先週の新潟の合同供養祭に引き続き、東京の合同供養祭も無事終わりました。
両日ともに、日時の都合がついて参詣される方あり、都合があって参詣はできないけれども、想いはあるので読み込みされる方あり、距離が遠すぎるので手紙にて参加される方ありで、みんなの心が想いが同じでとても嬉しく思います。
みなさま、ありがとうございました。
亡くなってからも愛する想いがあること、亡くなってもしてあげたいことがあること、亡くなってもできる何かがあること、姿が見えなくなっても心に想いを描けること、愛する者のためにお経を捧げてあげたいことなどというように、心に同じ想いを抱いており、その想いを行為にまで昇華してあげられる大好きが心にいつまでもあることが、とても嬉しく思います。
現代社会では、物質的なことが重視され無宗教的であったり、宗教も形式的になりすぎて心が伴わなかったり、死んだら終わりで供養などはどうでもよかったりする中で、多くの人たちが、動物たちとの出逢いから、共に暮らすことの幸せから、愛する者を喪う悲しみから、とっても大事なものを見つけるのです。
それは、自立した愛です。
それは、信じる愛です。
今までは、姿があることに頼る愛で、目で見ることができる、耳で聞くことができる、手で触れることができる、というものです。
それが、目で見ることができなくても、耳で聞くことができなくても、手で触れることができなくても、自ら愛することができる、姿だけに頼らない自立した愛です。
たとえ目には見えなくても、心の目で大切なものを見ようとする信じる愛があるのです。
まだあやふやであっても、自立した信じる愛を心に持っているのです。
これは素敵な出逢いが与えてくれたのです。
多くの者たちがこの世には存在している中で、奇跡的な必然の出逢いから、真に愛するということができてたのです。
だから、愛は消えずに、想いは消えずにあり、“ないのにある”という信じる愛が心に生まれるのです。
とっても不思議なことです。
自立した愛 信じる愛
持っていますか?
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