『ありがとう。また逢えるよね。ペットロス心の相談室』四季社より1,480円にて発売中!
 
・10月5日13時半より東京都現代美術館にて出版記念講演会を行います。
2008/8/7
ペットロスと教育
 
ペットロスによる学びは大人・子供を問わず大きなものです。
ペットロスの過程は同じですから大きな心で守ってあげましょう。
 
私の著書に
『ありがとう。また逢えるよね。ペットロス心の相談室』
四季社より1,480円があります。
こちらもご参考にして下さい。

 
 
●子供の視点
 
 よく子供の情操教育という観点からペットを飼い始めることも多いかと思います。
 子供が小学生ころにペットを飼い始めたとすると、犬や猫、他の小動物たちは、その子にとって兄弟同然のように一緒に生活し成長してゆきます。
 この時期には大人からは考えられないほど、素直で純粋な友情・愛情を交わしており、ペットは自分を無条件で受け入れてくれるとても大切な存在となっております。
 エサやトイレの世話による責任感や自尊心の芽生え、散歩や買い物などによる社会的相互作用、愛情や時間の共有は心を大いに育てます。
 このお互いに成長し合っている間はフォローする必要はさほどなく、お互いに関係性を深めていくので問題は少ないと考えられます。
 しかし、ペットは人間より寿命が短く、兄弟同然に育ったペットは子供たちより先に逝ってしまい、成人した大人が経験するペットロスとはやや事情が異なります。
 何で動かないのか、なぜ帰ってこないのか、と死ぬということが理解できていないので、言いようのない不安に包まれます。また、死ぬということが分かり始めると両親や自分も死んでしまうのだと不安になります。
 よく言われる「たかがペットのことで…」という言葉は禁物で、自分の家族を傷つけられたと感じ怒りと覚えるのと、人間=動物という共存の姿勢が崩れ自己不安や人間全体に対する不信感にまで発展してしまいます。
 また、命の価値が軽くなり人生や他人への接し方にまで変化を及び、空想に耽ったり、他人との接触を避けて引きこもったりしてしまいます。
 まだ庇護を受ける者として、親から「いいかげんに泣くのをやめなさい」「また飼えばいいじゃない」「死んじゃったのだからしょうがないじゃないの」など説得されているうちに、親に心配をかけまいと表面的には平静を保ったふりをします。
 それにより心身症を引き起こすこともありますし、将来的にトラウマとなって発祥することもあるでしょう。
 その時のペットロスを親なり獣医師なり、周囲の人々がしっかりフォローしてあげないと心の中では深いペットロスになってしまい心身共にバランスを失ってしまいます。
 この死の教育をする時期に、周囲がしっかり支えてあげないとペットロスと体面して癒すのではなく、そのまま心の奥に歪んだペットロスとしてしまい込んでしまいます。
 そのためには普段接している親が一番で、次によく接している獣医さんなどがフォローする役割を担うべきと考えます。
 もちろん、死生感については僧侶もその一翼を担う存在でしょう。
 
 
 
●歪んだペットロス
 
 生死を含めてパートナーとの人生を付き合っていかないと、大人になってから「ペットは死ぬからねぇ…」、「死ぬと辛い思いをするから…」となってしまい、生の部分の肯定が死の部分による否定に成り代わり、次世代の子供たちから動物たちと接する機会を奪ってしまいます。
 このような親の態度は子供に刷り込まれるもので、親が動物を嫌いなら子も動物を嫌うような鏡の法則が働きます。もちろん、成長過程においてそれを凌ぐ経験をすれば、反面の鏡として動物好きに変化することはあります。この場合、親は反面教師としての役割をすることでしょう。
 とにかく、心境の変化は訪れるにしても、親のペットロスが子に及ぶと考えていいでしょう。
 このように動物の死によって生を否定してしまうと、人間=動物と育ってきた子供たちにとっては、生きるということを無意味に感じ「どうせ最後は死ぬのだから…」というように人生を否定的に捉え無気力になってしまいます。
 さらに、「また飼えばいい」という言葉は「また買えばいい」となり、生命という数値には換算できないものを数字(金額)に置き換えてしまい、死んだらまた買う、壊れたらまた買う、と物質至上主義を増大させることになり、命や物を大切に扱う精神は薄れ、他人の命や自分以外の物を粗末に扱うようになってしまいます。
 命の絆を否定るすから家族の絆も失うに至ること、世話かできなくなったから捨てるのでは自分も老後は見捨てられること、ペットの死を粗末に扱うことは自分の死後も同様に扱われること、など例を挙げればきりがないことでしょう。
 これらのような小さな心の歪んだペットロスは、やがて大きな亀裂となり歪んだ社会を作り出すことになってしまいます。
 
 
 
●親の姿勢
 
 鏡の法則からもわかるように親の姿勢は子供にと写し出されるものですから、ペットの死についても同様のことが伺えます。
 ペットが亡くなって親が悲しむのを見て「死ということはこんなにも悲しいことなのだ」と感じるでしょうし、その悲しみを表に出して泣いていいのだと分かります。
 それを大人が躊躇して一緒に泣いてあげることをせず、悲しみを共感して分かち合わずに、大人らしく振舞っていると「ペットの死なんてこんなもんだ」、「ペットのことでこんなに悲しい思いをする自分は異常なのだ」、「自分が死んでもこんな感じなのだ」と心を歪めてしまいます。
 別に一緒に涙を流す必要はないですが、その悲しみを分かち合い共感してあげる必要はあります。その悲しみを受け止めてあげる必要があります。
 また、「どうして死んでしまったのか」というような質問には素直にわかる言葉で説明してあげることも必要でしょう。言葉では説明しずらいことでしょうから、お話や絵本などで聞かせてあげることも理解する手助けになります。
 悲嘆や悲哀が起きるのは正常な感情で、その悲しみや想いを抱え込まずに表に出せるように導いてあげなくてはなりません。
 愛する者を弔う気持ちは人として当然のことで、優しい心があるからこそですから、その心を育んでこそ情操教育というものでしょう。
 そのためにも、供養なども家族でしてあげるといいと思います。
 そうしてあげることで、同じ想いを共有する新しい絆が生まれ、家族の絆はより深まりますし、動物や人に対する愛情は同じであることを感じ取ることでしょう。
 そして、慰めの言葉よりも大切なことは、沈んでいる心を含めて愛情で包んであげることです。
 そうして困難な時期を支えてもらって乗り越えた子供たちは、その時に示した大人の態度が記憶に残り、同じような悲しみを経験した仲間を理解と共感で支えてあげる思いやりのある人になります。
 また、この経験から人生に困難なことがあっても乗り越えられる自身を備えます。
 このようにペットとの付き合い方は、その後の人生に大きな影響を及ぼすほど、大きな学びと優しい心を与えてくれます。
 この付き合い方には二つの接し方が必要で、一つは個々としての生き物との付き合い方と、もう一つはライフサイクルの違いを前提にした接し方です。
 この二つを知って上手に付き合うことで、生きている時にいっぱい可愛がり、亡くなったらいっぱい泣いて悲しむ、手厚く葬り供養していくことで、次のパートナーへの思いにつなげてあげることが大切です。
 同じ仲間が亡くなった悲しみは深いもので、親が一緒になって悲しみを分かち合わなくは辛すぎます。自分の喪失感に対処するだけではなく、親が一緒になって死に向かい合い、死を受け止めてあげなければ、共に暮らした喜びや楽しさ、優しさや愛情などを都合よく忘れてしまいます。
 ペットの死による悲しみを避けて傷つきたくない自分を守ろうとするあまり、「ペットが死んだら辛いから…」となり次のペットを飼育することを拒んだりします。
 そうなると、将来の子孫たちから動物たちと共に暮らす喜びや愛情を奪ってしまうことになり、情操教育にも何もならずに機会を断ち切ることになってしまいます。
 命の教育こそ情操教育ですから、しっかりと死を受け止めてあげてください。
 
 
 
●新たなペットを迎えるにあたって
 
 自分が大好きな家族に深い悲しみを与えてしまい、それにより自分たちの種族の繁栄を自らの死によって断ち切って終わりにしてしまったら、共に歩もうと決めて生まれてきたこと、一緒に暮らし愛情を分かち合ったこと、楽しかった思い出などはすべて死によって色褪せてしまいます。
 だから、深い悲しみから立ち直って、死というものを受け入れてくれないと亡くなったパートナーたちは喜べないのです。
 「そんなために生まれた訳でも、亡くなった訳でもないのに…」と後悔させることになってしまいます。
 私たちは「亡くなったあの子に悪いから…」「亡くなった子が嫉妬すると可愛そうだから…」などと言って、いつまでも新しいパートナーを迎えずにいることが、亡くなった子のことを考えて言っているのではなく、それが自分の心を傷つけたくないために言っているとしたら、それこそ亡くなった子に申し訳ないことになります。
 新しいパートナーを迎えることには人それぞれ時期がありますが、前の子との経験からより関係性を深めることができるように付き合い方を活かせてあげたなら、亡くなったパートナーはそのことを非常に喜ぶことでしょう。
 新しいペットを迎え入れる時期は子供自身が“また一緒に暮らしたい”と思った頃に、いろいろ話をして亡くなった子のことを話せるようになった頃がいいと思います。
 そうでないと、まだペットロスから癒えていないのに飼い与えてしまい、ペットロスを乗り越えずに死と向き合うことを先延ばしにするだけで、新しい子は前の子の代用になってしまい違いという個性を受け入れず十分に愛することができません。
 これでは、どちらも不幸なことになりますし、この子が亡くなった時にはさらに深い後悔を伴ったペットロスとなってしまいます。
 ペットロスは親が一緒になって、命の尊さやライフサイクルの違いを十分に教え、種族が違っても交わす愛情に違いがないことなど、理解と共感をもって接してあげることで、ペットロスから立ち直り精神的に大きく成長した子供の姿を目にすることでしょう。
 そうしてから新たなペットを迎えることで、より優しく、より豊かになり、さらにいい関係を築けるようになることと思います。
 動物たちとの心の交流により、人としてもさらに優しくなり、死を乗り越えることで強くなり、人生に必要なものを彼らから与えられることでしょう。 そうして、優しく強い心を育むことが情操教育ではないでしょうか。
 
 
 
●教育としてのペットロス
 
 このペットロスという経験から、生命の尊さを実感し、生きているうちに精一杯することを学ぶでしょうし、それが両親や兄弟といった家族や人間関係にも広がり、共に生きるとはどういうことかを考えるきっかけになります。
 死という教育(教育とは経験のこと)により、人はより優しくなり、出会いを深め、人生をより豊かに歩むことができるようになります。
 それこそが、情操教育の目指すべきものであったはずだと思います。
 ペットを家庭に招くときに思った「優しい子になって欲しいから」という願いは、最後まできちんと見届けてあげてこそ叶うのもだと思います。
 それを、生きているときだけが教育のように考えて、亡くなったときのフォローをしっかりしてあげないのでは、生きている時だけの限定の愛というように条件的・物質的なことにしか関心を示せない子になり、無条件の優しさや愛情、精神的な豊かさなどには薄い感情しか育たないのではないでしょうか。
 生きている時に学ぶものとして、散歩や食事の世話をすることで自尊心や責任感を養い、一緒になって遊ぶことで喜びや感情を共にすることで情緒が安定し、共に暮らすことにより優しさや愛情を豊かにしていく。
 そして亡くなって学ぶこととしては、生命の尊さを知って周囲の者への慈しみが芽生え、死を経験することで生きていることを実感し、この先の人生で起きる喪失体験(家族の死)に対しての礎を築く上でも亡くなってからの教育がとても重要なことになります。
 
 昔は大家族で暮らしており、死の喪失体験を何らかの形で目にすることがありましたが、核家族となり親族の死を目にする機会が少ない上に、病院で死を迎えるのがほとんどで経験することが少なくなっています。
 しかし、ペットは病院で死を迎えることがあるにしても、成長から病気・老衰までのすべてを見てきているので、ペットロスという喪失体験はとても大きなものになり重要性を増しております。

子供の想像力は驚くほど豊かで、
 
私たちが思っていることや考えていることより、
 
より多くのことを思い考えています。
 
子供の気持ちになって想像の翼を広げて
 
子供の様子に気をつけてあげて下さい。

 
小さい頃にペットロスを経験した一人の僧侶として、
 
子供を愛する一人の父親として、
 
すべての子供たちが愛情を深めて
 
健やかに成長することを祈っております。
 
 


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