いつものように私は妻に感謝し、美点は褒めております。
褒めると言うより、きちんと感じたこと・思ったことを言葉に、しぐさにして伝えています。
すべてではないですけどね。すべてしていたら、私は寝ることもできなくなってしまいますよ。
(お惚気ですね)
そのつど、さまざまな時に、いろいろな形で、愛しているということを伝えております。
褒めようとしているのではなく、褒めざるおえないんですけどね。
(お惚気ですね)
自然としてしまうのですから、それだけ素晴らしい人ということなんでしょうね。
私にとってね。
(お惚気ですね)
こんなことを言っていると、「私なんてぜ〜んぜん。もっともっと素晴らしい人はいっぱいいるよ。比べると恥ずかしいよ。」って妻は言います。
すると私は、
「その通りさ。絵里より素敵な人はいっぱいいるでしょう。客観的に見ればね。でも、私は個人的に見ているのであって、私が絵里のことをいいと言っているのだから、それでいいじゃないのさ。他人と比べることなんてないさ。私は絵里が好きなんだから。」
と言うこともあれば、
「そう言って自分の至らなさを知っているところが、また素晴らしいのであって、それに甘んじるようであれば、困りものでしょう。それに、他人の良い所を素直に見ることできる、その心が好きなんですよ。」
って言うこともあれば、
「恥じるということは、この先、さらに良くなるという素質の表れだから、この先はもっと好きにならざるおえないね。」
なんて言ったり、
「素晴らしい人がいっぱいいるであろうこの世界で、私は絵里という素敵な人に会えたんだよ。もう、自分で自分を褒めてあげたいよ。」
であったり、
「後悔することの多い人生というもので、絵里に出会えたことよって、今までのすべての選択を肯定できるよ。すべては出逢うための選択だったとね。そう言いきれるほど好きなんだよ。」
とか、
「まぁ、いっぱいいたとしても、私の心はそんなに多くの人を愛せるほど広くないし、絵里のことを愛するために使いたいしね。」
などなど、いろいろです。
妻曰く、語録ができるくらいですよ。
そんなですから、私のことを“アメリカンな人”と言う人も多くいます。
人前で妻を褒めたりすると、妻もそのように言いますが、私は“アメリカンな人”ではないんです。
私は、“仏教な人”なんですよ。
(このことは、またの機会にでも記します)
“ありがとう”という言葉はもちろんですが、もっと大事なのは、何がありがとうなのか、どうありがとうなのか、何にありがとうなのかを、きちんと伝えることです。
また、美点を褒めるにしても、どのようにであったり、何かに譬えたり、どう表現し伝えるかということが大切なことだと思います。
相手のことを心から愛しているのであれば、その人だけのいいところが見つかるはずですよ。
そのことを、きちんと伝えてあげましょう。
どうも、日本の男性は、大事なことを忘れがちなようですね。
以心伝心という決め細やかな日本人にはありますが、この考えに甘んじてしまい、分かっているだろうからと伝えないのはよくありませんね。
そのくせ、自分でも良くなかったなぁと分かっていることについて指摘だけはするもんだから、喧嘩になったりするのでしょうけどね。
以心伝心の使い方間違っているときが見受けられます。
(あーそうだ、こんなこと書こうとしているんじゃなかった)
ほんと、私の妻である絵里さんは素晴らしい人なんですよ。
女性として、妻として、母親として、友として、素敵な人なんですよ。
今回の大雪の最中、よく頑張ったから、なんだか褒めたくなってしまいました!
こんな風に言うと、妻は「ぜんぜん、まったく誤解です」って言うでしょうけどね。
それは妻の意見であって、私の意見ではないので言わせておきましょう。
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