よく、「私は無宗教ですから」というような言葉を耳にしますが、みなさんは、本当に無宗教なのでしょうか?
近年の知識人と呼ばれるような方々には、無宗教であることを、あたかもインテリの証しでもあるかのように思い込み、宗教を持っていないことを誇らしげに語ります。
まぁ、これは日本だけで通用することであって、世界にでたら通用しないことなんですけどね。
世界では、人間というものは何らかの宗教をもって生きていると思われておりますから、無宗教であることは、私は人間ではないのですと、平気で言っているようなものなのです。
この国でのインテリが語る無宗教には、無宗教であること=客観的かつ冷静な人物、というようなことを見せたいがためのものでもあり、自分を本当以上に見せかけようとする計算が裏にあるように思われます。
まぁ、宗教というものは、そもそも人間臭いもので、巷に蔓延るものはさらにお金臭いものですから、自己のイメージを保つにも無宗教としていたところが都合いいでしょうからね。
それにつられて、私たちまでもが普通に無宗教ということを言ってしまっています。
人が生まれれば神社でお参りし、人生に詰まれば占いをし、キリスト教でもないのに各地で盛大にキリストさんの誕生を祝い、そのすぐ後には翻って神社で初詣をし、人が亡くなれば仏教で葬儀をしているお国柄ですから、無宗教というよりは、信仰心の薄い多宗教なんで、無宗教ではないんです。
ただ、比重的に言っても、どれもどれなんで、私は無宗教ですって言っちゃうんでしょう。
実は、無印良品が無印と言いながら、一つのブランドになるように、無宗教ということも、この国ではブランドの一つになっているのでしょうね。
ちなみに私は、いろんな教えが好きな仏教者(ブッディスト)で、囚われの無いことを宗する禅者でありたいと思っています。
無宗教であろうが、宗教があろうが、どっちだっていい、幸せに生きることができれば、あろうがなかろうが、それでいいですよ。
ですが、辛い人生の時を支えてくれる宗教または、信じる何かがあれば、人生というものをより幸せに生きることができるとは思いますよ。
そうそう、ちょっと前の話になるのですが、道を歩いていると、外人さんに声を掛けられて道を聞かれました。
駅までの道を教えて去ろうとすると、その後にも話しかけてくるので、丁寧に応対していたら、だんだん教会に来ませんか?みたいな勧誘になってきたので、帽子を脱いで、坊主頭を指差して、
「I am ブッディスト thank you goodbye」
と挨拶して去ると、オーッ!としていました。
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