先日、NHKの深夜の再放送で、食に関する番組を見ていました。
その中で、とっても印象に残っている言葉がありました。
『食という字は、人を良くすると記す』
まさに字の如くで、食というのは生物理学上でも、精神衛生学上においても、人をより良くするもので、食べることで健康にもなり、命を頂くことで命を学び、人が良くなるのですよね。
その食について、私たちはおろそかにしていることありませんか?
時間がないからと急いで食べたり、食を抜いてみたり、ダイエットのためと偏食したり、補助食品やサプリメントに頼ったりして、きちんと食べるということをおろそかにしていませんか?
それでは、食べるという物理上の行為だけで、人を良くするという食べるということにはなりませんよ。
修行寺では、戒律が厳しく、食べるものも制限されますが、命を頂くということから、食にまつわる作法が詳細に決められていて、修行で一番苦労するのは、食事の時間と言っても過言ではないほどでした。
自分の食べる分は自分で托鉢し、頂いたら物を余すことなく料理し、お経を捧げて命に感謝し、食べる作法に則っていただきます。
その中には、すべてを自分の命にするのではなく、ごく僅かを残して、自然に生きる他の命たちにも御裾分けすることもあります。
禅宗の修行というと、真っ先に座禅やお経を思い浮かべますが、修行とは生きることであり、与えら得た生を活かすということは生活そのものでありますから、生活することを修行するのです。
だから、食べるということは修行で、修行するのは人としてより良くなるためですからね。
この言葉を体で知っているだけに、とても印象残りました。
食べるということは、命に直結していることですから、これを大事にしないということは、自分の命も、与えてくれる命も、大切にしないということで、生きるということを否定することにもなるのです。
もちろん、食べることをしなければ死ぬように、食べることを否定することは死を意味するのです。
自らの生命を活かすために、何を食べるかということも大切ですが、どのようにして食べるかという作ることや、誰と食べるか、どのような気持ちで食べるか、などということから、食は多くの学びを頂く者に与えます。
毎日、三度の仏の教えを学ぶ機会があるのですよ。
私たちはね。
前回の日記の「仏法値うこと希なり」ではないですが、気づいていないだけなのですよね。
とっても有難いことに。
他の命を頂くだけでなく、有難い命の教えも頂くつもりで、食事の前には“いただきます”と言いましょうね。
人が良くなりますよ!
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