で携帯忘れたことに気がつきました。
大雪で吹雪いていたので、戻ってまた来るにも時間が掛かるし、新幹線に間に合わない訳ではないので、電車を遅らせることもできるのですが、そうすると送ってくれた妻が家に戻る時間が遅くなり、雪道がさらに危なくなるので、諦めて東京に行くのをやめにしました。
 
普段であればあることのない、携帯忘れでした。
私は、肩掛けバッグのボタンがされていたので、てっきり妻が携帯を入れてくれているものだと思っておりましたし、妻は、携帯を忘れることのないようにと、電話台に置いておいてくれたようで、お互いに忘れ物ないよねって言いながら家を出たにも関わらず、すっかり忘れてしまいました。
肝心な予定などが書き込まれているし、連絡取り合えないし、目覚ましなし、…etcですから、携帯を忘れては仕方がありません。
 
「まぁ、こんなこともあるさ」と言いながら、時の導きを感じましたので、妻に「きっと、これは導きだろうから、今日はこちらにいなさい。という天の声なんだよ」と言っておりました。
そして、翌朝である今朝早くに電話があり、猫ちゃんが亡くなったので迎えに来てほしいとのことでした。
 
私のいない普段の火曜日であれば、妻に行ってもらうのですが、導きから私がおりますので、私がお客さまのところに猫ちゃんを迎えに行くことになりました。
 
前晩からの積雪も30センチくらいある上に、朝から大荒れの吹雪でしたから、ガタガタの雪道を運転しながら、“猫ちゃんに会えるし、お経を読んであげられるし、妻に負担をかけずに済んだなぁ”と、天の導きに感謝しておりました。
すると、「ガッコン」という音と共に、前輪がパンクしてしまいました。
 
あちゃ〜!!なってこったい!!
よりによってこんな時に!!
もーぉー!!
 
と思ったのですが、そうなんです!
“なんてこったい”という出来事が妻でなく自分にであったこと。
“よりによってこんな”という時が妻でなく自分にあったこと。
 
そういうことなんだ!
昨日からの一連の出来事は、このためだったんだと、天の導きに感謝しました。
 
不運なことかもしれませんが、私にとっては運の良かったラッキーなことなんです。
 
いつも神仏に手を合わせるとき、
『私の愛する者たちに福がありますようお守り下さい。私の福は愛する者たちに、愛する者たちの禍は私に。』
と祈っているものですから、
願いは叶っておりますよね。
 
かといっても、私も皆さんと同じですからね。経済的にはアンラッキーでしたよ。
スペアタイヤへの交換、新しいタイヤを購入・付替えの費用だけでなく、お昼に乗るはずだった高速バスに乗れなくなり、新幹線を使って東京に向かいましたから、経済的には大きな出費でしたよ。
 
どちらを向くかで、運・不運、幸・不幸は変わってきますが、あなたなら、どちらを方を向きますか?
 
 

 2月16日   予算オーバー
いったいいつになったら雪が止むのか。。。
 
降り続く大雪で、市内の道路脇は雪の壁となっております(いやお寺の周辺と言ったほうがいいのかな?)。
まるで雪の隙間を走っているようですよ。
東京と往復していると、同じ日本とは思えませんね。
もっと多くの人たちに雪国の暮らしの大変さを知ってほしくもなりますし、その雪に耐えて暮らしている人たちの強さを知ってほしいですよ。
 
今年はこんな大雪ですから、栃尾市の除雪の予算がオーバーしてしまっております。
今年度の予算は2億4千万円で計上していたのですが、すでに4億円をオーバーしてしまっております。
 
まだまだ雪は降り続いておりますから、さらに予算オーバーになるのでしょうが、どーなってしまうのでしょう?
水害だけでも予算オーバーでしょうし、それに加え地震でさらなる大幅予算オーバーしておりますからね。
そして、この大雪ですよ。
 
いったいいくら掛かるのでしょうね。
 
お寺では特に予算は組んでいませんが、予算オーバーでしょうね。
参道の消雪対策で自分で地道にアスファルトを敷いていったのですが、パワーショベルで除雪したら、ボロボロになてしまいましたし、除雪機で除雪したら、消雪パイプを巻き込んで何本も駄目になったりで、除雪に掛かった費用に加えると、今年は大幅予算オーバーでしょうね。
といっても、お寺のお金ではなく、みんな家計からの支出ですから、明るく貧しい我が家としては、笑ってしまうしかありません。
車を使えない間は、師匠のお寺から車を借りたりしていたのですが、お寺との往復に使ったタクシー代もバカになりませんしね。
 
いくら倹約家の妻でも、こればかりはフォローできないでしょう。
 
今はまだ雪で覆われていて、見えないものなどもありますから、春になったら修復に追われることになるでしょうね。
 
やれやれ。
 
 

 2月13日   褒めていいですか?
いつものように私は妻に感謝し、美点は褒めております。
褒めると言うより、きちんと感じたこと・思ったことを言葉に、しぐさにして伝えています。
すべてではないですけどね。すべてしていたら、私は寝ることもできなくなってしまいますよ。
(お惚気ですね)
 
そのつど、さまざまな時に、いろいろな形で、愛しているということを伝えております。
褒めようとしているのではなく、褒めざるおえないんですけどね。
(お惚気ですね)
 
自然としてしまうのですから、それだけ素晴らしい人ということなんでしょうね。
私にとってね。
(お惚気ですね)
 
 
こんなことを言っていると、「私なんてぜ〜んぜん。もっともっと素晴らしい人はいっぱいいるよ。比べると恥ずかしいよ。」って妻は言います。
すると私は、
「その通りさ。絵里より素敵な人はいっぱいいるでしょう。客観的に見ればね。でも、私は個人的に見ているのであって、私が絵里のことをいいと言っているのだから、それでいいじゃないのさ。他人と比べることなんてないさ。私は絵里が好きなんだから。」
と言うこともあれば、
「そう言って自分の至らなさを知っているところが、また素晴らしいのであって、それに甘んじるようであれば、困りものでしょう。それに、他人の良い所を素直に見ることできる、その心が好きなんですよ。」
って言うこともあれば、
「恥じるということは、この先、さらに良くなるという素質の表れだから、この先はもっと好きにならざるおえないね。」
なんて言ったり、
「素晴らしい人がいっぱいいるであろうこの世界で、私は絵里という素敵な人に会えたんだよ。もう、自分で自分を褒めてあげたいよ。」
であったり、
「後悔することの多い人生というもので、絵里に出会えたことよって、今までのすべての選択を肯定できるよ。すべては出逢うための選択だったとね。そう言いきれるほど好きなんだよ。」
とか、
「まぁ、いっぱいいたとしても、私の心はそんなに多くの人を愛せるほど広くないし、絵里のことを愛するために使いたいしね。」
などなど、いろいろです。
妻曰く、語録ができるくらいですよ。
 
そんなですから、私のことを“アメリカンな人”と言う人も多くいます。
人前で妻を褒めたりすると、妻もそのように言いますが、私は“アメリカンな人”ではないんです。
 
私は、“仏教な人”なんですよ。
(このことは、またの機会にでも記します)
 
“ありがとう”という言葉はもちろんですが、もっと大事なのは、何がありがとうなのか、どうありがとうなのか、何にありがとうなのかを、きちんと伝えることです。
また、美点を褒めるにしても、どのようにであったり、何かに譬えたり、どう表現し伝えるかということが大切なことだと思います。
 
相手のことを心から愛しているのであれば、その人だけのいいところが見つかるはずですよ。
そのことを、きちんと伝えてあげましょう。
 
どうも、日本の男性は、大事なことを忘れがちなようですね。
 
以心伝心という決め細やかな日本人にはありますが、この考えに甘んじてしまい、分かっているだろうからと伝えないのはよくありませんね。
そのくせ、自分でも良くなかったなぁと分かっていることについて指摘だけはするもんだから、喧嘩になったりするのでしょうけどね。
 
以心伝心の使い方間違っているときが見受けられます。
 
(あーそうだ、こんなこと書こうとしているんじゃなかった)
 
 
ほんと、私の妻である絵里さんは素晴らしい人なんですよ。
女性として、妻として、母親として、友として、素敵な人なんですよ。
 
今回の大雪の最中、よく頑張ったから、なんだか褒めたくなってしまいました!
 
こんな風に言うと、妻は「ぜんぜん、まったく誤解です」って言うでしょうけどね。
それは妻の意見であって、私の意見ではないので言わせておきましょう。
 
 

 2月12日   妥協
昨日の一件である、「サラリーマンに戻ればいいさ」というのは、愛するゆえの妥協と思う人もありましょうが、妥協なんてしていません。
 
愛するという親密な関係には、ある一面として自己犠牲というものが伴うもので、「この人のためなら〜」という犠牲を望むことだってあるのです。
 
どんなに仲が良く、どんなに素晴らしいとされる夫婦であったとしても、共に歩む人生には、数々の選択と困難があるもので、お互いに大切に思うもの、お互いにしなければならないことなど、出来事のたびに見直しや再設計を迫られるものです。
 
その中には、諦めることや拒絶することなどもあり、愛のために妥協することもあるでしょう。
 
でも、よく言いますが、愛のための妥協ってなんでしょうね。
 
その関係を維持するためだけに、どちらかが夢を諦めたりするのであれば、それは妥協というのでしょうか?
 
妥協っていうのは、お互いの歩み寄りのことであって、お互いに思うことはあるものの、さまざまなことを受け入れてゆき、接点を見出してゆくことだとすると、愛のための妥協というものは、とても創造的なものであって、新たな人生を切り開く積極的な精神性のことなんでしょう。
 
その精神性というものが愛と呼ばれるのであって、自分だけの「ああしたい」「こうしたい」というような限のないこだわりを見直して、相手の気持ちを心から認めてあげるという、前向きなものが「愛する」ということなんでしょうね。
 
「愛」という言葉が簡単に使われることがありますが、愛というものは、名詞のままではそのままで、あまり意味がないのです。
愛は実践であり、行動に移してこそ、表現に表してこそ、それが伝わるものに変わるのです。
 
愛するゆえの妥協ということであれば、それは、新たな人生を創造する機会であって、妥協せざるおえないことであば、人生がそうしなさいといってくれている変わる機会なのですよ。
そちらの方向に向かうことができない消極的な時に、人生は、そちらにしか行く道がないんだよって、妥協と呼ばれるもの起こして、そちらに行きなさいと勧めてくれるのでしょう。
 
私は“縁に従い時に導かれ”といつも言っているように、自分の人生を信じて生きておりますので、きっと何かのために、そうしてくれているのであろうと、なるべく起こる出来事を受け止めるようにしています。
 
そうすると、妥協ということはなくなり、あるのは、することだけ、実践あるのみです。
いつのまにか、妥協という行為は、愛するという行為に変わり、それに伴い関係性も変わってくれば、状況も変わってくるでしょう。
 
それが歩み寄りというものでしょう。
 
お互いが歩み寄るということが、愛するということなのでしょう。
 
 
あなたのいう妥協とはどんなものですか?
諦めですか?
歩み寄りですか?
 
 

 2月11日   涙。。。
10日ぶりにお寺に戻ることができました。
 
ようやく、雪が一段楽して小康状態となり、家族もみんな元気になって、みんなで駅まで迎えに来てくれました。
 
田舎の暮らしでは車がないと大変不便なものです。
雪が止んでも車が使えないのでは、幼稚園の送り迎えも、買い物も、幼い長女を抱えてでは大変だったことでしょう。
 
大雪の不安、除雪の苦労、生活の厳しさ、この10日間、よく耐えて、よく頑張ってくれました。
子供たちは私に会えて大歓迎ですが、妻は涙です。
 
子供たちとの大歓迎をいなし、妻と話をすると、涙ながらに「もう雪やだ。もう住みたくないよ」と。
そして、子供たちが大雪で大変だったことを私にいろいろ話してくれました。
 
そして、長女が「もう、なっちゃんのおうちゆきがいっぱいで、つぶれそ〜。もう、ゆきなんてやだ!」と。
すると妻が「ごめんね。お母さんが嫌だなんて言うから、みんなにも嫌な思いをさせて」と言うのです。
 
 
私:いいんだよ。嫌なものは嫌で。絵里は悪くないよ。
  もう住みたくないのも分かるから、いいんだよ。
  よく頑張りました。ありがとう。
  東京は雪がないから、東京に来るか?
妻:ほんと、できることならそうしたいよ。
私:いいよ。いいんだよ。それなら引越ししよう。
  随分前にも言ったけど、二人で一つの人生なんだから、
  絵里が嫌なことはしないから、東京に行こうよ。
 
その話を聞いていて、子供たちは、学校はどうするの?おもちゃは持っていけるの?などと聞いてくるので、そのことについて応えつつも、妻と会話する。
 
妻:でも、霊園はどうするの?
私:やめればいいさ。仕方ないよ。
  何が第一か、何が大事かということさ。
  また、サラリーマンに戻ればいいんだから、
  いいんじゃないの。
  それだけ、絵里が大事なんだから。
  べつに気にしないでいいよ。
  俺は平気だし。
妻:。。。。。(涙)
私:坊さん諦めるのかとか?
  霊園どうするかとか、
  両親にそんなことで…とか、
  みんなだって〜だとか、
  いろいろ考えたり、気になったりするだろうが、
  そんなこと気にすることないさ。
  自分の心に素直になりな。
妻:。。。。。(涙)
私:もし、それが気になってできないのであれば、
  もっと現実的な方法を考えようよ。
  例えば、生活形態を変えるとか?
  お寺に居つつ、私が主夫となり、絵里が働くとか?
  東京に家を移し、今と反対に私が移動するとか?
  絵里が東京に居て、俺が新潟でみんなといるから、
  週末に戻ってくるとかさぁ。
  方法なんていろいろあるさ。
  何が大事かを決めて、それに沿って、
  物事なんて進めればいいんだからさ!
  
  絵里の好きにしなさい。
  万物は流転するのさ。
  こうでなきゃなんてこと思わずに、
  好きにしましょうよ。
  嫌なことは好くないよ。
 
  もう、俺は決めたから、後は絵里が決めな。
  いいんだからね。
 
妻:もう大丈夫。
  なんだか晴ちゃんに会って話ししたら、
  スッキリして平気になっちゃった。
私:ほんとに、いいんだよ。無理しないで。
妻:うん。なんか愚痴っぽくなっちゃって、ごめんね。
私:いいんだよ。謝ることではないさ。
妻:帰ってきて早々に、ごめんね。
私:いいですよ〜。愚痴でもなんでも、いつでもどうぞ。
  話せないのはよくないけど、
  話せるということはいいことさ。
  あと、「ごめんね」はもうこれでおしまいね。
  絵里が悪いわけでないんだから。
  雪が悪いんだから。
妻:はい。ありがとう。
私:はい。それでよし。
  まぁ、よく言われる男の甲斐性である
  お酒・タバコ・賭け事という意味では甲斐性ないけど、
  これくらいの甲斐性くらいはありますよ。
 
 
あっそうだ、ちなみに、私は妻に「はるちゃん」と呼ばれています。
子供扱いです。(子供なんで)
 
 

 2月7日   お地蔵さん?
大雪降り止まない吹雪の中、玄関のセンサーが鳴りました。
 
こんな大雪の中、何事かと思い玄関に行くと、スーパーの袋が2つ。
 
それ以外にも、センサーが鳴る度に玄関に行くと、野菜やら、お裾分けやら。
 
姿が見えずに、食べ物が玄関に置かれており、一体誰が?
 
お地蔵さん?
 
 
我が家の状況を見かねて、幼稚園の友達のお母さんからの差し入れや、近所の方々からが差し入れしてくださり、お寺には有り難いことに、優しい心を持ったお地蔵さんのような方たちが訪れます。
 
直接お礼申し上げても足りませんので、ここでもお礼申し上げます。
 
ありがとうございます。
 
あまりの雪の深さに出ることができずにいるのに、その雪をかき分けて、わざわざいらしてくれました。
水害から始まり、台風、地震、大雪と、その都度、生活は大変ながら、優しい心に触れることができ、幸いなことです。
 
 

 2月4日   大雪3
あまりの大雪に帰ることができません。
 
すでに積雪が3メートルを超えており、降り続く雪は止む気配がなく、お寺の山門の上まで積雪があり、車は車庫ごと埋まってしまっていますし、家も雪で覆われていて、かまくらに住んでいるようで、妻曰く「スノードーム」となっております。
 
ひどいです。
いったいどうなっているのでしょう?
 
地震の後で家屋が弱っていることに加え、この大雪ですから、倒壊する家屋が急激に増しています。
もうじき、100件に到達する勢いです。
そして、除雪に伴う死者も地震で亡くなった半数を超え、報道などはあまりされておりませんが、これはもう大雪ではなく、災害となりつつあります。
 
妻は風邪で寝込んでしまうし、子供たちも体調を崩し、そんな中にあって帰ることができないしで、大丈夫と信じていても心配な状況です。
 
街中は融雪溝があるのですが、その処理能力を超えており、融雪溝に雪が詰まって道路に水が溢れ出し、街中の道路は川と化して、去年の水害の時と同じようになっています。
それなので、登校時には長靴義務で、道路の水と屋根からの落雪に十分注意して登校するようにと連絡がありましたが、注意しろと言ってもねぇ。
 
もう、うちは機能停止していて、旦那は帰って来れず留守だし、妻は風邪ひき寝込んでいるし、子供たちも体調を崩しはじめているし、霊園は休園でお断りせざるおえないし、食料は底を尽き始めているし、雪はいっこうに降り止まないし、雪下ろしはできなし、・・・・・。
 
 

 2月3日   節分
節分ですね。豆まきですね。
 
豆まきは本来、「追儺(ついな)」という中国の儀式で、厄病神を追い払うのが目的で宮中で行われていたそうです。
それが民間行事になって、豆を撒くことで厄難を払い、下級の鬼神にお供えする意味でも豆まきするようになったようです。
また、節分のときの撒く「まめ」は、「魔滅(まめ)」に通ずることから豆になったようです。
 
「鬼は外。福は内。」という言い方もそれぞれみたいで、鬼を払うことが始まりだから「鬼は外」だけを言うところもあれば、仏教寺院のように「福は内」だけを言うところもあり、鬼子母神を祀っている神社などでは「鬼は内、福は内」と言うようです。
 
じゃぁ、なんて言ったらいいのでしょうね。
 
たぶん、「福は内。鬼も内。」かなぁ。
 
幸と不幸は表裏一体ですから、福は内にするのであれば、鬼も内に引き受けなければ、福は逃げていくでしょうし、福だけ我が家で、鬼は外で誰かの家に行ってくれというのでは、他人迷惑で強欲というものです。
それに、そんな人に神は福をもたらしてくれません。
 
だから、「福は内。鬼も内。」でいいのですね。
 
鬼神さんも鬼を取れば神です。
不幸も不を取れば幸せです。
煩悩という囚われも、解ければ仏の泉(智慧)に変わります。
 
逃げているのも、避けているのも、あなた。
 
そんな心の弱さを払いましょ。
 
 

 2月2日   いつか使う
深夜の会社で音楽活動している人が手を傷めていたので、シップと塗り薬を差し上げました。
 
その時に、
「もらちゃっていいの?だって、横田さんだって、いつかは使うんじゃないの?」
私「まぁ、いつかはあるでしょうが、いつかはわかりません。だから、その時はそのときですよ。」
「じゃぁ、もらいますね。」
「そうしてください。それがこの物たちの供養でもありますから。」
というような会話から、『いつかは使う』ということが心に引っかかったのですよね。
 
私たちは、“いつかは使うかもしれない”といって手放すことができずに、いろいろと溜め込んでしまいますよね。
(そうでなくても、脂肪とストレスなんて使いもしないのに溜め込んだりしてね。)
そうして、使うかどうか分からないのに溜め込んでは、身軽な動きができなくなってしまうことってありますね。
 
家の中には、押入れや物置の中に、体の中には頭や心の中に、“いつかは”をキーワードにいろいろなものを溜め込んでは、家を狭くしたり、身軽な動きができなくなったりしてしまいます。
 
“いつか”は、将来起こるかもしれないいつかであって、今ではないのですよ。
今を上手に生きるには、「いつかは」と呼ばれるものを整理したり、手放してみたりするいいでしょうね。
 
物を捨てろとか、大事にしなくていいというのではなくてね。
 
心を変えたくても、なかなか変えることができませんから、行動から変えてゆくことで心を変えることできますよ。
 
心の中の、いろいろを整理したり、手放したりできないのであれば、まずは、部屋を整理してみたり、片付けたりしてみてはいかがですか?
 
すっきりしますよ。
 
 
今回のことで言いますと、シップも塗り薬も封を開けてしまっておりますので、使わずに置いておくのはもったいないですし、その物を無駄にしてしまうだけで、せっかく存在している物を生かしてあげずにいるのでは、この物が可哀相というものです。
使わない物を、自分の物、いつかは使うもの、いつかは使うであろう自分の物、としていたのでは、エゴから物の命を殺してしまいます。
 
だから、私のためでもなく、誰のためでもなく、この物のためには使ってもらうことが嬉しいことであり、役に立つのは善いことなのでしょうから、この物を生かしてあげるためにも、人の役にも立ち、その者を活かすのであれば、みんなにとっていいことですからね。
 
わたし?
 
私は布施ができたことですよ。
 
 

 2月1日   宣伝させて
2005年4月から、カルチャースクールで講師をします。
 
はなたれ小僧が、みなさんに何を語れるのかと思いますが、何事にも始まりがあります。チャレンジしてみようと思いますので、小さな歴史の始まりに立ち会ってみませんか。
 
みなさん宜しくお願いします。
 
仏教に興味のある方、この日記のような感性に興味のある方、私の緊張した姿を見たい方?参加してみませんか。
月に1度、心の中を旅しましょ。
 
詳細は別ページにありますので、そちらをご覧下さい。
 
池袋イルムス、池袋西武百貨店にて、4月期からのパンフレット配布しております。
HPからパンフレットを郵送してもらうこともできますので、『池袋コミュニティ・カレッジ』もご覧下さい。
 
受講申込みは2月20日から受付で、講座開始の1週間前まで受け付けます。


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