つれづれなるままに
気まぐれな日記ですから、日記ではないのかも。。。
思ったこと、感じたことを、さらりと書いてみます。
 
だから、さらりと読み流してください。
(特に誤字脱字をね!)



 8月31日   ちっちゃん
ちっちゃんというのは、1ヶ月半前から家で保護しているスズメの名前です。
 
今日、天国に羽ばたいて逝きました。
 
家にやってきた時には、貧弱でもたないと思っていたけど、なんとか峠をもちこたえて元気になって、いっぱい飛べるようになったのに。
 
今朝は、もう動かない。
 
だんだん慣れてきて、指からご飯を食べるようになって、指から食べたいと私を呼んで甘えるように鳴くようになったのに。
 
今朝は、もう声がしない。
 
一緒の暮らしの楽しさから、保護していることを忘れて、このままずっと一緒でもいいかなぁと想い始めても、心を鬼にして大空飛べるようにと、夏が終わったら帰そうと思っていたのに。
 
明日になったら9月だから、空に飛び立たせようと決めていたのに。
 
今朝は、もう飛べない。
 
部屋の扉を開けると、ちっちゃんの姿がないから、慌てて鳥かごのところにゆくと、床に倒れておりました。
 
失意のままに裏庭の鳥たちの聖地(実家の裏庭のあったところには、多くの多くの子たちが眠っている)に埋葬してあげました。
 
空は飛べなくても、翼ならあるのさ。
 
天国に羽ばたいて逝けるのさ。
 
 
ちっちゃん、空に帰してあげれなくてごめんね。
少しの時でも共に暮らしてくれて、ありがとね。
 

 8月6日   一隅を照らす
お寺から海まで約1時間くらいで行けるので、先日時間を見計らって海に遊びにゆきました。
お寺の後ろは山だし、川は歩いてすぐだし、海は距離にして40kmで海水浴場に到着しますから、我が家は山に川に海にと、自然が豊かなところにあります。
 
海は遠浅でどこまでも底が見えるほど綺麗で、波は穏やかで、いつも行く海岸はとってもいいところです。
でも、それは海の話。
 
砂浜は別です。
 
海は綺麗なのに、自然は豊かなのに、人の心は汚れていて、砂浜はゴミで散らかっています。
もちろん、掃除している方々も大勢いるのでしょうが、ゴミを捨てる人が多すぎて、拾っても限がないから、もうそのままになっております。
 
いったい、ゴミを捨てる人たちは、何をしに来ているのでしょう?
海を汚しに来ているのでしょうか。
それとも
海に遊びに来ているのでしょうか。
 
まぁ当然のことながら遊びに来ているのですよね。
それなのに、海で遊ばせてもらっているにもかかわらず、楽しむだけ楽しんで、海や砂浜、太陽や空に感謝することなく、ゴミを捨てて散らかして帰ってゆきます。
 
自然は豊かでも、人の心は貧しいですね。
 
 
いっぱい遊ばせてもらったので、自然に感謝して帰り支度をしていると、妻は自分たちの周りのゴミをせっせと集めているではありませんか!
私が「適当でいいじゃないの?限がないから」と言うと、妻は「それでも、自分たちの周りくらいは綺麗にして帰りたい」と言うので、私は何て素晴らしい人なんでしょと思うと共に、ある言葉が頭に浮かんできました。
 
「一隅を照らす」です。
 
私たちは大勢の人に認められたり、何か大きなことをしたいと思いがちですが、周囲の人を幸せにできなければ、さらにその周囲の人を幸せにはできませんし、小さなことをきちんとできなければ、さらに大きなことは成し得ません。
 
自分の持ち場である自分という存在は小さなものですが、それが世の中に知られることなくとも、それがたとえ世の中の片隅であったとしても、自らの周りから整えてゆこうという意味の言葉が、妻の行いにピッタリときました。
 
私は海でゴミを拾っている妻を見て、まるで綺麗な貝殻を探しているようでもあり、自然の豊かさに触れるだけでなく、妻の心の豊かさにも触れることができました。
(おのろけですが、妻は海のビーナスですね!)
 
そして、私も一隅を照らせるような人となろうと改めて決意をした海遊びでした。
 
 

 8月1日   地震と首都機能
そういえば、先日といっても、ずいぶん前のような気もしますが、東京で震度5があったんですよね。
新潟にいてニュースを見ましたが、震源地が震度4であったので、それ以上のことはないと思い、実家に電話することもなく過ごしてしまいました。
 
そして、東京の会社に出社すると、同僚たちが地震の話をしていて、「横田さん、東京地震あったんですよ。震度5ですよ!」と言うんです。
(実際に震度5を記録したのは、ある区のある消防署だけで、その隣の市役所はそうではないようでしたけどね。)
 
そして、「首都は地震に弱いですね。遊びに行っていたんですが・・・・・」と、電車が止まっていたことに不平を言っていました。
もちろん、その気持ちは分かります。そして、対応や不備などを言いたくもなります。
 
でもね。
ちょっと考えてみましょう。
 
点検するために止まっていたのであって、みんなの安全のためにしてくれていても、そんなことは思わず自らの足止めのことを言うものです。
今度はその反対に、ろくに安全点検もせずに運行して事故にでも遭えば、時間よりも生命の安全だなんて言うのですよね。
 
反対に立場を変えて、休日なのに突然呼び出しを受けて仕事になった鉄道関係者だっているのです。
 
私たちの生活というのは、首都になればなるほど、多くの人のお陰で支えられているものであって、決して一人では生きてゆけないもので、お互い様の生活なのです。
 
私たちはいつの間にか、いつもあることに慣らされていて、当たり前のことに感謝できない人になってしまっているのですよね。
 
あることの幸せを感謝せず、ないことへの不満を言ってしまいがちです。
 
つい先日の関西でも列車事故があったばかりですから、点検に時間がかかっても致し方ありません。
この点検や運行に不満があるのは仕方のないことですが、不平を言うことは事故で亡くなった方々の命を無為にすることにもなりますから、ちょっとそのことを会社で言わせてもらったのです。
(あ〜また辻説法してしまった)


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